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歴史模擬授業(第21回 江戸時代幕末)②-1

2010年12月08日 12時10分29秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業21回目。江戸時代幕末です。今回はペリー来航以前までです。(詳細はこの前の記事をご覧ください。)

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「さて、今回は幕末を行いましょう。」

「わーいわーい!幕末ってよく大河ドラマでもよく挙げられるから、ぼく好きなんだよね。」

「幕末好きな子にはすんなり入る幕末の内容なんだけど、ここでは、何も知らない人向けに話すね。」

「はーい。」

「まず、幕末はややこしい。時間の流れだけを追っているとぐっちゃぐっちゃになる。

それはなぜか?理由は、色んな身分の人、色んな地域の人たちが

ごっちゃごっちゃになって国を動かしていくから、

そして同じ人物や藩でも途中で意見を変えたりするからです。」

「うわー、それはたしかにわかりずらい。」

「だから、先に図式をつくって考えます。

1つは、幕府の人間(将軍・老中・大老など)と、幕府寄りの藩(大名)。

2つ目は、反幕府(幕府を倒したいと思っている)の藩(大名)。

この2つは、身分では武士の中でもトップクラス。

次に3つ目は、トップクラスではない武士たち。(下級武士だったり、脱藩した浪人武士だったり)

ここまでは、身分は武士。

そして、4つ目は農民・町人たち。」

「武士の中を3つの種類に分けるんだ。」

「その図式を忘れずに、話を進めていきましょう。」

「はーい。」

「では、まずは、1700年代後半あたりからの日本と外国の関係から見ていきましょう。

1700年代にヨーロッパ国内では市民による革命がおこります。

(中学で習う、清教徒・名誉・フランス革命およびアメリカ独立戦争)

この革命で、国王は倒され、国民が政治に参加していきます。

つまり、国民中心の民主主義の政治になったということ。

そうすると国民たちは、自分たちが自分たちの国をつくっているんだ!という誇りを持ち始めます。

外国と貿易をしてお金を稼ぐことに必死になる国民も出てきます。

さらに、化学・工業技術も発展して、大きな船や強い武器なども作り始めます。(中学で習う産業革命)」

「国にお金がないと、国民の生活もままならないからね。」

「そうそう。そこで、少しもで利益があげれないかな?とヨーロッパの人々は考える。

外国から輸入するときに、安く購入できて、自分の国でつくって輸出したものを、

めいいっぱい高くして売れば、

利益はあがるでしょ。そうしたい!と思ったわけよ。」

「えー、でもそんなの、貿易する相手はいやがるでしょ!」

「うん。だから、力づくでその国に言うことをきかせるの。ヨーロッパに有利なように。」

「ええええー。」

「たとえば、貿易したいなぁと思う国の中で反乱などがおこったときに、

ヨーロッパの軍隊がその反乱をおさえてあげるのよ。

その国の王様に「手伝いましょうか?」と言ってね。

それで反乱を抑えたあとで、

「あなたは自分の国の反乱を抑えることもできませんでしたね。なので、私たちの言うことききなさい。

きかないのなら、攻撃をさせていただきます。ま、勝てるとは思いませんけどね。」

とヨーロッパは相手国に言い、いうことをきかせるようになったのよ。

他にもいろいろなやり方があるけど、これは一例ね。」

「えー!ひどい!」

「このように、一方的に相手国の言うことを聞き、相手国に占領される場所のことを植民地と言います。

(政治の権利をほ奪われた状態)」

「なんで、そんなことをしてヨーロッパは平気なの?」

「ヨーロッパからしたら、自分たちが革命をおこして得た民主主義精神が一番正しいと思うの。

だから、民主主義の国でない国に、自分たちの素晴らしい精神を教えてあげよう!という意味もあるのよね。」

「えー!自己中じゃん!」

「ええそうね、でも、あなたたちも民主主義が正しい国のあり方だと思っているんでしょ。

独裁者は悪だ、だから独裁者に苦しめられている国を救おうと思う気持ちがあったりしない?」

「う・・・たしかにある。」

「もちろん、私も民主主義が正しいとは思う。

この時期のヨーロッパがしていた植民地政策を良いことだとは思わない。

でも、自分はきれいな心の持ち主でぜったいそんなことしない!とも思わないの。

だから、自分が、このような状態にならないよう、常に気をつけなければ、とね。

政治とか大きな話ではなく、日常生活で。

自分が正しいと思う世界以外で生きている人たちを、

非難しまくったり、力づくで矯正(直す)したりしないようにしなければいけないと。

自分が正義で、あの人が悪いから正してあげよう、という精神がいじめや差別を生むと思うから。

自分は自分の正しい道を進めばいいと思う。でも、相手にはそれを強要しない、とね。」

「たしかに・・・。自分は正しい、と思って、歴史上の人物たちは馬鹿だ、と思ってはいけないんだね。

歴史が犯してしまった失敗は常に現代の私たちにもおこりえることで、

二度と同じ過ちを繰り返さないように努力すべきなのね・・。」

「そうね。それが歴史を学ぶ意義の1つね。

では、入試に出る話に戻ります。」

「はーい。」

 

「このようにヨーロッパは、常に貿易相手を求めてた。

その貿易相手国にあわよくば反乱がおこったりするば、

それに乗じて、占領できる(その国を植民地にできる)とね。

だから、もちろん日本とも貿易したいとヨーロッパの国々は思うわけ。

でも日本は鎖国してるよね。」

「そうだったね。」

「だから、日本には、まず、通商を、つまり貿易を始める(開国をする)ことをお願いしにくるの。」

「そっか。とにかく門が開かなきゃ、攻撃だって出来ないもんね。」

「そこで、まず、日本に通商を求めて来たのがロシア。」

「ロシアは日本に近いもんね。」

「1792年にロシアのラクスマンという人が北海道に来たの。

そうしたら、幕府は、

「うちは鎖国しているから、もし話したいなら、唯一の交流地である長崎に行ってくれ。」と

言います。そして結局、ロシアは日本と貿易を始めることをできずに帰っていきます。」

「日本は鎖国を守る姿勢のままなのね。」

「そのあとでも、ヨーロッパの国々が通商を求めて来るようになったので、

日本は守りを厳しくせねばと思ったの。」

「たしかに・・。」

「そこで、間宮林蔵(まみやりんぞう)に樺太を探検させたり、伊能忠敬によって測量が行われたり。

自国の地形がわかっていないと、守るものも守れないからね。」

「え?伊能忠敬が日本地図をつくったのってそういう意味もあったの。」

「それだけが目的ではないんだけど、そういう一面もあったみたいよ。」

「ほえー。」 

 「このように、日本が外国に警戒心を持ち始めている最中、また事件がおこったの。

今度は長崎で、イギリスの船が入ってきちゃったの。」

「え?イギリスの船がどうして日本に入ってこれるの?」

「これが、たくみでね。当時、オランダはフランスに占領されていたのよ。(ナポレオンにより)

イギリスとフランスは敵同士で、常に対立状態で。

だから、フランスの支配下におかれたオランダも敵(もしくは敵のフランスから救うべき国)になる。

そこで、オランダ船をつかまえるために、日本にも来たの。」

「えー。ヨーロッパではそんなことが・・・。」

「で、日本はオランダがフランスの支配下にはいったことを知らない。

オランダ船はまだかな~と思って、待っていたら、

オランダの国旗を掲げた船が来たから、長崎の港にその船を入れた。

そしたら、それはイギリスの船だった!」

「そりゃ、びっくりだ!」

「イギリスは人質を取って、立てこもりをします。

日本は、食料などを渡しイギリスは、返っていきます。」

「おわー。」

「その事件を、フェートン号事件(1808年)と言うの。」

「ほえー。」

「で、ここまでは実はあまり入試に出ません!」

「えー。」

「ただ、ここらへんを話していないと、後の歴史で意味が分かんなくなるからお話しました。

さて、入試ではここからが重要。」

「はい!」

「実はこのころは、ロシアもイギリスもアメリカなどヨーロッパ(&アメリカ)の国々の船が日本に来る状態。

さらに暴動を働くこともあった。

それでもう日本はフェートン号事件みたいに外国船を日本国内に入れて問題を起こしたくないと思ったの。

そこで、幕府は、とにかく外国船が日本に入ってこようとしたら問答無用で攻撃しちゃおう!という命令を出します。

それが1825年、異国船打払令(外国船打払令)と言います。これはよく入試で出るよ。」

「えー、それって大丈夫なの?突然攻撃された外国船は、日本が悪いことをした、

と言って攻撃してくるんじゃ。」

「そうだよね。ひどい場合は日本が外国に占領されちゃうよ!」

「でしょ、そう思うよね。外国船の中には、釣りや漁などをしていた日本人が波にさらわれて漂流しているのを助けて、親切に日本に届けてあげよう、として日本に来てくれる外国船だっているんだよね。」

「そうだよね。」

「だから、当時の人々もそう思ったの。かえってそれは日本の首を絞める行為だよ!と、

このように外国船打払令を批判したのが、渡辺崋山(わたなべかざん)や高野長英(たかのちょうえい)。」

「この人たちは、状況が分かっていたんだね。」

「彼らは蘭学も勉強していたから、ヨーロッパの国々の恐ろしさもわかっていたんだよね。」

「ほえー。やっぱり勉強していると未来がわかるのね。

「しかし、幕府は、渡辺崋山たちの言動を許さなかった。

幕府のすることに文句をつけるとはなにごとだ!と。」

「まあ、朱子学の大好きな幕府だもんね。」

「そこで、幕府は渡辺崋山高野長英たちを処罰したの。

それを、蛮社の獄(ばんしゃのごく)(1839年)と言います。」

「うーん、いろいろと難しいね。」

 

「で、このようなごたごたして不安定な状態のときに、日本国内はどうだったかを見るね。」

「はい。」

「江戸時代中期のころから、

たびたび農民の反乱である百姓一揆や町人たちの暴動である打ちこわしがたびたびおこっていたの。」

「そうなんだ。」

「それが、この時期にとくにひどくなるの。

ひどいききん(不作で収穫できなくなく食料がなく、多くの人が餓死(がし)すること)がおこってね。」

「こういう場合、ききんがおこった場所に食料を配布すべきだよね。」

「そうだよね。」

「でも、自分たちもいつ食料がなくなるかわからないから、と言って、役人が米を隠していたの。」

「えー。もう死ぬ寸前の人たちも多くいるのに。」

「そのことに気がついた人物がいた。その人が、ききんで苦しんでいる人を救おうと反乱をおこすの。

大阪奉行所の元役人であった大塩平八郎。」

「役人が?!」

「そう。この乱を、大塩平八郎の乱と言います。(1837年)

よく入試で、「大塩平八郎の乱は人々に衝撃をあたました。それはなぜか、2つ理由を書きなさい、と出るの。」

「え・・・理由?」

「さっき、え?役人が?驚いたでしょ。それが1つの理由。」

「あ、今も昔も人の心は変わらないんだね。」

「あと、もう1つは、どこで起こったか、が問題。場所は大阪なんだけど・・大阪ってどういう場所だったっけ。」

「たしか、天下の台所と呼ばれていた・・。」

「そうつまり、何の中心地だったの?」

「あ、経済の中心地。」

「そう、大阪は経済の中心地だよね。それって、一番豊かな地域なはず。

なのに、そこで反乱がおこった、というのはびっくりなのよ。」

「たしかに。」

「ということで、理由は2つ。

1つは、幕府の元役人が起こしたから

もう1つは、経済の中心地である大阪でおこったから、です。」

「ほえー。」

「この大塩平八郎の乱をきっかけに、各地で百姓一揆や打ちこわしがさらに激化するの。

幕府は、いっぱいいっぱいになるでしょ。そこで、もう1度幕府の勢力を取り戻そうと、改革を起こすの。

これが、江戸中期に話した三大改革の最後の改革です。

改革の名は天保の改革(てんぽうのかいかく)。」

「天保の改革・・。」

天保の改革(1841年)を行ったのは老中水野忠邦(みずのただくに)。

水野忠邦は、とにかく米がとれるようにしてききんをなくさねば、と考え、

江戸(つまり町)に出ていた農民たちを強制的に農村に返します。米をつくってくれ!とね。」

「たしかにね・・。」

「あとは、江戸や大坂周辺などの大切な場所で大名や旗本たちが所有していた土地を

幕府の直轄地にしようとした。」

「幕府主導の完全なる中央政権に戻したかったのかな。(予想)」

「あと、もう1つが一番入試に出やすい。田沼意次のところで習った、同業者組合ってあったでしょ。」

「株仲間だ。」

「そう、その株仲間を水野忠邦は解散させちゃうの

株仲間が自分たちの利益を上げようとして値段を統一して値段を今まで以上にあげちゃうから、

物価を引き下げるためにね。」

「でも、改革の内容をみるかぎり幕府の言うこときかなきゃいかんぞー!

という姿勢だから反発されないのかな?」

「うん。結局、大名たちに反対されて、水野忠邦は2年余りで老中を辞めさせられてしまいます。」

「ありゃりゃ。」

 

「このように、日本国内でも一揆や反乱がおこったりでごたごたした状態だった。

では、(ちょっと時代は前後するけど)またそのころの外交をみていきましょう。」

「はーい。たしか、1825年に異国船打払令が出ていたね。」

「そうそう。その打払令が出ていたときに、ある事件がおきた。

アメリカが、日本の漂流民を日本に戻そうとして日本に来航しようとしたの。

(通商・布教目的も含まれていたが・・)

でも、異国船打払令がだされているでしょ。そうしたら・・・」

「アメリカ船が攻撃される。」

「だよね。で、実際に日本は攻撃をしたわけよ。」

「あわわ・・。」

「そのあとで、調査をしたら、そのアメリカの船は非武装(何も武器をもっていない)状態で、

漂流民のために来たことがわかったの。」

「じゃあ、アメリカがおこって日本に攻撃する可能性だって高いよね。」

「それで、日本はその船がどこの国の船か調べたら、当初はイギリスの船だ、という調査報告がでたの。

「え・・・あのおそろしいフェートン号事件をおこしたイギリスさん?ひー!」と日本は恐怖を感じるの。

さらに、オランダ(この時期にはもうすでにフランスから独立)からの、大国の清がイギリスと戦争して

負けた(中学で習うアヘン戦争のこと)、という情報も入ってきた。

「あの強い清を負かすほどのイギリスに、我らが勝てるはずない!」と」

「たしかに、当時の日本からしたら、中国(清)は世界の中心と思っているんだもんね。」

「それで、この事件および異国船打払令に反対した人物たちを幕府が処罰した蛮社の獄がおこり、

そして結局最終的に、幕府は異国船打払令を取り消します。」

「つまり、もう外国船が日本のまわりをウロウロしてても、問答無用で攻撃しなくなったんだね。」

「そうなの。

このように、手薄になった状態の日本に絶妙なタイミングで来たのが、どの国になるかというと・・」

「なるかというと・・・。」

「では、今日の授業はここまで。」

「えー!続きが気になるよう!」

「ふふふ。ではでは次をお楽しみに。起立・礼。」

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 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

 



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