阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

独りで食事を楽しめますか?

2018-09-26 09:59:58 | ちょこっと文学鑑賞

 10日前の片柳神父のツイートに、

「英語では「孤独」に二つの種類があります。独りぼっちの寂しさを抱えた「ロンリネス」と、独りでも寂しくはない「ソリチュード」。独りで世界と向かい合い、心が静かに満たされてゆく孤独、「ソリチュード」を学ぶことができますように。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父」

というのがあった。わたしゃうたぐり深い性格なので、グーグル翻訳の単語をハイライトさせる機能で調べてみたら、

solitude: the state or situation of being alone.
she savored her few hours of freedom and solitude
 
loneliness: sadness because one has no friends or company.
feelings of depression and loneliness
 
(コピペしたらなぜか引用符号がカギ括弧に変わってしまいました。ご容赦ください)
 
となっていて、確かにロンリネスにはsadnessという感情が入っているのに対して、ソリチュードは単に一人の状況、例文の動詞savorには楽しむというニュアンスがあるようだから片柳神父がおっしゃった通りのようだ。
 
 さてここから本題。私は両親と住んでいるけれど何かをする時は大抵一人で、そんなに寂しいと思ったことはなかった。ユースを応援しながらJ観戦していた頃は、サッカーの日も試合の前後は一人でいる時間が多いし、遠征も一人旅が基本だった。別に孤独感に悩むことはなかったと思う。ただ、食事は一人だとつまらなくて、一人で食べる時はコンビニ弁当とかで十分、一人で良い店で食ってもうまいとは感じなかった。一人で飲むのも陰気な酒で嫌だった。一方気の合う人とならファストフードでも楽しいから、私には豪華な食事は必要ないという結論になってしまうのだが、とにかく昔はそうだった。 ここで、茂吉の歌を一首見ていただきたい。

  ゆふぐれし机のまへにひとり居りて鰻を食うは楽(たぬ)しかりけり 

これは書斎のような所に出前を取ったのであろうか、ウナギがうまいというのではなく、楽しいと詠んでいる。食事の前になしとげた仕事の充実感が伝わってくる歌ではないだろうか。私にはその部分が足りないのではないかとも思った。

 ところが、そのあと私にも一人で食事を楽しめる時期がやってきた。7年前にジュニアユースの応援を始めて、冬の高円宮杯の前日などは声が出なかったらどうしようと喉の調子に悩むことも多かったけれど、一人サポーターとして結構充実した日々を送っていた。そしたら、それまでしなかった一人で居酒屋に入ったり少し贅沢な食事をしたり少なくとも遠征時には弁当の比率は大きく減ったと思う。もっとも、蕎麦とかウナギとか寒シマメのイカ丼とか京野菜とか、居酒屋だったら日本酒とゲソとかイカ納豆とか、自分の大好物を短時間で楽しむのに限られる。コースあるいはおまかせ料理を一人で、という心境にはならなかった。でも確かに一人で楽しんでいた。ソリチュードという言葉は知らなかったけれど、そのたびに茂吉の歌を思い出した。
 
 今はどうだろうか。またロンリネスとお友達かもしれない。まずは体調を何とかしたいと思うけれど、今の体調でソリチュードにたどり着く方法も考えてみないといけないのだろうか。だがしかし、一人で楽しめるに越したことはないけれど、一人でいることは嫌いではないけれど、それでも、たまには誘ってくださいな・・・
 
 


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