沢木耕太郎
『深夜特急6 南ヨーロッパ・ロンドン』★★★
結構あっけなく終了///
帰省時、時間がある時ぱらぱら読み。
温泉の待ち時間に読んでいた時 弟に真顔で、
「そんな途中途中で読んでて話分かるの?」
「だって旅行記だもん 今ポルトガルまで来たの」
「・・・・・・」
全く本を読まない人から見たらそうなんだろうと(笑)
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とりわけ、最初に出されたシンプルなトマト味のスパゲッティーは素晴らしかった。少年に訊ねると、「ポモドーロ」というのだと教えてくれた。二番目の皿は、鱈に似た白身魚をほとんどオリーブ・オイルと香料だけで味つけしたさっぱりしたものだった。テーブルの上に無造作に置いてくれるパンもおいしかったし、小さなキャラフに入れて出してくれた赤のハウス・ワインもおいしかった。それでわずか千二百五十リラ、六百円強に過ぎないのだ。
こんな小さな店が、こんな何げない店が、こんなにおいしいものを出すのだ。私は喜んで少年にチップをはずみながら、あるいはこれが文化というものかもしれないな、などと柄にもないことを思ったりした。
「ここからどこへ行くの」
とりあえずフィレンツェへ行こうと思う。私が言うと、そこからは、と未亡人が訊ねてきた。
「まだ決めていません」
「それならヴェネチアに行くといいわ」
「ヴェネチア・・・・・・」
「ヴェネチアは素晴らしいわ」
強い感情の籠もった言い方だった。
「ヴィスコンテイの『ベニスに死す』は見た?」
いえ、と私は答えた。
「あそこには、まるでヴィスコンテイの映画に出てくるような美しい少年が実際にいるの」
「そうですか」
「何もかも、あまりに美しすぎて哀しくなるほど」
私はまだ雨の降りやまない街に出た。そして、その叩きつけるように強く降りつ
ける雨の中を、熱に浮かされたように歩きつづけた。
モナコへ向かうバスはリヴィエラの海岸線に沿った細い道を走る。その左手に見える地中海は美しかった。しかし、この程度の海はいくらでも見てきたのだと思うことにして、私は自分の心に感動することを許さなかった。こんな人工的な観光地に感動するとは何事だ、と無理に自分の心そ押さえ込んでいた。
赤く大きな夕陽がゆっくりと地中海に沈みかかった時も、まだこんなもので感動してはいられないと思っていた。太陽が沈み切ると、半月が上がりはじめた。少し心がざわついたが、まだまだだと思っていた。しかし、その月が藍色の空にしだいに鮮やかさを増すにつれ、ついにギブ・アップしそうになった。月の光が海面に反射してキラキラ輝いている。そんなものはどこの海でも見たはずなのに、なぜかこのような美しい月の光は見たことがないという気がしてきた。参ったな、と思った。これは文句なく美しい。しかし、私は痩せ我慢をするようなつもりで、まだまだ、まだまだ、と思っていた。
バスの乗客は、昼休みにモナコからニースへ戻る人が大半だった。ごく普通の人にとっては、モナコは働く土地であっても住む場所ではないものと察せられた。道はしばらく海から離れていたが、ひとつの坂を越えると不意に左手前方に輝くばかりの海が姿を現した。太陽の光をいっぱいに受けて、海水は何層にも色を変えている。青く、蒼く、碧い・・・・・・。しかし、どのような文字を当ててもその美しさには追いつきそうもない。浜はわずかの幅しかなく、すぐ横を走っている海岸通りには高層の建築物が迫っている。にもかかわらず、浜にいちばん近い層の海の水の色は、ほとんど透明に見えるほど澄んでいる。
私は呆けたように眺めながら、胸の奥で呟いていた。
<これはひどいじゃないですか>
ただ単に海の色が美しかったからではない。これほどまで自然が柔順に人間に奉仕しているということが、何か許しがたいことのように思えたのだこれまでにも美しい海岸はいくつも見てきた。しかし、このように人工的でありながら、このように完璧な美しさを持っている海岸は見たことがなかった。あるいは、このバスを毎日の通勤に使っているだけの乗客には、何の感動もない風景なのかもしれなかった。だが、私は誰にともなく、これはひどいじゃないですか、と呟きつづけていた。
「ほんとにわかっているのは、わからないということだけかもしれないな」
「状況はどんどん変化して行くし、データなんかは一年で古びてしまう。それに経験というやつは常に一面的だしね」
確かに、それはそうだ。
「知らなければ、知らないでいいんだよね。自分が知らないというこを知っているから、必要なら一から調べようとするだろう。でも、中途半端に知っていると、それにとらわれてとんでもない結論を引き出しかねないんだな」
そういうことはあるかもしれませんね。と私は相槌を打った。
「どんなにその国に永くいても、自分にはよくわからないと思っている人の方が、結局は誤らない」
なるほど、と思った。日本にも、外国にしばらく滞在しただけでその国のすべてがわかったようなことを喋ったり書いたりする人がいる。それがどれほどのものかは、日本に短期間いた外国人が、自国に帰って喋ったり書いたりした日本論がどこか的はずれなのを見ればわかる。日本人の異国論だけがその弊を免れているなどという保証はないのだ。