豊かになった心を、私は″こころ″と呼びます。このこころが、実は人間の本心本性といわ
れる″純粋な人間性″そのものです。このこころに立ち還るとは、換言すれば、私たちが、それ
ぞれ、自分の中にいるもう一人の自分に出会えるときです。このとき、自我の無限の欲望を、″足
ることを知る″深い願望に昇華できるのです。自分が自分に出会い、自分が自分を正しく見られ
るのが、とくにのぞましい「正見」です。それが正定で得られるのです。
私たちが、自分を高めるために歩む道が、「正見」から始まって「正定」に達し、こんどは正
定を基点として再び正見へと歩み、新しいハ正道の旅を無限につづけるのです。このよき輪廻を
幾たびも経廻れと、釈尊は教えるのです。
松原 泰道さんぶん
れる″純粋な人間性″そのものです。このこころに立ち還るとは、換言すれば、私たちが、それ
ぞれ、自分の中にいるもう一人の自分に出会えるときです。このとき、自我の無限の欲望を、″足
ることを知る″深い願望に昇華できるのです。自分が自分に出会い、自分が自分を正しく見られ
るのが、とくにのぞましい「正見」です。それが正定で得られるのです。
私たちが、自分を高めるために歩む道が、「正見」から始まって「正定」に達し、こんどは正
定を基点として再び正見へと歩み、新しいハ正道の旅を無限につづけるのです。このよき輪廻を
幾たびも経廻れと、釈尊は教えるのです。
松原 泰道さんぶん