今、BSで再放送されている、おしん。
以前にもオンデマンドで全話を視聴。その時には、演技達者な出演者が勢ぞろいしているところや単なる成功物語だけではなく、サスペンスのような展開もあり、その伏線を全て回収しながら最終回に向かっていくというような脚本がとても素晴らしい、と思っていました。
今回もまた、毎日見るのはじれったくなるので、またまたオンデマンドで視聴中。
こう何回も見ていると、脚本に対する疑問というか脚本に対し鼻に付くところが湧いてきてしまいます。
というのも、おしんという主人公をあまりにもスーパーウーマン風に描きすぎていないでしょうか❓そしてまた、超強運の持ち主として描きすぎていないでしょうか❓
幼い頃から奉公に出され、朝から夜まで働いているにもかかわらず体は丈夫で、頭も良く、お茶に(お花?)に料理に掃除に習字にそろばんに経理に簿記に商売に髪結いに経営者にと、何にでも能力があって、おまけに窮地に陥っても必ず手を差し伸べてくれる人がいてうまい具合に道が拓けて出世していくって、、、。
そんなスーパーウーマン、普通にいるのでしょうか。
それだけだったら、まあ、こういう強運の持ち主もいるんだろうな、というような感想しか浮かばないのですが、主人公のそういう能力を際立たせるためなのかどうかわかりませんが、竜三さんと加代さんがおしんに比べてあまりにも能力がなく運にも恵まれずバカ風に描きすぎてあって、こういう描き方ってないんじゃないの、とこの2人が不憫で不憫で。
こういう風に描いてあるのは、おしんの凄さを強調するためなのでしょうか。こんなダメ亭主でも、上手くコントロールした、とか、小作の娘でも大店の娘より成功したという事を強調したい❓
竜三さんときたら、自分で始めて成功したものは一つもなし。全ておしんに頼っている。戦時中は軍との取引で竜三さんの商売も上手くはいくのですが、敗戦となったら結局自殺。残されたおしんは子供達のためにさらに頑張りスーパーを開業。ダメ夫と違っておしんのやる事は全て成功。
加代さんだって、大店のお嬢さんにもかかわらずアカのような男性に熱を上げ、相手の男性の事を良く知らない割にはすぐにその人と一緒に家出。カフェの女給となるもその男性とは疎遠になり、結局田舎に帰り、好きでもない人と結婚するもそのダンナが商品相場に手を出して失敗。挙句の果てにはこれまた自殺。家は破産して、夜逃げ同然で東京へ。しかし両親は亡くなりお加代さんは女郎のようなものに身を落とし急死。
しかしですよ。おしんはそのその男性から貰った万年筆をダンナがいるにもかかわらず、またお加代さんの思いを知っているはずなのに後生大事に持ち歩き、老年期まで結局その人と関わりを持っているのです。おしんにとってはお加代さんと同じく初恋の相手なのに、おしんは後年まで知り合いとしての付き合いを保ち、お加代さんは、一度は再会するも、その後は不幸な死に方になってしまうのです。
この2人とおしんの人生との雲泥の差ってなんなの、と今回の視聴では考えてしまっています。
まあ、お加代さんのような、大店のお嬢さんから身を売って、というように落ちぶれてしまった人はあの頃は普通だったかもしれません。また、竜三さんのように、商売に失敗して、という人も多かったのでしょう。そういう社会情勢も描くということも、この時代を表すのに必要だったとは思いますが。
それはわかりますが、あまりにも可哀想なこの2人の人生です。
この物語、おしんの苦労話、というよりは、おしんの成功物語と竜三、お加代さんの悲運、なんじゃないの❓と思えるようになりました。
ストーリー中に、もっと竜三さんを前面に出しておしんと2人で頑張ったとか、お加代さんもあんな悲惨な最期ではなく、最後はおしんに頼り、伊勢でおしんと一緒に頑張ったけど、結局は病気で死にましたとかという内容を入れてあげても良かったかもしれない。
あんなにダメ亭主とか不幸すぎるお加代さんの設定にする必要があったのでしょうか❓
加えて、スーパーの跡取りの息子も経営能力が母親より数倍も劣るような描き方。
そして最終回は老いらくの恋に発展していきそうな展開。
男性の視聴者から見たら、どんだけ男をバカにすれば気がすむんだ❗️と叫びたくなるかもしれません。
結局、おしんにしかスポットライトが当たっていないような作品です。
橋田壽賀子さんらしい話といえば全くそうかもしれない、おしん のストーリー展開。また、昭和の時代だから流行った、というような内容でしょうか。
が、竜三さんとお加代さんをどうにかしてあげて❗️と叫びたくなります。