Boruneo’s Gallery

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4月の雪 33

2007年05月07日 23時56分06秒 | 創作話

      33 ~その先にあるもの~

次々と奏でられる音楽をインス自身も楽しみながら、手つきはパネル上でリズムよく照明をいじっていく。
・・・この分だと、最後まで順調にいくだろう・・・

ピアノの旋律が風に乗って遠くまで響き渡っていく。
明るかった空が、薄紫やオレンジ色に空のパレットに混ぜ合わせられるように染まり始めていった。
手元のパネルにも照明が落とされ始め、時間の経過を感じさせた。
観客たちはゆったりとリラックスして、寝転びながら聞く人、木々にもたれながら音楽に身を委ねる人、思い思いの姿を僕は捉えていった。

キムが僕の耳元で「・・もうすぐで終わりだな。時間通りだ。」と告げた時、僕の中で小さな波がたった。
「ああ・・最後の曲が始まったな。」
キムに返事をしたものの、僕は僕の内に立った波が次第に大きくうねり始めたことに神経を集中していた。

インスは気になって、もう一度辺りを見渡してみる。
あたりは老若男女の黒い山々ばかりで、特にこれといったものはない。
あの木にいる茶色い犬も大人しく座っている。

「・・・・・キム・・・あとを頼む。」
僕はそれだけ言うと、スタッフに指示を出すためのインカムを外し、パネルから離れた。


・・・間違えるわけはない。
僕の心臓が早鐘を打ち鳴らしていく。
目を凝らせば凝らすほどそれは現実で、そしてそれは確かに彼女だった。
間違いじゃない。

インスはいきなり降って沸いた出来事に信じられない面持ちで、目の前の真実を受け止めるしか出来ない。
彼女を捉えて逃がさないようにと視線を離さないインスに、まだ遠くにいるソヨンは気付かない。

「・・・ソヨンssi」
犬から近い場所に見覚えのある長い黒髪と、懐かしい横顔があった。
「ソヨンssi!?」・・・・本当に彼女なのか!?


ソヨンは音楽に聞き込んでいる様子だった。
心地いい音色の波間に揺られるように身を任せると、体中に澄んだ音が水のように染み込んでいく感じを覚えていた。
そしてそんな気分にさせてくれるこの瞬間が好きだと思った。
ソヨンは久し振りに深呼吸をした。
新鮮な新緑の香りと懐かしい夕刻の香りは懐かしく、気分を落ち着かせた。
そしてそれは体の中にある嫌なものを一層してくれそうな気がした。

・・・久し振りだわ。こんなにゆったりとした気持ちになれたのはいつからかしら?・・・
ソヨンは体重を名も知らない木に預け、瞳を空に泳がせると、色づいた雲がゆっくりと形を変えながら流れているのを見続けた。

・・・病院の屋上から見た空と似ている・・・
その美しい夕焼けの風景は今のソヨンには少し遠く思えてしまっていた。

・・・雲はいつまでも同じ形を保たない。あの雲がそのようにいつかは私も変わっていく日がくるかしら。すべてが上手くいくって希望をもってもいいの? いつかはあの人にも会えるときがくるの?・・・そんなときが本当にくるの?・・・・

ソヨンは願いを込めて、もう一度深呼吸をした。


僕がソヨンssiのところへ行くには観客を避けて遠回りしないといけなかった。
横切ろうにも、スタッフである僕は聴衆の邪魔をするわけにはいかない。

・・・大声で名前を呼べば聞こえるかも・・・
しかし、あと少しだ! あと少しで最後の曲が終わる!
だから、このまま歩いて彼女の元へ行くんだ!

僕の耳にはもう音楽が届かなかった。
歓声や拍手も、僕の名前を呼ぶスタッフの声も、段々とざわつき始めた声も・・。


そのまま歩き進んでいくと、僕は誰かにぶつかった。
「すみません。」
僕は少しだけ目線をその人に移して謝った。
するとまた、体に誰かが触れた。

一人、また一人とインスの前を後ろを人々が通り過ぎていく。
・・・!?・・・
それは次第に大きな黒い川となって流れ、時には渦を巻くような人込みとなっていった。

僕はコンサートが終わったことにようやく気付いた。
観客たちは思い思いに立ち上がると、すぐに帰り支度を始めたようだった。
それが大きな黒い川となって僕の周りを流れていた。
さっきまではっきり捉えていた君の姿が見知らぬ人たちに紛れ込んでしまって、見つけられなくなってしまっていた。

「ソヨンssi!!」

僕は声を上げた。
振り向いたのは数名いたが、届けたい人には届かない。

「すみません。通してください。」

人の波を横切って泳ぐように、僕の体は掻き分けながら進んでいく。
しかし思ったよりもこの川の流れは強くて、進めない。

「お願いです!通してください!!」

・・・くそっ!これじゃ進めない!!どこなんだ!?あの犬の近くにいたんだ!君の犬かもしれない!

目印になるはずの犬を探して目線を落としていった。
だが、そんな事をしても無駄だと諭されるようにあっという間に人垣は増えていき、僕は大きな川の中州で羽を休める渡り鳥のように取り残されてしまった。
「ソヨンssi!!!」
お願いだ!
僕の声に気付いてくれ!!

強く願って張り上げた声も、満悦した観客たちの感想にまぎれて込んでいく。
振り返った人たちの中に君が居ないか、瞬時に探す術が欲しい。

・・・また、見失ってしまうのか・・・

インスは自分でも解らないうちにがむしゃらになって彼女を探していた。
流れに対抗しながら進む様は思春期の少年の反抗心にも似て抑えることができなかった。

ようやく流れが緩やかになって目指していた向こう側へたどり着いた時にはあたりにソヨンの姿も犬の姿もなかった。
ぞろぞろと歩いている人々を見渡しても、あまりの多さにこの中からソヨンssiを見つけ出すことは奇跡に近い。
インスの顔が苦渋の表情になっていく。

「どうして・・・どうして、いつも届かないんだ!!」

インスは感情を吐き出すように声をあげると、悲しみとも怒りともつかない激情で側に立っている木にどんっと背中を預けた。

・・・・・・・・・
しばらくすると熱くなった頭も少しは冷え、あたりの声が静かになったことに僕はようやく気が付いた。
人の流れも途切れ始めている。
僕のいる場所からはキムのいるコントロールパネルも、片付けを始めだしたスタッフたちも見渡せるほどになっていた。

「・・君が来ていたなんて・・・。僕の仕事を知っていたよね?僕を探そうとは思わなかった?・・・まさか、ここにいるとは思わなかったんだろうな・・。」 
インスはステージに向けていた視線を外しながら、右の口角をあげた
「・・・僕が自惚れていたのかも・・・」
瞳は最後の観客たちの中を泳いでいく。


・・・会いたい・・・  
何度願っただろう。
夜ごと、君の抜け殻を抱いては浅い眠りにつく僕を知らないだろう?
夜とも朝ともつかない群青の時間を幾夜過ごしたか、君は知らないだろう?
僕の心ごと、持っていったままじゃないか・・・。
夢見る数だけ未来があるというなら、僕たちにもあると思っていた。
瞳を閉じて現れる君の笑顔、その先にあるものを信じたかった。
君は僕の大事な人。そう思っているのに・・。

届くと思っていたものが確かにあったのに、いくら手を伸ばしてもそれに触れることさえ叶わない。
インスは自分のいる場所を見失いそうだった。

「・・・僕はどこをみている・・どこに向かえばいいんだ」

インスは空を見上げた。
ソヨンを思うとき、インスはいつも空を見ていた。
空だけはどんなに二人が離れていても繋いでくれている。

ステージは終わってしまうと、乾いた静けさを漂わせていた。スタッフ各自の片付けが始まる。
照明はもう必要がなくなって色づいた光は消されていくのに、インスの頭上では夜への変身を遂げる空のショーが色鮮やかに行われ始まっていた。

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