先日、友人より電話があり、彼の友人のFiancailles(婚約の儀式)に誘われまして、一昨日の午後1時にガソリンスタンドに集合というので親爺は年に1度のオメカシをして、気ぜわしく靴を磨いたり、頭を刈りそろえて、今インターンシップで来ているアユミさんと共に集合時間に遅れないようにと逸る気持ちを抑えながら歩くこと10分、15分前にガソリンスタンドに到着、待つことは体感時間が長く感じるもので時々時計を見ながら友人の車が現れるのを待つのですが、なかなか現れません。午後1時の気温は40度を超え、灼熱の暑さの中、時間になってもそれらしき様子は無く、これは親爺の聞き違えかと急に不安に駆られながら15分が過ぎ、年に1度のオメカシもふいになったかと思いながら30分が過ぎ、だんだん辺りに人が集まりだし、もしかして一緒に行く人たちかなと思いながら、辺りを見回しても友人の姿は無く、少し離れた空き地にも人がたむろしているのでそちらに歩いて行ってみると、友人が角のほうから声をかけてきました、親爺は思わずホッとして慢心の笑顔になり心では今日のオメカシが無駄にならなかったことに安堵したわけでございます。
しかしブルキナベの時間の観念というとまったくルーズというか、よく言えば大らかというか、大体時計を持っている人が少なく、以前などは税務局に登録をしなくてはならず家の大家さんと朝9時半に事務所の前で待ち合わせをしまして、こちらは待たせては失礼と思い待ち合わせ時間前に着いたのですが待てど暮らせど大家さんが来ません、彼が時間を指定したのに常識から言っても遅れてくることは失礼のはず、彼は待ち合わせの時間から1時間半も遅れてやっときました。しかし、ごめんなさいの一言も無く、ただ忙しいと言い訳の一言。このようなことが日常茶飯事となっていますので何かを一つするのにも1日がかりになってしまうのです。
さて話を元に戻してFiancaillesは村で行われ、参加する一行はそれぞれ車に乗り出発、約20分くらいのところにお嫁さんの家があり、一行は村に着くと大きなマンゴの木の下においてある長いすや茣蓙に腰を下ろしました。親爺は、これから何が始まるのかとワクワクしているのですが、皆それぞれ世間話をしながら1時間ほど過ぎても何も起こりません、やがて村の女性がドローというミレットのお酒を20リッターのポリタンクで運んできて幾つかのカリバスという器に注いで振舞います。Fiancailleは、お婿さんの家族や親戚友人がお嫁さんの村を訪れて儀式を行い正式に結婚ができ、家族同士が交流できるということで、日本の結納みたいな意味合いがあります。
ドローを飲み終わると進行係の人がこれから村のシェフ(酋長)のところへ行ってサクリフィスをしますので家族の人たちは同行してくださいと告げ、鶏を下げた人を先頭にシェフの家に行くとシェフの前には女性が座り、シェフの横には男性が座り、介添えの人がシェフに説明した後、鶏を渡しサクリフィスをします。
これで儀式は終了で、このことをお嫁さんの家に行き報告してから元の場所にもどり、また待つこと1時間、そのうちに7~8人の女性が手に大きなタライや大きな皿を頭に載せてやってきました。大きなタライの中にはリグラ(炊き込みご飯)が山盛りに入っており、大皿にはポテトフライ、鳥のから揚げ、ザムネ(ネレのみを茹でたもの)、ゴンレ(甘くないヨウカン状の物)、エピナ煮、トー(ミレットなどのヨウカン状の物)、などのブルキナファソの郷土料理が山盛りになっています。
女性たちは手際良く配り、一行はおいしい料理に舌鼓を打ち、やがて日が傾いて辺りは少し涼しくなってきました。やがてもうそろそろ新郎新婦のお出ましかと思っていると、料理を運んできた女性たちがお客さんの持ち物をもって逃げだしました。親爺はこれは大事件と思いきや、取ったほうも取られたほうも笑っているではありませんか、後で話を聞くと取られた人は返してもらうときにお金をあげなければならず、お金は新郎新婦への力添えとなるのだそうです。また、若い女性は気に入った男性の持ち物を取り交際をするきっかけを作るという意味もあるそうです。日も暮れて、とうとう新郎新婦のお披露目は無く、結婚式までお預けだそうで、なんともアフリカらしいユーモアのある儀式ではありませんか。
このような儀式がいつまでもブルキナファソに残っていれば良いなと思うのは先進国から来た者のエゴでございましょうか。
しかしブルキナベの時間の観念というとまったくルーズというか、よく言えば大らかというか、大体時計を持っている人が少なく、以前などは税務局に登録をしなくてはならず家の大家さんと朝9時半に事務所の前で待ち合わせをしまして、こちらは待たせては失礼と思い待ち合わせ時間前に着いたのですが待てど暮らせど大家さんが来ません、彼が時間を指定したのに常識から言っても遅れてくることは失礼のはず、彼は待ち合わせの時間から1時間半も遅れてやっときました。しかし、ごめんなさいの一言も無く、ただ忙しいと言い訳の一言。このようなことが日常茶飯事となっていますので何かを一つするのにも1日がかりになってしまうのです。
さて話を元に戻してFiancaillesは村で行われ、参加する一行はそれぞれ車に乗り出発、約20分くらいのところにお嫁さんの家があり、一行は村に着くと大きなマンゴの木の下においてある長いすや茣蓙に腰を下ろしました。親爺は、これから何が始まるのかとワクワクしているのですが、皆それぞれ世間話をしながら1時間ほど過ぎても何も起こりません、やがて村の女性がドローというミレットのお酒を20リッターのポリタンクで運んできて幾つかのカリバスという器に注いで振舞います。Fiancailleは、お婿さんの家族や親戚友人がお嫁さんの村を訪れて儀式を行い正式に結婚ができ、家族同士が交流できるということで、日本の結納みたいな意味合いがあります。
ドローを飲み終わると進行係の人がこれから村のシェフ(酋長)のところへ行ってサクリフィスをしますので家族の人たちは同行してくださいと告げ、鶏を下げた人を先頭にシェフの家に行くとシェフの前には女性が座り、シェフの横には男性が座り、介添えの人がシェフに説明した後、鶏を渡しサクリフィスをします。
これで儀式は終了で、このことをお嫁さんの家に行き報告してから元の場所にもどり、また待つこと1時間、そのうちに7~8人の女性が手に大きなタライや大きな皿を頭に載せてやってきました。大きなタライの中にはリグラ(炊き込みご飯)が山盛りに入っており、大皿にはポテトフライ、鳥のから揚げ、ザムネ(ネレのみを茹でたもの)、ゴンレ(甘くないヨウカン状の物)、エピナ煮、トー(ミレットなどのヨウカン状の物)、などのブルキナファソの郷土料理が山盛りになっています。
女性たちは手際良く配り、一行はおいしい料理に舌鼓を打ち、やがて日が傾いて辺りは少し涼しくなってきました。やがてもうそろそろ新郎新婦のお出ましかと思っていると、料理を運んできた女性たちがお客さんの持ち物をもって逃げだしました。親爺はこれは大事件と思いきや、取ったほうも取られたほうも笑っているではありませんか、後で話を聞くと取られた人は返してもらうときにお金をあげなければならず、お金は新郎新婦への力添えとなるのだそうです。また、若い女性は気に入った男性の持ち物を取り交際をするきっかけを作るという意味もあるそうです。日も暮れて、とうとう新郎新婦のお披露目は無く、結婚式までお預けだそうで、なんともアフリカらしいユーモアのある儀式ではありませんか。
このような儀式がいつまでもブルキナファソに残っていれば良いなと思うのは先進国から来た者のエゴでございましょうか。
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