24 ~伝わらない伝言~
病院の中は外との温度差を激しく感じずにいられないほど暖かく、
こんな時は入院患者が幸せそうに思えた。
インスの冷えた体も少しずつ温まってくる。
スジンは欲しがっていた果物を忘れずに僕が買ってきたことを喜んでいる。
早速、“林檎が食べたい”と言ったスジンのために切ってやることになった。
皿の上で真っ赤な林檎にナイフを入れる。
サクッと音をたてて真っ二つに切れた。
「おいしそうだわ」
そう言った君に、さらに幾つかに切り分けた林檎を差し出すと満足そうに食べ始めた。
「インスも、食べて」
「僕はいい。君が食べるといいよ」
僕は椅子に座りながら、彼女が食べている様子を見ていた。
スジンはこの間のことなど、どこかに忘れてきたかのように林檎を頬張りながら僕に微笑む。
思わず、目線を少しずらした僕は上着を脱ぎ、椅子の背に掛けようとしてポケットの中に手を入れて携帯に触れた。
・・・連絡ができないなら、僕があなたに会いに行こう・・・
「コーヒーでも飲んでくるよ」
僕は腰を上げると、迷いのない足取りで病室を出て行った。
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これが最後のメールになります。
黙ってあなたの前から姿を消したことを謝ります。
ごめんなさい。
こんな出会いかたをした運命を呪ったこともあるけど、
私はあなたからいっぱい愛と勇気を貰いました。
今はそのことが私を強くしてくれています。
私はこれからちゃんと自分のいるべき場所で生きていきます。
どうか、お元気で・・・
あなたの幸せを、心から祈っています。
ソヨン
ソヨンはメールに文字を打ち込むと、もう一度読み返していた。
・・・本当にこれが最後なのね・・・。
嘘でもキョンホssiと夫婦に戻ると書けばいいのに・・出来なかった。
私は夫に愛されることを拒んでいる。
心も体も、キョンホssiをもう愛せない。
だから、私から最後のお願いで彼に離婚届へサインをしてもらったのよ。
あなたの愛に満たされて、こんなにも人を愛せることを初めて知ることが出来た・・。
なのに、あなたをスジンssiの元へと背中を押した私はばかみたいでしょね。
私たちの愛を手に入れようとしないなんて・・・。
違うの・・・こんなにもあなたを愛しているから、私の愛を正しいものにしたかったの。
あなたを愛するということでは、私もスジンssiも一緒なのよ。
だから、彼女の気持ちがよくわかる。
そんな彼女からあなたを奪うことは、私たちが一緒に生きていくうえできっと罪悪感を背負ってしまう。
どうか、わかって・・・。
でもね、インスssi、不思議と私、恐くないのよ。
これから一人だっていうのに、なぜかしら? 勇気が・・力がわいてくる感じがしている・・。
一人なのに一人じゃない感じがしているの・・。
あなたの愛が私の胸の中で生きているから・・・。
ソヨンはバスから見える景色に目を留めることもなく、ただ流れていくのを感じるだけだった。
暫くそうした後、ソヨンは最後の送信ボタンを押した。
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スジンに話をする前に君の顔が見たくて、僕は3階のキョンホssiの病室へと向かった。
何度となく通った廊下をゆっくりと進みながら、ソヨンssi が居ることを願った。
病室の近くまで来ると、耳と目を研ぎ澄ませながら君の姿を探そうとする。
妙に静かだ・・?
インスは通り間際にさりげなく病室の中をしっかりと覗いてみると、キョンホssiが寝ていたベッドが綺麗に整理整頓され、パリッとした真っ白なシーツが掛けられているのを見つけた。
インスは部屋の中に入ると、キョンホのベッドの周りに生活道具らしいものがすべてないことに驚きを隠せなかった。
「すみません!ここに入院していた人はどうしたんですか?」
この病室にはもう一人患者が入院していた。
「ああ、あの人ね。今日、奥さんと退院したよ」
--- 退院!? ---
部屋を飛び出したインスは3階のナースステーションに向かって走った。
なるべく冷静さを装って確認に努めてみる。
「すみません。305号室のソン・ギョンホssiを探しているんですが、どうしたんですか?」
「ソン・ギョンホssi? 彼なら今日退院されていきましたよ」
「それはいつ頃ですか?」
心が逸りだしていく。
「えっと、いつ頃かしら。ねえ、誰か覚えてる?」
看護士はナースステーションの中にいる仲間に大きな声で確認をしてくると、一人が挨拶を交わしたと言って、「40分ほど前かしら。バスで帰るって言ってたけど、この時間ってバスがあまり来ないからどうかしら。」と、教えてくれた。
僕はいてもたってもいられず、「ありがとう」を言うのも忘れてナースステーションを後にした。
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スジンは、林檎を特別食べたいわけじゃなかった。
インスの心が離れていく不安を感じ、繋ぎ止めたい一心でインスを病院に通わせるために何でも考えていた。
インスが部屋を出て行ったあと、スジンは皿の上に残った林檎を見つめてはサイドテーブルに置いた。
・・・身勝手なのはわかってるわ。私が愚かだったことも・・。
・・・でも、もう一度、あなたの心を掴みたいの・・・
祈るように組まれた手をじっと見つめていると、どこからか携帯が鳴り始めた。
「携帯?」
この病室には自分しか入院していなかったし、自分の携帯も事故以来、充電切れで使われていないことからインスの携帯だとすぐにわかった。
・・・インスの上着からだわ。
仕事からかもしれないと思ったスジンは、すぐに携帯をポケットから出すと着信が切れたのでメールだということに気がついた。
仕事柄、付き合いなどでメールはよくあることだ。
いつもは気にならないのに、この時、何故か気になって仕方ないスジンは、いけないことだと知りつつインスの携帯を開けた。
「・・・・・・」
そこにはスジンが眠っていた時間がどれほどインスにとって現実だったか、知らせるものだった。
携帯を握るスジンの手に力が入り、瞳には怒りや悲しみや喪失感に染まっていった