昨日の歴史模擬授業の続きです。(詳細は昨日の記事をご覧ください)
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「ではでは、前回の続きを行いましょう。」
「はい!異国船打払令を取り消した後で、日本はどうなったんだろう。どきどき」
「うふふ。1853年、ある国が日本に来航したことで、日本のその後の歴史が大きく変わります。
そして、そこから幕末の動乱に突入します。」
「ほえー。」
「ではいきます。
1853年に来たのはアメリカ合衆国です。
そのとき、アメリカ大統領の国書を持ってきた代表者がペリー。」
「あ、ペリーっていう言葉は聞いたことあるよ!」
「このペリーは4隻(せき:船の個数の単位)の軍艦(ペリーがこのとき来た船を別名黒船という)を
ひきつれて、浦賀に来ます。」
「浦賀ってどこ?」
「神奈川県の港町だよ。」
「え?神奈川?今までは、外国船が来るのはたいがい北海道とか長崎だったよね。」
「良いところに気がついたね。わざわざ浦賀に来たのはアメリカ側の意図があったと言われているわ。
神奈川って東京に近いよね。東京って、誰がいる?」
「え?東京都民?」
「ま、たしかに、そうなんだけど(笑)。えーと、重要人物で、というか重要な役職?」
「あ、将軍!東京に江戸幕府があるもんね!」
「そうそう。だから、江戸幕府に近い場所に来たの。」
「そういえば、今回のアメリカ船は軍艦ってさっき先生が言っていたよね。
異国船打払令のときに日本が攻撃したアメリカ船は非武装だったのに。」
「うん。これもまた良いところに気がついたね。
つまり、浦賀という江戸幕府にほど近いところに、軍備を備えた船が来るというは、
江戸幕府を脅してでも、日本に通商を求める気満々だったとも考えられるの。(1つの説です)
んで、日本はアメリカ船を攻撃をしようとも、あの大きな船に勝てない。」
「ほえー。わざと東京湾じゃないのが、いつでも東京湾まででもいくよ、と言っている感じがする(予想)」
「まあ、大きな船が停められる深さに最適な場所でもあったんだろうけどね。」
そして、アメリカは日本に鎖国をやめて、通商つまり貿易を開始しろという。
ちなみに鎖国をやめて外国と交流をし始めることを開国と言います。
開国とはこれからよく使うから忘れずに。」
「はーい。」
「でも、日本はそれでどうしたの?鎖国をかたくなに守ってきたよね。」
「うん、そうだよね。だから、すぐには決められない。」
「でもそうしたらアメリカに威嚇(いかく)の攻撃されるんじゃ・・。」
「そこで、日本は、こういう手段にとります。
「ちょ、ちょっと待って!1年!1年たったらお返事しますので!
今しばらくお待ちを!」と。(当時同じ言葉を使ったわけではありません、)」
「先延ばし作戦だ!」
「そして、ペリーさんも「わかった。楽しみにしてるわ~。」と言って帰っていきます。」
「ほー。これで少しは落ち着いて考えられるね。」
「当時の人々はどう思ったの?」
「今までに見たことがない大きさの船だし、大砲も積んでいて、ものすごい迫力で驚いたそうよ。
それで、このペリーの来航についてうたった狂歌(江戸時代のこっけい風刺の短歌)があるの。
「太平の ねむりをさます上喜撰(じょうきせん) たった四はいで 夜もねられず
意味:太平(平和)だった日本の眠りをさます蒸気船(ペリーの米軍艦)
上喜撰(お茶)を4杯飲んだ時のように(←コーヒーと同じくカフェイン効果?)、
たった4はい(4隻)の軍艦によって幕府は眠れないんだろうな」
とね。」
「たしかに、幕府はねられないよね。200年以上続けてきた状態を変えることになるんだから。」
「そして1年後に、日本に来たアメリカに対して、日本は開国すると約束し条約を結びます。
その条約を、日米和親条約(にちべいわしんじょうやく(1854年)と言います。」
「ついに、開国したんだ、日本。」
「日米和親条約の細かい内容を覚えておきましょう。
開国して貿易を開始するには、大きな船を船が入れる港が必要でしょ。
そこで、新しく港を設置します。(開港)
開港したのは2つい、下田(静岡)と函館(北海道)です。
これは、すっごく入試に出やすい。しかも、場所まで聞かれるから、地図も要チェック!」
「はい!」
「あと、他に、アメリカは日本を開国させるのは
中国と貿易をする際の中継地点として日本が必要でもあったので、
この条約で、薪(まき)や石炭などの燃料をアメリカに日本が補給することも決めました。」
「そうなんだ。」
「他にも、アメリカの領事(領事館:外国において、自国の通商をまとめ、自国の人々の援助および保護する施設。)を日本に置くことを認めさせたりね。」
「ほえー。」
「このような条約を同じように結んだ国に、イギリス・ロシア・オランダがあるわ。」
「アメリカを含め4つの国と開国し、貿易を始めたんだ。(オランダは制限貿易はあったけれど)」
「こうして200年以上続いた鎖国は終わります。」
「うむー。」
「で、ここまでなら、まだ良かった。
それがね・・日米和親条約を結んだ4年後に日本が結んだ条約が
これからの日本をさらに大きく変えていくのです。」
「え?」
「その条約が、日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)(1858年)。
これは、朝廷の許しを得ないで幕府側が勝手にアメリカと結んでしまった条約なのです。
アメリカ総領事のハリスと、大老井伊直弼(いいなおすけ)。」
「大老って、江戸初期で習ったよね。臨時ででてくる役職だったよね。」
「そうそう。そのとき、大老が出てくるよ~と言ったのはこのことだったの。」
「あの・・条約って朝廷の許可が必要だったの?」
「ペリー来航後、幕府は外交を独占する体制を変えて朝廷に報告するようにしていたの。」
「そうなんだ。」
「国の一大事だから朝廷の力を借りようとしていたのかな?(予想)」
「それによって、この時期は、失われていた朝廷の権威が高まってきたときだったから、
幕府は朝廷を無視したから何事だ?!という風になった。」
「たしかに・・。」
「でも、それがみんなが納得できる条約の内容だったら、まだマシだった。」
「問題があったの?」
「うん、あった。日米修好通商条約は、日本にとって不平等な条約だったの。」
「えー!」
「アメリカ側からしたら、民主主義でもない遅れている国と対等な関係を結べない、ということなんだよね。」
「うーむ。このまえ言っていた、欧米の民主主義至上主義かぁ。」
「その不平等な内容は2つ。
領事裁判権(治外法権)を認めた、のと、関税自主権がなかった。」
「??難しい言葉で意味がわからないよう。」
「領事裁判権とは、その国にいる外国人がその国で罪を犯した場合に、その国で裁けない、ということ。
つまり、日本に来ているアメリカ人が日本で罪を犯しても、日本はそのアメリカ人の裁判ができなくて、
そのアメリカ人は自国アメリカで裁かれる。」
「えー!今とは違う!」
「だから日本からしたら大きな罪なのに、アメリカからしたら小さい罪で、
その罪をおかしたアメリカ人は無罪とか罰金で済んだりすることだってあったのよ。」
「うわー、あきらかに外国が有利じゃん!」
「関税自主権がない、というのは、関税の税率を日本が自分で決められない、ということなの。
つまり、輸入品も輸出品もアメリカが決めるから、
日本への輸入品の税率は高く、日本がアメリカに輸出する輸出品の税率は低くすることだってできる。
そうすれば、アメリカは日本の製品は安く手に入って、自分のつくったものは高い利益があがるよね。」
「それじゃあ、日本は貧乏になっちゃうよ!」
「でしょ!だから、この不平等条約でこれからの日本はすごく苦しめられる。
明治時代になってからも、この不平等条約を改正するため(不平等な内容をなくすために)、
新政府は動いていくことになる。」
「ほえー。」
「この内容は、記述でよく出ます。「日米修好通商条約の不平等な内容は何か2つ挙げよ。」とね」
「治外法権を認める、と、関税自主権がない、だったね。」
「そうそう。よく、丸暗記している子が、「領事裁判権(治外法権)」「関税自主権」と単語だけ書いて×に
なるので注意ね。領事裁判権がどうなった、まで書かないとね。」
「はーい。」
「あと、日米修好通商条約では、新たに5つの港を開港します。
長崎・神戸(兵庫)・横浜(神奈川)・新潟・函館(日米和親条約で一度開港し、閉鎖し、また開港)。」
「長崎は覚えやすいね。鎖国していたときから、外国の窓口だったもんね。」
「長崎が南の窓口で、函館が北の窓口なんだね。」
「横浜は政治の中心地江戸幕府に近く、
神戸は経済の動きがさかんな大阪や朝廷のある京都の近くだ、と覚えると忘れないかも。」
「あとは、日本海側にあるのが新潟と覚えるといいわね。」
「はーい。」
「この5つの地域は、
今でも、日米修好通商条約で開かれた港で多くの外国人が来たんだな~と思われる場所が多くあるよ。
横浜や神戸は欧米の建物や外国人墓地もある。函館にも、多くの教会が密集している、などね。」
「へー。」
「たとえば神戸は、神戸異人館と言って、見ごたえたっぷりの建物が多い地域があるよ。」
「こんど、行ってみようかな!」
「日米和親条約で開かれた港とともに、
日米修好通条約で開かれた港は地図とともによく出るのでしっかり覚えておいてね。」
「はーい。」
「あと、日米修好通商条約と同様な内容(不平等な内容)を、アメリカ以外の4カ国、
イギリス・フランス・ロシア・オランダとも結びます。」
「え!じゃあ、5つの国に好き勝手されるよう。」
「だよね。だから、これが幕末の動乱をひきおこすんだよね。」
「そこにつながるんだ。」
「あとよく、日米和親条約と同じような内容を結んだ国を、
アオイロ(アメリカ・オランダ・イギリス・ロシア)と、
日米修好通商条約を結んだ国を、
アオイフロ(アメリカ・オランダ・イギリス・フランス・ロシア)と覚えろ、
という暗記法があるけど、私はあまりおすすめしないです。」
「なんで?便利なのに。」
「たいがいさ、これは便利だと思って、覚えた気になっちゃうだけ。
それに、しっかりよく見ると、和親条約ではフランスだけがはいっていないでしょ。
それって、フランスが日本進出に出遅れたんだと気がつかない?
(高校の世界史で習うとわかるけど、ナポレオン三世の政権が誕生したばかりの時期だったので)
だから、そのあと、フランスがやっきになって日本に介入してくるのよ。」
「あと、ドイツとイタリアが入ってないでしょ。
ということは、フランスよりもこの2つは海外進出に出遅れているというのがわかる。
だから、これが第一次世界大戦・第二次世界大戦につながっていくの。」
「えええ!ここからそこまで読み取れるの?」
「うん。ただ世界の歴史を知らないとわからないんだけど、安易な暗記法に逃げているうちは
理解するという能力が育たないから、出来るだけそのまま覚えて、どの国が入っているか
入っていないかを理解してほしい。(理解したあとで暗記術を使うのはかまいませんが)
「はーい。」
「さて、では次は不平等条約を結んだあとの国内の動きを見ていきましょう。」
「はい。」
「さきほど話したように、
日米修好通商条約は天皇(朝廷)の許可を得ないまま大老(幕府)が勝手に結んでしまったね。
そこで、それについて非難する人々が現れたの。」
「異国船打払令のときと似てるね。」
「もちろん大老井伊直弼は、幕府を非難した人々を厳しく処罰した。
それを安政の大獄(1859年)と言います。」
「おわー。」
「安政の大獄で処罰された人の1人に
長州藩(山口県)の吉田松陰(よしだしょういん)という人がいてね。
実は私はこの人にすっごくあこがれているんだよね。」
「?」
「吉田松陰先生は、長州で松下村塾という塾を開いて、
そこの塾生が、松陰先生の意志をついで後の幕末の動乱から明治で活躍するの。
松下村塾の塾生には、木戸孝允(きどたかよし。桂小五郎とも言う)、伊藤博文、高杉晋作などがいるの。
彼らはあとで登場するのでお楽しみに。」
「はーい。」
「ちなみに先生はなぜ松陰に憧れているの?」
「松陰先生は、当時からしたら最先端のことを言っていたわけよ。
そのときはほとんど味方がいないのに、
ちゃんと信念を持って生きていたってことだよ。
さらに塾を開いて、若い子供たちに自分の姿勢と日本の未来を教えたんだよね。
塾の主役はあくまで生徒で、塾の先生は彼らを一人前の自立した人間に育てることにある。
先生の意志を体現する人間だって現れる。だから先生は未来のビジョンを持って生徒に接する必要もある。
だから、それを成し遂げた松陰先生はすばらしいと思うの。」
「ほえー。」
「だから、就職試験で塾の先生に受かったときは、わざわざ山口の松下村塾のある場所まで行って、
松陰先生に「これから逆風に向かって、がんばって先生業を続けていきます!」とあいさつしてきたりも。」
「え?松下村塾は今でもあるの?」
「うん。もちろん塾として存在しているわけではなくて建物だけど。
松陰神社の境内にあって、当時の雰囲気が感じられるよ。
あと、松陰神社を出て、少し歩くと、伊藤博文の家もあるし、バスか貸し自転車で少しいけば、
高杉晋作や木戸孝允の生家にも行けるわよ。」
「ほえー。すごい!」
「山口県の萩(はぎ)には、昔の建物や有名人ゆかりの場所がたくさんあるので、
一度行ってみるといいわよ。
実際にそのあたりをあるくと、木戸さんはいいところのおぼっちゃんなんだろうなぁとか、
晋作と家が近いから、仲好しだったのかな?と思ったり。」
「へー。」
「いかん、いかん、つい好きな歴史人物が出てきたから、語ってしまった。
ここでは、安政の大獄で処刑された吉田松陰という人物が松下村塾という塾を開いていたとだけ覚えれば良いからね。」
「はーい。」
「そして今度は安政の大獄を行った大老井伊直弼が、
水戸藩の浪士(主君から離れたフリー武士)によって暗殺される事件がおきます。
それを桜田門外の変(1860年)と言います。」
「もう、ぐっちゃぐちゃだね。」
「そうなの。もう、幕府がガタガタになってきているのがわかるよね。」
「うん。」
「そこで、これから、倒幕に向けて動いて日本は動いていくわけですよ。」
「ふんふん。」
「では今日はここまで。次は幕末の動乱をみていきましょう。では終わります。起立・礼!」
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わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません