ここはコムシルガ県ナグレ地区。
首都ワガドゥグとの県境です。
現在、ワガドゥグは発展に伴って居住人口が増え、それと共に土地の価格や賃貸価格が値上がりして低所得層はだんだん外へ外へと押し出されて行っています。
そのような現状の中にあるのがナグレ地区なのです。
地区の住民に話を聞くと、区画整理されて電気や水道が通るのはいいけど、そうなると多くの人が立ち退かなくてはならなくなるのでこのままで良いと言います。
この地区には多くのその日暮の人達が肩を寄せ合って暮らしているのです。
カバネ小学校はそのナグレ地区にある小学校です。
以前は多くの子供たちが学校に行けず遊びまわっていましたが、それに見かねた青年が友人と共にボランティアで始めたのがカバネ小学校です。
はじめてそこを訪れたとき、私は目を疑いました。なんと約500人の子供たちが親御さんと共に建てた筵と木の枝で作った校舎の中で勉強していたのです。
あまりにもすごい光景に驚くと同時に子供たちが目を輝かせて勉強している姿を見て心を打たれました。
それから、いつも訪れては何とかして子供たちが安心して勉強できる環境にと心を痛めながらも学校を建てあげるだけの余裕の無い私は子供たちの写真をとっては日本に送っていました。
それからしばらくして日本から連絡があり、スポンサーが見つかり校舎を提供してくれるということでした。
私は子供たちの思いが遥か遠い日本に通じたことにとても感激しました。
それから約1年が経ち、新しい学校が完成し今約1,500人の生徒が勉強できるマンモス小学校になったのです。
私は開校式に行き、子供たちの笑顔を見るとき、きっと将来はこの学校から巣立った子供がブルキナファソのため、そして社会のために貢献していくことを考えると何故か微笑んでしまうと同時に争いや偽りの無い世界にならないようにと老婆心ならぬ老爺心を抱く親爺なのです。
飯田さんのこのブログページ最後の写真にも教室内に80名を超える子供達が写っています。目を輝かせているところが素晴らしい。
私の出身小学校は今年3月で廃校になるそうです。昭和29年だったかに戦後ベビーブーマーを受け入れるために急造された学校だったのですが、それでも1教室は60名を超えなかったと記憶しています。
その後も中学・高校と運動場に仮建設されたプレハブ校舎で授業を受けていました。教室にはびっしり後ろの壁まで机が入っていて、自分の席までたどりつくのが大変でした。
今回のブログを読みながら、そんな戦後すぐの私自身の学校体験を思い出してしまいました。