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歴史模擬授業(第13回 平安時代②)②-1

2010年09月30日 15時50分46秒 | 歴史☆模擬授業

※上の史料は実際の家系図とは異なります。

 

今回は歴史模擬授業14回目です。平安時代その2です。(詳細は、もう1つ前の記事をご覧ください)

平安時代は、前期・中期・後期に分け、今回は後期を学習します。

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キンコーンカンコーン

「さて、今日は平安時代の後期を説明するわよ。

・・・とその前に恒例の前回習った時代の復習。」

「平安時代の中期までのお話だったよね。藤原氏の摂関政治とか・・」

「藤原氏が天皇がいるのに、その代わりに政治をしてたんだよね。摂政・関白として。」

「荘園も広がっていったんだよね。」

「そうそう。そうやって、中央では藤原氏の摂関政治、地方では荘園がどんどん広がって力をつけていったね。

さらに、中央の政治が乱れてきたから、地方の政治だって乱れてしまう。」

「地方に派遣される国司も朝廷(中央の政治)の関係者だもんね。」

「そうそう。それで、だんだん乱暴な国司が出現したり、盗賊が多く出現するようになって、物騒な世の中になったの。」

「こわーい。」

「で・・・もちろん、盗賊が狙うものと言ったら・・?」

「財宝!」

「そういうこと。財宝はお金持ちの家にあることが多いよね。それで、そのお金持ちがいる場所といえば・・・。」

「大きい土地や御屋敷があるところ・・・、あ、荘園とか?」

「正解!荘園とかも当てはまるの。また、荘園をどれだけもつかで、政治権力が強くなるか、ということにも関係していたから、荘園は金銭的にも政治的にも大切だったわけよ。そこで、荘園領主とか、土地を持っている地主などが自分の土地や財宝を守るように武装し始めたのよ。」

「ほえー。」

「そこで、土地争いをしていくうちに、弓矢や騎馬などの武芸を専門とするものが現れ、国司などにつかえ始めたの。そのような人々を武士というの。」

「え?!そうなの?!もともとは、ガードマンやボディガードみたいな役目だったんだ、武士って。」

「そうなのよ。それで武士は地方での力を伸ばしていったの。」

「あ、地方に派遣される国司につかえるから、地方で力が伸びるんだ。」

「さらに都では、天皇の子孫で軍事や武芸を専門とする貴族たちが、皇族や有力な貴族たちにつかえるようになったの。その人たちをと言うの。

その侍の例として、源(みなもと)や平(たいら)がいるの。

源、清和天皇の子孫で、平は桓武天皇の子孫らしいわ。

彼らは、貴族・皇族の護衛や地方の争いの取り締まりをしていって、どんどん地位を高めていったの。

やがて、侍たちが、地方の武士を家来して従えて、結束を固めて、武士団という1つのグループをつくっていったんだ。

その武士団として、有名なのが源氏・平氏

ちなみにその武士団のリーダーを棟梁(とうりょう)というよ。」

「ふえー、地方の武士たちと、都の侍が手を組んで、武士団になって、どんどん力をつけていったんだ。」

「そうなので、それでだんだん力をつけていったから、自分たちだけで国をつくれるんじゃないか?と思ったり、地方で反乱をおこす人たちが現れたり。

その代表例が、平将門(たいらのまさかど)と藤原純友(ふじわらのすみとも)。彼らの反乱を総称して、承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)というの。」

「ふえー。そうだったんだ。」

「あとで、また武士団が出てくるからお楽しみに。」

 

 

「さて、では今度は中央の政治で大きな変化があったから、そちらを見ていきましょう。

この前の授業で述べたように、天皇は存在しているものの摂政・関白が実質的に政治をしていたね。」

「うん、藤原氏が摂政・関白になっていたんだったね。」

「そうそう、ここで一番上の史料を見てみて。今と違い当時は母方の実家を中心に動いていたの。そこで、摂政・関白になることができるのは、天皇の母方のおじさんがなるの。たとえば、この史料で見ると、現天皇の母方のおじさんが関白になっているんだね。」

「あ、じゃあ新しい天皇になったら、藤原氏が摂政・関白になるわけではないことも・・。」

「そうなの。でも、藤原氏は天皇と自分の娘を結婚させて子供を産んでもらい、そしてその子が次の天皇になるようにしていったのよ。だから、ほら史料を見ると、摂政・関白になる人は違うけど、藤原氏一族であることは変わりないよね。」

「あ、ほんとだ。でもこの史料のAが天皇になったら、藤原氏は摂政・関白の地位につけないね。」

「うん。だから、そういう場合には、必死にBが天皇になるように画策したりしてね。たとえば、Aの母親は実は悪いことをした、と言って追い出したりして後ろ盾をなくしたり、天皇候補を出家させて(お坊さんにさせて)候補から遠ざけたり、ひどい場合は天皇候補の暗殺なども・・。(したかどうかは不明です。)。」

「うわー、すごい権力争い。」

「藤原氏一族の間でも、権力争いがあったみたいよ。摂政・関白になるとならないでは権力の強さが違ってくるから。この藤原氏の話は高校の古典などで習うことが多いから楽しみにしてね。」

「・・かなり遠い話だけど楽しみだな。」

「また史料みて。摂関政治に対して、不満を持つ人たちもいるよね。たとえば?」

「藤原氏の他の一族たち。」

「そうだね。では他には?」

「あ・・・天皇!?」

「そう!天皇なんだよ! だって、自分がないがしろにされているんだよ!

  それでもしょうがないや~、藤原氏の言うこと聞いて遊んでおけばいいわ、と思っている天皇もいたんだけど、そういう状態を許さない天皇がいたの。

 この史料で言うと、Bね。」

「あ・・なんかBが文句言ってる。」

「そう。じゃあ、どうすれば藤原氏の摂関政治から逃れられるか・・・。

   彼は考えたわけ。天皇でいるかぎり摂政(関白)に縛られている。

   ・・・では、天皇じゃなかったら、摂政(関白)の言うことを聞かなくてよいのでは?天皇よりも強い位をつくってしまえばいいのでは?とね」

「あったまいいー!」

「それで以前からあった太上天皇(だいじょうてんのう)という、天皇が引退したあとの総称を使って、その太上天皇が政治の実権を握ることを考えたの。

その政治を院政(いんせい)というの。

そして、太上天皇の略称を「上皇」といって、そちらで覚えればいいわ。

上皇が政治をした場所を院と言ったので、院での政治で「院政」と言います。

 

そして、その院政を実際に始めたのが、白河上皇です。」

 「いろいろ考えたんだね。藤原氏もこれで勢力が弱くなって悔しいだろうね。」

この史料はあくまで分かりやすくするために書いた図なので、実際の家系図とは異なるので、それは気をつけてね。

実際には、藤原氏と血縁関係に薄い後三条天皇が天皇になり、その次の天皇の白河上皇が彼の意思を次、院政をはじめています。」

「でもさ、上皇の政治が始まって、天皇はそれでよかったの?」

「いいところに気がついたね。やはり、天皇からすれば、不満たらたら。

   言うこと聞く相手が、摂政・関白から上皇にかわっただけだもん。」

「・・ということは、上皇・天皇・藤原氏の中で色々対立していたんだろうな。」

「そうそう!だから、ほかの貴族たちは、どこに味方につけばいいの?ということで迷ったりもするわけよ。

上皇の力が強いと思うと、上皇の力を頼って、貴族や武士たちから、彼らの所有したいた荘園を院(上皇)に寄進(渡す)ようになってきて・・。」

「荘園を寄進することで、味方ですよ~という印になるってことなのね。」

「うん、それで荘園の争いがもとで、大きい寺院にいる僧が武装して僧兵となって、朝廷に訴えるようになり、それに対抗して院や貴族は平氏や源氏の武士団を警備に当てるようになって・・・。大げさにいえば、もう、朝廷は武士団なしでは守りきれない状況になってきたのね・・。」

「・・・ということは、武士団が院という政治の中心部まで入り込んだってことだよね?!」

「そうなの。・・ということは、いつ武士団が政治の実権を握ってもおかしくない状況になるよね。きっかけさえあれば。そう・・きっかけが・・。」

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文字数の関係で別記事に続きを載せます。

※上の史料は実際の家系図とは異なります。

※わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 



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