わずか8センチのちいさなカケラですが、いいですね。
手で削ったようなフワリとした蓮弁が、なんともいえません。
この瓦が発掘されたのは、1939年(昭和14年)、
法隆寺東院前身遺構の発掘調査のときです。
一面に焼土があり、その下から斑鳩宮(いかるがのみや)と
思われる建物跡がみつかったのです。
聖徳太子がここを造営したのは601年、
法隆寺ができる前のことです。
太子が移り住んだ605年から、622年に49歳で亡くなるまで、
政務をつかさどりました。
この瓦をながめていると、歴史の彼方にいた人が、
身近な存在になってくるようです。
<追記> この瓦残欠は、古い仏教美術収集家の所持品だったため、
「斑鳩宮瓦」と断定して表示してしまいました。
この軒丸瓦の直径は、推定12,5センチ~13センチ位と思われます。
一方、法隆寺所蔵の小片数点も、唯一完器に近い松田光さん所蔵品も、
10センチ弱と、より小型です。
「発掘報告書」等で確認されない限り、
「伝」斑鳩宮瓦残欠と、訂正することにいたします。
(売約済みになりました)