2013年の自分のプライベート目標は「中山道はじめる!」だったのになかなか始められずに年末へ突入してしまいました。
なので年末年始休暇の1日目を使って最後のあがき。
何が何でも中山道を2013年中に始める旅
これを強行突破でした(^^;
当初立てた目標としては
日本橋~板橋宿~蕨宿~浦和宿(約24キロ)
いつも連休の時の歩きは30キロ以上歩くので、だいぶ控えめに、楽勝なくらいの距離を組んだ・・・
つもりでしたが、
ちょいと10月から踵の不具合がありまして(歩き過ぎと、自分で色々無理しすぎだったらしい)。
もちろん身体の声(「何事も今は無理すんな!」と怒られ中)なので、そこはおとなしく聴かなくてはならないわけでして。
「果たして歩けるのか?」「大都会で立ち往生かも・・・」
と、ドキドキな感じで始まった連休一日目なのでした。
まずは年末恒例、18きっぷで目的地まで東海道本線の旅。
(←東海道線車窓から。朝日の昇る前の海@神奈川県)
当然、5:05東静岡駅発の、始発列車に乗り込みます。
上りは東静岡駅があるので楽ちんです♪
(西に行くときの始発は5:01静岡駅発なので自宅出発が4:20、有料自転車置き場も開いていないので苦労する)
8時30ぐらいに東京駅到着。お腹が空いたので駅構内で朝ご飯の予定だったのですが、どこも行列なのでやめて歩くことにする・・・が、駅構内でトイレやらウロウロしていたので、30分のロス(^^;
まずは、目指せ、日本橋!
ワタシという人間は都会が苦手なので東京は全く土地勘がない。
おまけに方向音痴である<(`^´)>←威張んな
よって東京駅から日本橋まで歩くのにまず苦労する。
うろうろ・・・・うろうろ・・・・ヨロヨロ・・・
←あった!!
無事に辿りついた!(TдT)←ちと迷った
・・・って、まだスタート地点ですから!
初っぱなからこれでよいものだろうか・・・
日本橋は五街道の出発点です!・・・て、あれ?自分は五街道ちゃんと言えるのだろうか。
東海道、中山道、奥州街道・・・・甲州街道(あやしくなってきた)・・・・日光街道!!
・・・あってる?(^^; ↓正解はこちら
http://ja.wikipedia.org/wiki/五街道
で、とりあえず日本橋をウロウロ見学です。
しまった、遊びすぎた!
とっとと中山道始めなくてはいけなかった。
歩き始めるとまずは
おなじみ三越デパート!
松阪の豪商、三井家の越後屋は江戸時代すでにトップブランド。粋な人は「越後屋」で仕立てる
「現金掛け値※なし」の画期的な商法!
急いでいる人はその場ですぐに着物を仕立てられる「仕立て売り」、一反ではなく客に応じて反物の一部を売る「切り売り」もして評判を得ていました。
このあと、カフェを見つけてちと休憩(お腹空いてた)。
東京駅は大混雑でしたが、道ばたにあるカフェはどこもガラ空きでした。
とりあえずちょっとお腹に入れたらまた歩き始めます。
あさひ銀行前にある「十軒店跡」の説明板
五代将軍綱吉が、京都の雛人形師10人を江戸に招いて、その人数分の長屋を与えたのが始まり。
人形を売る店が十軒あり、大賑わいだったが明治以降急速に衰えてしまったとのこと。
・・・と書きながら、増田先生に教えて貰ったこの地図を開く↓
おぉぉ、ホントだ、十軒店が古い地図のほうには描かれている!(@_@;)
おつぎは今川橋跡
銅板に刻まれているので、こう日が当たったり影ができたりしていてはまったく読めませんね(^^;
今川橋由来碑
今川橋が神田堀(別名神田八丁堀・龍閑川)に架設されたのは天和年間(1681-83)との記録があります。橋名の由来は、当時の名主今川氏の尽力により架けられたのでその名が残りました。この橋は日本橋から中山道に通ずる重要な橋でもありました。
神田堀は現在の千代田区神田・中央区日本橋地域の境を流れ、その役割は非常に大きく当時の運輸手段の主流でもありました。
昭和25年(1950)龍閑川は埋め立てられ三百年近く慣れ親しんだ今川橋も撤去され、現在はその面影もありません。
左図の絵図は江戸次第末期頃の界隈風景です。この橋辺には陶磁器をあきなう商家が立ち並び、大層賑わったといいます。
東京も江戸だった頃の遺構があちこちにあって大変楽しいです(^^)♪
ここにも坂の説明がありました。
淡路坂
この坂を淡路坂といいます。この坂には、相生坂、大坂、一口坂などの別名もあります。坂上には太田姫稲荷、道を挟んで鈴木淡路守の屋敷があり、これが町名・坂名の由来といわれます。一口坂は、太田姫稲荷が一口稲荷と称したためです。
昌平橋を渡って
湯島聖堂を通り過ぎて
神田明神に、ヒョコヒョコと立ち寄ります。
なんとなく平将門びいきなので(^^;
しかし、年末でごったがえしていたのですぐに出てきてしまいました。
写真を見るとガラ空きのように見えますが、ワタシがカメラを構えているところに限って人がたくさんウロウロしていたので、いたたまれなくなって出てきたというのが正しいところですが(^^;
年末はどこも忙しいからねー。
混雑が苦手な人は年末年始は特に、神社仏閣は気をつけないとイケマセン。
老舗の甘酒屋「天野屋」で、娘へのお土産をゲット。
甘酒飲みたいけれど踵が痛くなるのはカンベンなので我慢です。
このあたりで既に疲れて休憩が多くなってきました。
写真も「どうでもいい」感がただよってますね。露光とか、アングルとか、まったく考える余裕がないという。
果たして自分は、この日のうちに浦和宿へは辿り着けるのかっ?
次回へつづく(^^;
なので年末年始休暇の1日目を使って最後のあがき。
何が何でも中山道を2013年中に始める旅
これを強行突破でした(^^;
当初立てた目標としては
日本橋~板橋宿~蕨宿~浦和宿(約24キロ)
いつも連休の時の歩きは30キロ以上歩くので、だいぶ控えめに、楽勝なくらいの距離を組んだ・・・
つもりでしたが、
ちょいと10月から踵の不具合がありまして(歩き過ぎと、自分で色々無理しすぎだったらしい)。
もちろん身体の声(「何事も今は無理すんな!」と怒られ中)なので、そこはおとなしく聴かなくてはならないわけでして。
「果たして歩けるのか?」「大都会で立ち往生かも・・・」
と、ドキドキな感じで始まった連休一日目なのでした。
まずは年末恒例、18きっぷで目的地まで東海道本線の旅。
(←東海道線車窓から。朝日の昇る前の海@神奈川県)
当然、5:05東静岡駅発の、始発列車に乗り込みます。
上りは東静岡駅があるので楽ちんです♪
(西に行くときの始発は5:01静岡駅発なので自宅出発が4:20、有料自転車置き場も開いていないので苦労する)
8時30ぐらいに東京駅到着。お腹が空いたので駅構内で朝ご飯の予定だったのですが、どこも行列なのでやめて歩くことにする・・・が、駅構内でトイレやらウロウロしていたので、30分のロス(^^;
まずは、目指せ、日本橋!
ワタシという人間は都会が苦手なので東京は全く土地勘がない。
おまけに方向音痴である<(`^´)>←威張んな
よって東京駅から日本橋まで歩くのにまず苦労する。
うろうろ・・・・うろうろ・・・・ヨロヨロ・・・
←あった!!
無事に辿りついた!(TдT)←ちと迷った
・・・って、まだスタート地点ですから!
初っぱなからこれでよいものだろうか・・・
日本橋は五街道の出発点です!・・・て、あれ?自分は五街道ちゃんと言えるのだろうか。
東海道、中山道、奥州街道・・・・甲州街道(あやしくなってきた)・・・・日光街道!!
・・・あってる?(^^; ↓正解はこちら
http://ja.wikipedia.org/wiki/五街道
で、とりあえず日本橋をウロウロ見学です。
しまった、遊びすぎた!
とっとと中山道始めなくてはいけなかった。
歩き始めるとまずは
おなじみ三越デパート!
松阪の豪商、三井家の越後屋は江戸時代すでにトップブランド。粋な人は「越後屋」で仕立てる
「現金掛け値※なし」の画期的な商法!
※掛け値というのは、今でいう「ボーナス払い」のような、年二回の集金で商品を売るため、回収不能になったり少ししか集金できなかったりというリスクがあった。よってそのリスクを回避するために実際の金額より高く値段を設定すること。
越後屋はその場で現金取引するため、その上乗せ分を設定しなくて済むので普通より安価で商取引ができる。
越後屋はその場で現金取引するため、その上乗せ分を設定しなくて済むので普通より安価で商取引ができる。
急いでいる人はその場ですぐに着物を仕立てられる「仕立て売り」、一反ではなく客に応じて反物の一部を売る「切り売り」もして評判を得ていました。
このあと、カフェを見つけてちと休憩(お腹空いてた)。
東京駅は大混雑でしたが、道ばたにあるカフェはどこもガラ空きでした。
とりあえずちょっとお腹に入れたらまた歩き始めます。
あさひ銀行前にある「十軒店跡」の説明板
五代将軍綱吉が、京都の雛人形師10人を江戸に招いて、その人数分の長屋を与えたのが始まり。
人形を売る店が十軒あり、大賑わいだったが明治以降急速に衰えてしまったとのこと。
・・・と書きながら、増田先生に教えて貰ったこの地図を開く↓
東京時代MAP―大江戸編 (Time trip map-現代地図と歴史地図を重ねた新発想の地図-) | |
新創社 | |
光村推古書院 |
おつぎは今川橋跡
銅板に刻まれているので、こう日が当たったり影ができたりしていてはまったく読めませんね(^^;
今川橋由来碑
今川橋が神田堀(別名神田八丁堀・龍閑川)に架設されたのは天和年間(1681-83)との記録があります。橋名の由来は、当時の名主今川氏の尽力により架けられたのでその名が残りました。この橋は日本橋から中山道に通ずる重要な橋でもありました。
神田堀は現在の千代田区神田・中央区日本橋地域の境を流れ、その役割は非常に大きく当時の運輸手段の主流でもありました。
昭和25年(1950)龍閑川は埋め立てられ三百年近く慣れ親しんだ今川橋も撤去され、現在はその面影もありません。
左図の絵図は江戸次第末期頃の界隈風景です。この橋辺には陶磁器をあきなう商家が立ち並び、大層賑わったといいます。
平成四年四月吉日
と書かれていたのです。東京も江戸だった頃の遺構があちこちにあって大変楽しいです(^^)♪
ここにも坂の説明がありました。
淡路坂
この坂を淡路坂といいます。この坂には、相生坂、大坂、一口坂などの別名もあります。坂上には太田姫稲荷、道を挟んで鈴木淡路守の屋敷があり、これが町名・坂名の由来といわれます。一口坂は、太田姫稲荷が一口稲荷と称したためです。
昌平橋を渡って
湯島聖堂を通り過ぎて
神田明神に、ヒョコヒョコと立ち寄ります。
なんとなく平将門びいきなので(^^;
しかし、年末でごったがえしていたのですぐに出てきてしまいました。
写真を見るとガラ空きのように見えますが、ワタシがカメラを構えているところに限って人がたくさんウロウロしていたので、いたたまれなくなって出てきたというのが正しいところですが(^^;
年末はどこも忙しいからねー。
混雑が苦手な人は年末年始は特に、神社仏閣は気をつけないとイケマセン。
老舗の甘酒屋「天野屋」で、娘へのお土産をゲット。
甘酒飲みたいけれど踵が痛くなるのはカンベンなので我慢です。
このあたりで既に疲れて休憩が多くなってきました。
写真も「どうでもいい」感がただよってますね。露光とか、アングルとか、まったく考える余裕がないという。
果たして自分は、この日のうちに浦和宿へは辿り着けるのかっ?
次回へつづく(^^;