主婦として母として、ある年代になるとみんな転職を避ける。
6月に入った職場は下は40から上は還暦過ぎまで在職。
「長くお勤めいただける職場です」と自慢げだった。
「無理をいっても無理と言わない、辞めない年代」の方が
長く居るだけでは?との不安がよぎった。
サクラちゃん(仮名)、わたし、前に一度いたことがあるコスモス
さん(仮名)と3人が新人だった。指導担当は「質問があったら
聞いて」とは言うが、質問に答えるのも教えるのも面倒くさそう
だった。
ある日、教えられた通りにやったサクラちゃんがとがめられた。
慎重なコスモスさんもやはりとがめられた。指導担当のイライラが
渦を巻いて吐き出され、朝起きたことは午後になっても言われ、
退勤時にも言われ、次の出勤日の朝にも言われた。一事が万事、
こんな調子だった。
変更になった点が多く穴だらけの古いマニュアルが次々と降って
きては必死に手書きのメモで補いながら業務に当たった。すぐに
繁忙期を迎えた。
器量良し性格良しのサクラちゃんは弱っていった。ときどき何か
言いたそうに目を合わせるだけになり、その綺麗な目を暗く覗く
たび胸が痛んだ。9月末、サクラちゃんは辞めていった。
10月最初の出勤日、わたしとコスモスさんは会議室に呼ばれた。
「新たに数人募集するから一足先に入職した先輩としてサポート
を頼みます」と言われ狼狽した。「別に責任なんて負わせない
ですよ」「先に入ってちょっと慣れてますから新しい人たちの
不安を和らげてくれたら。それだけです」という。
コスモスさんには「習熟と進捗が速いので、同じく前にいらした
ことがある方を採用して、経験者ペアとして動いてもらうつもり
です」という。
コスモスさん向けの研修が始まり、一人になった。それまでも
遠慮しがちだったトイレや水分補給がいよいよ困難になった。
「入力が追いついてない!」と不満げなベテランや社員が席を
立って直接モニターと手元の動きをチェックしにくるように
なり、「終わるまで昼休憩はなし」で夕方近くになってお弁当
を食べた。これは俗に言う黒い職場なのでは....
わたしにも新業務の研修があり「これをこうしてこれをこう」と
デモンストレーションを見せられ、「一人でやってみて」と言う。
一回や二回、見せられただけでベテランと同じ知識がついて同じ
スピードで動けたら新人なんて世の中に存在しないではないか。
「すみません、できません」と言ってもダメだった。
やれとばかりにじっと待つ、その威圧感たるやもう。待たれても
できないので気まずくて「何をどうしてどれをどうしたのかが
わかりません」と言ったら1人は「できないとかわからないじゃ
なくて、覚えて」と怒り、1人は「何がわからないかわからない
から言って」と怒った。
こんなのはまるで部活だ。
「勝つためなら多少の強引さは必要なの」
「あなたには、反則しても勝つっていうガッツが足らない」
「勝ちたく無いの?」「一生ベンチ入りできないわよ」と
けしかける顧問が大嫌いになった。中学1年で途中退部した。
部員に無視されるのも後ろ指や陰口も顧問教師の嫌がらせも
あったけど図書室と向かい合わせの図工室で活動する美術部
に入り直してオタクな友人達に習ってイラストを描いたり、
図書室で画集をめくって気に入った絵を水彩絵の具で自由に
模写したり、体育系の高揚感・一体感はなくても特に後悔は
なかった。
「辞めたら内申書が傷つく、だから辞めちゃだめ」がいまは
「辞めたら次の職場はない、だから辞めちゃだめ」になった。
10月末、ドライアイと老眼と近眼が進み、メガネの作り直しが
必要になったのを機に辞めた。
次いってみよう、だ。
6月に入った職場は下は40から上は還暦過ぎまで在職。
「長くお勤めいただける職場です」と自慢げだった。
「無理をいっても無理と言わない、辞めない年代」の方が
長く居るだけでは?との不安がよぎった。
サクラちゃん(仮名)、わたし、前に一度いたことがあるコスモス
さん(仮名)と3人が新人だった。指導担当は「質問があったら
聞いて」とは言うが、質問に答えるのも教えるのも面倒くさそう
だった。
ある日、教えられた通りにやったサクラちゃんがとがめられた。
慎重なコスモスさんもやはりとがめられた。指導担当のイライラが
渦を巻いて吐き出され、朝起きたことは午後になっても言われ、
退勤時にも言われ、次の出勤日の朝にも言われた。一事が万事、
こんな調子だった。
変更になった点が多く穴だらけの古いマニュアルが次々と降って
きては必死に手書きのメモで補いながら業務に当たった。すぐに
繁忙期を迎えた。
器量良し性格良しのサクラちゃんは弱っていった。ときどき何か
言いたそうに目を合わせるだけになり、その綺麗な目を暗く覗く
たび胸が痛んだ。9月末、サクラちゃんは辞めていった。
10月最初の出勤日、わたしとコスモスさんは会議室に呼ばれた。
「新たに数人募集するから一足先に入職した先輩としてサポート
を頼みます」と言われ狼狽した。「別に責任なんて負わせない
ですよ」「先に入ってちょっと慣れてますから新しい人たちの
不安を和らげてくれたら。それだけです」という。
コスモスさんには「習熟と進捗が速いので、同じく前にいらした
ことがある方を採用して、経験者ペアとして動いてもらうつもり
です」という。
コスモスさん向けの研修が始まり、一人になった。それまでも
遠慮しがちだったトイレや水分補給がいよいよ困難になった。
「入力が追いついてない!」と不満げなベテランや社員が席を
立って直接モニターと手元の動きをチェックしにくるように
なり、「終わるまで昼休憩はなし」で夕方近くになってお弁当
を食べた。これは俗に言う黒い職場なのでは....
わたしにも新業務の研修があり「これをこうしてこれをこう」と
デモンストレーションを見せられ、「一人でやってみて」と言う。
一回や二回、見せられただけでベテランと同じ知識がついて同じ
スピードで動けたら新人なんて世の中に存在しないではないか。
「すみません、できません」と言ってもダメだった。
やれとばかりにじっと待つ、その威圧感たるやもう。待たれても
できないので気まずくて「何をどうしてどれをどうしたのかが
わかりません」と言ったら1人は「できないとかわからないじゃ
なくて、覚えて」と怒り、1人は「何がわからないかわからない
から言って」と怒った。
こんなのはまるで部活だ。
「勝つためなら多少の強引さは必要なの」
「あなたには、反則しても勝つっていうガッツが足らない」
「勝ちたく無いの?」「一生ベンチ入りできないわよ」と
けしかける顧問が大嫌いになった。中学1年で途中退部した。
部員に無視されるのも後ろ指や陰口も顧問教師の嫌がらせも
あったけど図書室と向かい合わせの図工室で活動する美術部
に入り直してオタクな友人達に習ってイラストを描いたり、
図書室で画集をめくって気に入った絵を水彩絵の具で自由に
模写したり、体育系の高揚感・一体感はなくても特に後悔は
なかった。
「辞めたら内申書が傷つく、だから辞めちゃだめ」がいまは
「辞めたら次の職場はない、だから辞めちゃだめ」になった。
10月末、ドライアイと老眼と近眼が進み、メガネの作り直しが
必要になったのを機に辞めた。
次いってみよう、だ。
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