本日の天国の一枚は…、たまにはJ-POPも紹介して欲しいという御要望がございましたので ブログスタッフ個人的に好みという理由からこちらをご紹介!!!
■くるり/東京■デビュー当時98.10.21発売のプロモ盤■
[WHAT'S くるり]
結成からメジャーデビュー(1996年 - 1998年) 1995年4月、岸田繁が立命館大学に入学。大学の音楽サークルであるロックコミューンに入り森信行や大村達身と出会う。佐藤征史とは立命館高等学校の1年のときに出会い、大学では同じサークルに入った。その後、岸田と佐藤が後の「くるり」の原型となるバンドを結成。このときのメンバーは岸田と佐藤のほかに別のボーカルとドラマーがいる「毒猿」という4人体制のバンドであった。岸田はこの頃から曲を作ってこのバンドで演奏していたが、あまりいいバンドではなかったとも語っている。ほどなくしてバンドのドラマーが辞めたため森を誘う。そしてバンドのボーカリストも辞めたため岸田がボーカルをとることになり以後、3ピースバンドで活動してゆくことになる。ちなみにメンバー3人は、平行して別のバンドにも参加していた。 1996年2月、発売8曲入りカセットテープ『くるりの一回転』を発売し完売。9月にアマチュアバンドのコンテストの賞金10万円目的で正式に結成。しかし、岸田の話によると「普通に結成を持ちかければいいものを、当時凄くひねくれていたので、素直に言えず、賞金稼ぎという建前で結成を持ちかけた」という。演奏曲は「モノノケ姫」「夜行列車と烏瓜」「雫が咲いたら」(未発表曲。ワルツ調らしい)。くるりは見事優勝し10万円を獲得したものの、そのすべてを打ち上げとパチンコに使った。 1997年には、ラジオ番組にも出演する。同年7月には第1回フジ・ロック・フェスティバルをサークル仲間たちとともに観覧、台風の直撃などで色々とひどい目にあったらしい。程なくしてシュガーフィールズ・原の東京の自宅スタジオでレコーディングをする。BAD NEWS RECORDSにデモテープを送ったところ気に入られ、11月にインディーズ1stアルバムである『もしもし』を発売。 1998年1月から、ライブハウスツアー・退屈退治を11月まで行う。また5月にはインディーズ2ndアルバムである『ファンデリア』を発売。同月に行われた大阪城音楽堂でのイベント「SWEET LOVE SHOWER」のオープニングアクトや、スピッツ、サニーデイ・サービスらと「ロックロックこんにちは」に出演。7月には会場を東京に移した第2回フジ・ロック・フェスティバルを観覧。
さよならストレンジャーから図鑑(1999年 - 2000年) 1998年10月にはビクターエンタテインメントよりデビューシングル「東京」をリリースしメジャーデビュー、同月のFM802のヘビーローテーションナンバーに選ばれる。11月に行われたFM802のイベントであるGottcha!に出演。
「くるり/東京」
本作にも収録されてますこちらの曲をお楽しみ頂ければ幸いでございます。
「くるり/東京」
[21世紀音楽生活への旅!!夢見る5ch出品物] (出品者: books_channel_part5) |
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