文化人類学者/言語学者の西江雅之さんは,50カ国語以上をしゃべれるという噂のある語学の天才です。
彼の半生記『わたしは猫になりたかった』(新潮文庫)には,驚くような話がたくさん出てきます。
幼時,東京郊外で狩猟採集生活を送っていたこと。田んぼのドジョウやカエルをつかまえては焼いて食べ,カイコの幼虫を生で食べてみたら甘かったなんて。
私はカイコのさなぎ(ポンテギ)の炒めものは食べますが,幼虫をナマでと言われたら引いてしまいます。
猫のしなやかな体と身のこなしにあこがれていた西江さんは,猫になろうと本気で努力し,朝目覚めるとすぐに全力疾走したり,高い所から落とされたことを想定して,塀や屋根の上から飛び下りる練習をしたりしたそうです。
もちろん,実際に猫になれるはずはありませんが,体の鍛練をその後も続け,高校時代は器械体操に打ち込んで関東大会で優勝するまでになったそうです。しかし,毎日3~4時間という練習がつらく,また身の危険を感じたため,以後,そのエネルギーを語学学習に向けることに。
「体操に比べて,外国語の勉強などというのは,遊びのようなものだと思った。時間も場所も特別なものを必要とはしない。夜中の布団の中でも,電車を待ちながらのベンチでもかまわない。やり過ぎれば自然に疲れを感じてくるので,適当に休めばよい。動詞や形容詞の変化を間違えても腕の骨を折るなどということはない。こんな便利なものはない。こう思うと早速,わたしは毎日の各国語の勉強スケジュールを作成し,それを実行に移したのだった」
父親が高校の英語教師だったこともあり(ただし,家では教えてくれなかったらしい),中学で英語をマスター,高校ではフランス語を身につけていた。大学に入ってからは,次のような方法で学習した。
「人間は怠惰な動物なので,自分の意志を超えた拘束を自らに課すことにした」
大学の授業をできるかぎりたくさんとり,休まず出席する。そして,授業中は授業とは異なる自分の外国語学習に打ち込む。それ以外の時間は,学生会館で復習する。彼は,この方法で,インドネシア語,ハンガリー語,アラビア語,中国語をはじめ,イタリア語,ヒンディー語,ウルドゥー語(パキスタンの言語)などを,次々と征服していった。
大学在学中にアフリカ大陸横断を試み,帰国後,日本で最初のスワヒリ語辞典を編纂する。その後,アフリカ,インド洋の言語,カリブ海の言語を学習し,クレオール言語(混成言語)研究の第一人者に。
いやはや,凡人にはとても真似ができません。彼は別のところで,語学修得の秘訣を聞かれて,次のように答えています。
「努力しただけです。ただ,私は努力への適応性が,普通の人よりちょっとすぐれていたのです」
西江さんにとって,努力とは呼吸するようなものだったのでしょう。これは,「努力」というものが「才能」の一部であることを示しています。
ただ,西江さんの操る50か国語の中に韓国語は入っていないらしい。それを推測させる西江さんのエッセイを,次回,ご紹介します。
記憶力と努力がポイントですね。