小・中・高校と、
勉強はそれほど嫌いではなく、
かといって自分で「やりたい」と思うこともなかったような。
でも社会に出てからいろいろ本を読んでいると、
この内容を、中・高生の時に授業でとりあげてくれたら
もっと勉強が楽しかったんじゃないかと思うことが
時々あります。
読んでいてすごく楽しくて、教材にしたら
みんな古文とか歴史に興味が出るんじゃないかと思った本が
『十二世紀のアニメーション』
サブタイトルにもあるように
スタジオジブリの高畑勲監督が
国宝絵巻物を映画的・アニメ的視点から解説する本です。
最初に図書館で借りたのが2008年くらい。
これ、学校の授業でやってくれていたら絶対面白かったのに!
というのが読み終わった感想でした。
数年後、やっぱり欲しくなって購入したら
表紙にこのシール。
やっぱり!使われているようで嬉しい!
…でもこのシール、
できれば表紙に直接貼るのはやめて欲しかった (´・ω・)
この本では
絵巻物の構図がまるで映画のカメラワーク、ということで
絵巻物はもちろん、映画やアニメの手法も知れて楽しい。
そういえば、
何かに書かれていたのですが、平安時代に多いこの上からの構図。
京都国立博物館のサイトから拝借しました
神の視点、というのか、その場面を自分が覗き見しているような感じが
ドキドキするらしく当時人気だったようです。
あと、当時は床に置いて広げたみたいなので、
よけいに上からの視点がしっくりきたのでしょう。。。
(何の本か忘れたのでうろ覚え。違っていたらすみません。。。)
私はもともと歴史もそんなに興味があったわけではなく
学生時代はただテスト用に出来事を暗記して終わり、でした。
短大のときの友人に
世界史にとても詳しい子がいました。
聞けば、授業はあまり聞いていなかったと。
じゃあどうしてそんなに詳しいのかというと
写真がたくさん載った資料集をずっと見ていたらしい。
昔のドレスが好きすぎて、いろんな時代のドレスを見ていたら
流行のドレスが生まれるきっかけが
だいたい歴史的出来事に関係あるらしく
何年ごろ、どのドレスが流行ったか見ていた結果、
歴史的な出来事を年表ごと覚えたようで……。
当時はそんなこともあるんだ〜ぐらいでしたが
だんだん、それが大事なのかも、と思うようになりました。
好き嫌いに関わらず、どうせやらなきゃいけないのなら、
その中に一つでも好きなことを見つけたら
何かが変わってくる気がします。
その結果として成績が良くなる、とか理想かな。
あれ、そう考えると仕事もけっこう一緒かも?
あと、
『博士の愛した数式』(小川洋子)を読んだ時
私の中で数学の認識が変わりました。
本文最初の自己紹介のところから引き込まれていきます。
本文より抜粋↓
「きみの靴のサイズはいくつかね」
(中略)
「24です」
「ほお、実に潔い数字だ。4の階乗だ」
(中略)
「君の電話番号は何番かね」
「576の1455です」
「5761455だって? 素晴らしいじゃないか。1億までの間に存在する素数の個数に等しいとは」
博士のように「綺麗だ」「美しい」「素晴らしい」言われたら、
その「階乗」ってなに?「素数」ってなに?
その数字が素晴らしい理由は?
って気になってきて、どんどん知りたくなってしまいそう。。。
単純すぎますかね 笑
でも勉強(受動的)から学び(能動的)に変わるのって
こういうことかな、と思うのです。
中学の時の数学の先生が、
授業らしいことをしない先生でした。
新しい単元になると、
最初の時間で説明を簡単にして、例題を数問解いてみせたら
次からの授業は最初にプリントを全員に配って「今日はこれをやって」と。
授業の最後に答えのプリントを配って、終わり。
「わからないところは聞きに来て」だけ。
ものすごく静かな数学の授業は、
一年通してその繰り返しで終わりました。
なんとなく、
私が数学が苦手なのはそのせいなのではないかと思っています。
あ、でもすご〜く前に誰かが言っていたけど
男子学生の好きな教科は、その内容で決まり、
女子学生の好きな教科は、その先生で決まるって。
う〜ん、肯定しづらいけど、自分に当てはめてみると
あながち間違ってもいない気がする。
なんか脱線してきました。
続きはまた書きます。
今日は撮影中ずっと本の周りを
ぐるぐる回り続けたふわりちゃん。
小川洋子さんは好きな作家さんで
手元にありませんが、
『猫を抱いて象と泳ぐ』はすごく良かった!
『偶然の祝福』
『薬指の標本』
この2冊は先日書いた一気読みした本に入れてもよかったと思っています。
女性の、自分でも何なのかわからないくらいの気持ちを
文章からものすごく自然に読み取れて
ありそうで絶対にない不思議な世界を体験できるのが好きです。
さて、ふわりちゃんに見られているのでおやつにしましょうかね。