モノクロからカラーへ
1946年ごろから東大寺修二会(「お水取り」)を毎年取材するようになり、 以後、30年以上撮り続けた。
こうして戦後は「大和路」の風景や仏像などの写真を撮り続けた。入江ははじめモノクロ写真にこだわり、はじめてカラー写真を撮ったのは1957年で、カラー写真が主体と成ったのは1963年ごろからである。入江はカラー写真が「絵のように美しい」、つまり絵画への追従になることを恐れた。果たして、撮ってみるときれいなだけで情感のない写真になった。入江は色を殺す方法を探求し、陰影の美を求めて10年模索した。[4]
1960年、浪速短期大学教授に就任。ここでの教え子たちが後に入江邸に集い、「水門会」というグループを形成した。
昭和51年(1976年)写真集、「古色大和路」「万葉大和路」「花大和」の三部作で菊池寛賞を受賞した。古都奈良の社寺と自然美を見事な写真芸術に仕上げた色彩美がその理由とされた。
1992年1月16日、死去。
没後 [編集] 1992年4月、入江泰吉記念奈良市写真美術館開館。入江のすべての作品(約8万点)が所蔵されている。 2009年9月1日、平城遷都1300年記念・入江泰吉賞が設けられる。主催は奈良市、入江泰吉記念奈良市写真美術館、日本経済新聞社。
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