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Brugge Style
今日の「よかったこと」
知り合いに桁違いの金持ちがいる。
その家族は、庶民にはうかがい知れないような習慣をいくつも持っているが、わたしが特に賞賛しているのが
「夕食時に家族それぞれが今日一番よかったことを報告し合う」
という習慣である。
さぞかしスケールの大きい「よかったこと」が飛び交うと思いきや、「バレンシアガのコレクションでもう秋だなと感じた」とか「ダニエルのケーキがおいしかった」「お稽古で先生に褒められた」「もうないと思っていた明太子が残っていた」など、ごく普通のことで、普通がいいのだという。
当然彼らも人間ゆえ、「よかったことなんか思い出してられるかい」というような日もあるそうだ。それでもなにかひとつ「よかったこと」を絞り出して言う。「こんな習慣アホみたい」と思った一時期は、毎日同じことを棒読みで繰り返したと老マダムは笑う。
小さなよきことに注目し、自分の心の置きどころ次第でどれだけ幸せになれるかを意識し、その日をよい日だったと機嫌よく終わらせるのはかなり大切なことだ。
わたしはこの習慣がこの家族の成功の秘訣だと確信している。
この素敵な習慣の話は何十年も前から聞いていて、実家でも「うちでも真似しようよ」と掛け声をかけたこともあったし、家庭を築いてからも実践しようと思っていた。が、ずっと忘れていた(だからうちは成功しないのだ)。
ふと思い出したのは、ブログやインスタやフェイスブックなどで散見されるハッピーなあれこれが、「現実が充実して、現実がほんとうに幸せな人はSNSにいちいち写真をあげたり自慢したりしない」と批判されているのを読んだからだった。
そうなのだろうか。
今日の服装のコーディネート、頑張って作った料理、楽しいイベント、子供や友達やペット自慢、一目惚れしたスカート、誰かのやさしい言葉、ふと思いついたアイデア、何かをクリアしたとか認められたとか褒められたとか、そういうSNS上のよくある話が、心理学が教えるように「たいしたこともない日常を繕うための虚飾」とか「人に実像よりよく思われたい欲望」だとはわたしには思えないのである。
SNSで「今日よかったこと」を報告し合うのは、上記の家族がやっていることと同じではないのか。
繰り返しになるが、自分の心の置きどころ次第でどれだけ幸せと感じられるかを意識すると、自然に感謝の気持ちが湧いてくる。周りの人にやさしく楽しく接したくなる。
感じがよかった店員さん
美味しかったハンバーグ
きれいだったハワイの海
新調した財布
がんばったぞと今日の成果
Aちゃん大好きとハートマーク
「現実が充実してほんとうに幸せな人は自己顕示をする必要も自己承認欲求もない。だからSNSで自慢したりしない」などという賢いセリフは無視して、どんどん「よかったこと」を発信したらいいと思う。
(写真はイタリアのコーヒー。誰かが入れてくれたおいしいコーヒーは間違いなくわたしの毎日に欠かせない「よきこと」だ。
これ、わたしの腕じゃなくってよ・笑)
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