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歴史模擬授業(第20回 江戸時代文化&産業)②-1-2

2010年12月04日 18時58分38秒 | 歴史☆模擬授業

先ほどの記事の続きです。

ーーーーー

「以上が、江戸時代の全体の産業・街並みね。つぎは、細かい文化を見ていきましょう。」

「平和な世の中になったから文化が発達するんだよね。平安時代みたいに。」

「うん、平安時代の状況は似てるね。

平和で、さらに、平安時代と同じように外国の文化がほとんど入ってこない。」

「あ、たしかに似てる。平安時代は、遣唐使の廃止により、江戸時代は鎖国で、

外国の文化がほとんど入ってこないのは同じかも?」

「そうそう。ただ、その文化を発達させた身分が違う。平安時代はバリバリの貴族文化だったでしょ。」

「うん。」

「また、鎌倉・室町・桃山時代の文化は武士の文化だった。それが、江戸は違う。」

「え?そうなの。」

「うん。江戸時代は町民(庶民)による文化が中心。」

「そうなんだ。町民・・・てことは・・。」

「士農工商という身分制度を思いだして・・町に住むことになったのは・・。」

「あ、工と商・・職人と商人。」

「そういうこと!」

「一般庶民の文化なんて初めてなんじゃない?」

「そうなのよ!今までも少しはあったけど、江戸時代のように、華やぐ文化はなかった。」

「身分が固定化されていたから、安定した収入も得て、ある程度庶民も豊かになったんだろうね。(予想)」

「そういえば、田沼意次は、商人の力を利用して幕府の財政を立て直そうとしてたもんね。

それだけ、商人たちに力があったってことなんだね。」

「そういうこと。文化から、政治をみることも良いことだよ。

では、詳しく文化をみていきましょう。」

「はーい。」

 

「江戸時代の文化は2つあります。

1つは、5代将軍徳川綱吉の時代に華やいだ、元禄文化(げんろくぶんか)。

そして元禄文化から100年ほどたったころに華やいだ、化政文化。」

「江戸時代は長いから、2つに分かれるんだね。」

「うん。さらに、この2つの文化は栄えた場所も違うの。

元禄文化は、上方(かみがた)で栄えた。」

「上方?」

「上の方、つまり天皇のいらっしゃる方でね。」

「あ、京都?」

「そう、京都。そしてその周辺の大阪なども上方に入るの。

京都では長い歴史の中で何度も文化が華やいだているでしょ。国風文化しかり北山&東山文化しかり。」

「たしかに。もう文化の基盤が上方には出来ているんだね。」

「そうなの。他にも経済の中心が大阪にあったから、よけいに文化は発達しやすいよね。」

「そうだよね。お金が動けば、文化も発達するだろうね。みんなが絵や本を買うもんね。」

「この元禄文化は、はなやかで人間味があった豊かな町人文化でね。

だから、作品1つ1つが生き生きしてる。

代表的な作品が、井原西鶴(いはらさいかく)が書いた作品。

「日本永代蔵(にっぽんえいたいくら)」「世間胸算用(せけんむねざんよう)」など。

どれも、おれは生きるぞ!という意気込みが感じられる作品でね。

この時代に、町人の生活をいきいきと描いた小説を総称して、浮世草子(うきよぞうし)と言います。」

「かわった名前。」

「浮世とは現世のこと。つまり、今生きている時代を描いた草子。草子は、冊子みたいな意味でね。

枕草子とかの草子も一緒ね。(「枕草子」とは枕もとで読む冊子と言う意味。)」

「へー。」

「よく、浮世草子という作品名だと思い込んでいるみたいだから気をつけてね。

浮世草子は元禄文化のころにかやった町人の生活を描いた小説形態のことです。

そして売れっ子浮世草子作者の1人が井原西鶴(いはらさいかく)だった。」

「はーい。言葉だけ覚えても意味ないんだよね。」

「そういうこと。

あと、俳諧(はいかい)という5・7・5の句を

芸術にまで高めた松尾芭蕉(まつおばしょう)という人物も有名。

芭蕉がその俳諧を取り入れた紀行文(旅行した場所について書いた文)を「奥の細道」と言います。

奥の細道は、中学・高校の国語・古文の授業で習うのでお楽しみに。」

「はーい。」

「あと、もう1つ、元禄文化に出来たもので、今まで続く、日本の代表的な伝統文化が華やぎます。」

「なんだろう。」

「舞台芸術。能楽は室町時代に大成されて、武士に愛された芸術分野だったね。

江戸時代でも一緒で能楽は武士に愛された。

(能は江戸時代になると、士農工商の政策の一環で、武士専用の芸術の一面を持ち始める。

能役者の身分は武士に入ることになる。)」

「じゃあ、町人たちは?」

「江戸時代には新しい舞台芸術がこの時代に大成される。それが歌舞伎(かぶき)。」

「歌舞伎!聞いたことがある!」

「歌舞伎は、町人の粋な(いきな)生き方が描かれる作品も多く、

また、能と同じ題材の作品もあるんだけど、歌舞伎の方が、動きが派手だったり、見せ場がわかりやすい。」

「そうなんだ。」

「私は、大学のゼミの専攻は歌舞伎で、部活は能楽部だったから、

よく歌舞伎と能楽の舞台を観に行って、

観比べてみたけど、それぞれの演出方法が違っていて面白い。

能は自前準備に勉強しておかないと意味がわからないんだけど、

歌舞伎はその場に行って観ればわかるものも多いし、演出も派手。

能は最小限の動きでお客さんの想像力で観る幽玄な芸術で

、歌舞伎は、エンターテイメント性に富んだ粋な芸術ね。

(あくまで私の印象です。)

そして、歌舞伎と同様に華やいだ芸術文化が、「人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)。」

歌舞伎と人形浄瑠璃に違いは?というと、(厳密に言うと違いますが)

脚本は同じで舞台に立つのが生身の人間か、それとも操り人形か?の違いだと

今は思ってもいいわ。」

「へー。」

歌舞伎人形浄瑠璃の脚本家として有名だったのは、近松門左衛門

彼は、義理と人情を上手に描いてね。」

「義理と人情?」

「たとえば、士農工商っていう厳しい身分制度があったでしょ。

それぞれ違う身分では結婚できないわけよ。

でも、武士って、買い物するときは、商人のところに行くでしょ。

そうすると、商人の娘と、武士の男が恋に落ちることだってある。

でも、無理でしょ。身分違いの恋は罪。

武士の男は今まで育ててもらった親たちへの義理と、

愛する恋人や仲間との人情のはざまで悩む。

商人の娘もいっしょ。

それで、最終的に彼らが選んだのは、心中(自殺))という選択。

この世で一緒になれないなら、あの世でいっしょになりましょう!と。」

「かなしい終わりなんだ。」

「これは、士農工商に対する痛烈な批判ともとれるし、

罪とわかっていても愛情は切り離せない人間の粋な生き方を表した、ともとれる。

(もちろん、自殺はダメですよ!)」

「江戸文化は粋なのね。」

「うん。私は、平安は雅(みやび)、室町は幽玄(ゆうげん)、江戸は粋(いき)の文化だと思ってる。

雅・幽玄・粋を感じとるには、その文化に長い間接しないとわからないかもしれないので、

小さいうちから色々な文化にふれあい、感性を磨くといいわよ。

私も、大学時代になかなか日本文化の良さがわからなくて苦労してね。」

「そうなんだ。今から、色々と文化に接しようと!」

「あとは、浮世絵という絵画技法が華やぎます。

これは、今で言うとブロマイドというかポスターというか、とにかく、版画印刷をしたもので、

1点物ではありません。浮世絵は町人の風俗(服飾・生活)を描きました。

浮世(現代)を描いた絵だから浮世絵ね。

元禄時代の有名な浮世絵師に、菱川師宣(ひしかわもろのぶ)がいます。」

「へー。」

「ここまでが元禄文化。では次は化政文化

この時期になると、経済の中心が江戸にうつっていったので、

文化も江戸で華やぎます。」

「将軍のおひざものにある江戸で化政文化は栄えるんだね。」

「うん、そうね。

この化政文化の時期は、当時の社会の不安を反映して、世の中を皮肉ったりしてそれを

楽しむ風潮があったみたいね。」

「へー、同じ江戸時代でも元禄文化とは違うんだね。」

「じゃあ、細かくみていくね。

化政文化のときには、現代でも人気のある浮世絵の作品が多数誕生します。

1つは、歌川広重安藤広重)の「東海道五十三次」という風景画。

東海道、つまり江戸から静岡・愛知などの太平洋側を経路として京都まで続く道の、風景を描いたの。

まあ、今でいう、ご当地を描いたポスターや、

旅行ガイドブックのイラストみたいなものだと思ってくれていいわ。

当時はそう簡単に旅行には行けないから、「東海道五十三次」をみて、

人々は遠い場所に思いをはせていたのかもしれないね。」

「今でも、旅行の本や風景のポスターは人気あるもんね。今も昔も興味をひくものはいっしょなんだね。」

「これはマメ知識なんだけど、「東海道五十三次」などの浮世絵は

外国人(とくにフランス人)に人気があってね。

この絵を見たゴッホは、この絵の模写(アレンジした絵)を描いたりしたそうよ。

また浮世絵を見たフランス画家たちは、今までにない絵画技法だ!と感動し、

そこから新しい絵画の派閥ができたくらいなの。(印象派など) 

マネとかモネは日本大好きなのよ。」

「フランスの歴史も変えた、浮世絵ってすごいなぁ。」

「あと、富士山に特化して風景を描いたのが、

葛飾北斎(かつしかほくさい)の「富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」。

富士山を色んな角度から描いたシリーズ。 

おそらくみんな見たことがある浮世絵(錦絵)よ。」

「あ、知ってる!海側からの視点で波の間に富士山が見えるものだよね!」

「そうそう。それが、「富嶽三十六景」の1つ。他にも、赤い富士山など色んな富士山を描いているわ。」

「このころも、富士山は日本人に人気あったんだね。」

「「富嶽三十六景」も外国にも人気があります。

あと、他にも有名な浮世絵師に、美人画が得意な喜多川歌麿(きたがわうたまろ)や、

歌舞の伎役者絵、今でいうアイドルのブロマイドを描くのが得意な東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)なども

います。」

「浮世絵師たくさん!」

「入試で出てくる浮世絵師はほとんどが化政文化の人だと思えばいいわよ。菱川師宣のみ元禄で。」

「はーい。」

「あと、浮世絵浮世絵と言ってたけど、

化政文化のころの浮世絵は多色刷りをするようになったので、特別に錦絵(にしきえ)と言います。」

「色々と細かい色表現までできるようになったんだね。」

「そうね。あと、小説(小説というジャンルは本来は明治になってからですが、便宜的に小説と記します)では、2つ。

1つは、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の「東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)」。

これは、主人公の2人が、いろんな失敗やまぬけなことをしつつ、東海道や上方(京都・大阪)を旅するする話よ。」

「浮世絵の「東海道五十三次」の小説バージョンみたいだね。」

「そうね。話の内容や描き方は違うけど、どちらも東海道の旅を扱っているのは間違いないものね。」

「この時代は、ご当地ブームだったのかな。(笑)」

「あと、もう1つ小説の作品をば。滝沢馬琴(たきざわばきん)(曲亭馬琴ともいう)の『南総里見八犬伝』。

これは、それぞれ別の性質をもつ8つの玉をもつ八犬士が、

里見家復興のために活躍する、勧善懲悪(かんぜんちょうあく:悪を倒し、善が勝つ)のお話。

まあ、今でいう、戦隊ヒーローものとか時代劇とかに似てるかな?」

「今でも、昔でも、好きなものは一緒なんだね。」

「そうそう、建物や技術などは進化するけど、人間だけは古代のころからほとんど変わってないんだよね。」

 

「では、あとは、学問。学問は元禄・化政文化の見わけをつけなくて良いよ。

たいがいは、元禄~化政の間あたりに発達しています。

まずは、武士の学問

幕府は朱子学(儒学)を大切にしていたので武士には、儒学を学ばせるの。

武士には今でいう学校があってね、各藩ごとにつくられたのを藩校(今でいう、県立・市立学校)

といって、そこで儒学を学ばせた。

他にも、幕府が設立した学校(今でいう国立学校)に、昌平坂学問所など。」

「綱吉の政治や寛政の改革で出てきた朱子学ね。」

「あと、町人(職人・商人)や農民たちも、日々の生活に必要な、読み・書き・そろばんを、

寺子屋で勉強していたの。」

「商人は文字を読んだり計算できないと商売できないもんね。」

「これって、他の国ではあまりないことでね。身分が低い人は勉強する場所がないことが普通で。

でも、日本は勉強する内容は違うものの、どの身分でも勉強できたのはすごい。

識字率(字を読める人の割合)が、当時の他国とは全然違ってすごく高かった。

そのおかげで、明治時代に外国のことを学ぶ際に、農民も町人も文字をよめたから

はやく近代化できたとも言われているの。」

「へー。江戸ってすごい!」

「ちなみに、よく、寺子屋って、「寺屋」と書き間違える人が多いので、気をつけて。

寺子屋は寺の境内にあったことは確かなんだけど、寺の小屋で教えていたわけではない。

よく、パリっ子とか現代っ子とか「子」をつけるのじゃない。

それと一緒で、寺に読み書きなどを習いに行ってる人を「寺子」といったので、「寺子が通う屋敷」で

「寺子屋」なの。」

「そうなんだ。今でも、宗教法人と学校が結びついているのはそのなごりかな(予想)」

「愛知県の、とある私立中学(高校)の中には、寺子屋発祥の学校もあるので、

歴史は続いているんだよね。」

「では、次は、新しく江戸時代に誕生した学問をみていきましょう。

8代将軍徳川吉宗は産業の発展をはかるために、ヨーロッパの書籍の輸入を許したの。」

「吉宗って享保の改革の人だね。」

「ヨーロッパの書物が入ってくるにつれ、

そのヨーロッパの学問を研究する蘭学(らんがく)という学問がおこったの。」

「なんで蘭学っていうの?洋学じゃなくて?」

「当時は、鎖国してたから、ヨーロッパはオランダとしか交易してないでしょ。

だから、オランダを漢字で阿蘭陀で書くので、そこの蘭をとって、蘭学。」

「あ、そっか。」

「蘭学では、主に兵学と医学を勉強したの。その中でみんなが覚えておいてほしい蘭学の学者は2人。

杉田玄白前野良沢。彼らは、 ドイツの医学書をオランダ語訳した「ターヘルアナトミア」を、

日本語訳した『解体新書』という本をつくります。」

「へー。」

「それに対して、日本のことをもっと知ろうよ!と研究する学問も生まれる。それが、国学

有名な国学者に、本居宣長(もとおりのりなが)がいます。」

「そうだよね。日本に住んでいたって日本のことを全部知っているわけじゃないもんね。」

「本居宣長は、外国の文化が入ってくる前の時代、

つまり日本人が最も日本人らしい時代などを研究するの。

つまり、仏教が入り大和朝廷が誕生する以前の歴史など。」

「え?それってどうやって研究すれば・・。」

「すっごく昔のことが書いてある本を研究する。みんなも知っている本よ。奈良時代にできた歴史書。」

「あ、「古事記」とか?」

「そう。「古事記」は仏教が入ってくる以後のことも入っているけど、

それ以前の歴史も入っている。(創作の部分はあるが)

だから、宣長は「古事記」を研究し、「古事記伝」という作品を作ります。」

「へー。」

「他にも、宣長は日本独自の文化が花開いた平安時代なども研究したりしてるよ。」

「そうなんだ。」

「では、次は、それ以外のことで、付け加えるね。

伊能忠敬は日本全国を計測して、ほぼ正確な日本地図をつくったりしたの。」

「江戸時代には色々なことが行われたんだね。」

「そうだね。ではでは、今日はここまで。次回は激動の時代、幕末をやります!お楽しみに。」

「わーい。」

「ではでは、起立・礼。」

ーーーーーーーーーーー

 おわり

 

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

 

 



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