西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし

2003年、50歳にて西アフリカのブルキナファソに渡りボランティア。歳月を経ていまではすっかりブルキナ親爺になりました。

ブルキナファソ大統領選挙を傍観する

2015-11-30 | 暮らし

 

ブルキナファソが現在の国名になったのは1984年で、それまではオート・ヴォルタという国名でした。Burkina Fasoとは、「清廉な人々の国」という意味で、この国名を付けたのが、前大統領トーマス・サンカラ(1949-1987)でした。

しかし、1987年10月、サンカラは志半ばで、ブレーズ・コンパオレ(現大統領)率いるクーデターで暗殺されてしまいます。(このクーデターの影には、冷戦下でサンカラの社会主義的な思想を嫌っていた旧宗主国の策略があったとも言われています。)

1987年10月15日、コンパオレはクーデターによって当時大統領であったサンカラを殺害し、第6代大統領に就任した。サンカラの殺害について、コンパオレは「事故」と説明しているが、その主張には疑問の声が多い。大統領就任後、コンパオレはサンカラの政策方針の多くを転換した。

ブルキナファソでは2015年に大統領選挙が行われる予定だが、コンパオレ氏は再選を可能とさせるために憲法を改正するよう議会に求めたため、これに抗議する市民が大規模デモを繰り広げ、2014年10月30日にはデモ隊が国会議事堂に放火する騒ぎとなった。

 

このため、軍のトラオレ参謀長は2014年10月30日、軍が政権掌握を宣言。夜間外出禁止令を布告すると同時に、1年以内に選挙を実施する方針を示した。

コンパオレ政権の崩壊は、突然のことのように見えるかもしれない。

しかしこの動きについてVOXニュースは、アフリカ諸国で長年の問題として存在していた汚職や経済格差などの不満によって、民衆が突き動かれて発生したものだと指摘している。

ブルキナファソ暫定大統領にカファンド氏が就任

2015年11月大統領選挙が告示され各政党から14人の立候補者が揃った。

 

21015年11月29日の投票の様子。

告示から投票日までの間何の問題もなく経過した。

アフリカ諸国ではとても稀なことだ。

今度こそ自分の意思で自分の国の大統領を選ぶと強い信念を持って投票していた。

現在有力なロック・マルク・カボレ氏(左)とゼフィリン・ディアブレ氏(右)

ブルキナファソ第7代大統領が決まるのも、もう時間の問題

親爺はブルキナ(清廉潔白な人)・ファソ(国)と名付けたトーマスサンカラの心が確かに根付いていると実感しました。

 

 

 

 

 

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿