趣味っぽい話を書く。
実は手元のパソコンはWindowsを走らせてない。たま〜にWindowsを使う事はあるが、その殆どはLinuxを使用してる。もう10年以上Linuxをメインに使ってるだろうか。
ところで、Steamなんか見てても殆どLinux対応のゲームなんざ無いし、Linux用のゲームなんざ売ってない。これが基本である。
世の中にはLinux用のフリーゲームなんかも「探せば」あるが、殆ど存在しない。フリーゲームもWindowsの天下であって、例えば基本的にはRPGツクールで作ったようなゲームはLinuxでは走らない。特殊なエミュレータでも使わなければLinuxはこれらのゲーム文化から大きくはじき出されたOSである。
でも、何故に他の部分だとLinuxを使ってあまり不自由に感じないのか。
実は、10年以上前、インターネットが活性化して、色んなモノ、例えばサイトの「お気に入り」の保存等がWeb上に記録出来るようになってからLinuxの利便性が上がったのだな。正確に言うと利便性が上がった、と言うより普段使いでのデメリットが無くなった、と言うべきだろうか。
要するにそれまではソフトウェアに関しても全部ローカルが基本で、あるソフトウェアを使ってる以上、全部ローカル環境(つまりOS)に縛られていた、のである。
ところが、クラウド系が発達してきた為に、普段使いのPC、ってのはネットを中心に使うモノに変わってきた。つまり、ローカル環境にわざわざ「ソフトウェアを買って」「インストールして」と言う手間が大幅に減ったわけだ。
例えばメーラーを考えてみよう。昔はEメールと言うと、プロバイダと契約した際に得たアドレスを利用してローカルのメールクライアントに送られてくるモノだった。
一方、MicrosoftがHotmailなんぞをやりだしたせいで、Emailなんかは「自分のPCではなくても」どこからでも「アクセス」出来るモノになってしまった。そうするとローカルのメールクライアントは「要らない」モノとなってしまう。
そういうカンジの変革がどんどん進んできたわけだ。もはやよっぽどニッチなブツじゃなければ、自分のPCにわざわざソフトウェアを「インストール」して「使う」なんて事をしなくて良い。
ぶっちゃけて言うと、このテの事に先鞭付けたのは実はMicrosoftであって、Microsoftの先進性が逆に
「必ずしもパソコンのOSはWindowsにこだわらなくてもエエんじゃね?」
と言う一定数の人々を生み出した、ってのは何とも皮肉なモノである(※1)。そして僕もその「一定数の人々」に含まれたわけだ。
とは言っても、ゲームに関して言うとWindowsの天下だ、ってのはいまだ間違っていない。エロゲなんかもLinuxでは基本プレイ不可能なのだ。そして新作ゲームもそうだ、って事。
そんなにゲームメーカーはLinuxを嫌ってて使ってないのだろうか。
いや、実は恐らく、今でも、世界最高峰のゲームメーカーはUNIX(※2)でゲームを作っている。ご存知任天堂である。
ただ当然だが、任天堂は「ゲームを売る」のが商売であり、プラットフォーマーである。従って開発環境がなんであれ、わざわざ自社のゲームをLinux用としてリリースなんかはしない。当たり前である。
さて、ところで任天堂はいつからUNIXに鞍替えしたのだろうか。
ファミコン時代の話を色々と読むと、元々はNEC PC-8801辺りを使ってゲームを開発してたらしい。80年代の話だな。
当然NECにとっては良いお客さんである。ところがNECがPCエンジンをリリースした事で、ちょっとこの二社間のBtoBが上手いカンジにならなくなってきた、ってのが一つの理由である。
もっと大きな理由がある。任天堂は社内でハードウェアの生産は基本してない。こういうのをファブレス企業と言うのだが、外注を徹底的に活用して生産コストを圧縮する方針を取っている。
そして半導体を提供してくれるメーカーになるべくその半導体を安く提供してくれるように交渉している模様だ。じゃないとゲーム機本体の値段を抑える事が出来ない。
ある意味任天堂は協力メーカーに無茶振りしてるわけだが、その代わり、何かの開発機材をそのメーカーからたくさん買うような「システム」を作るか、あるいは自社のゲーム機の「互換機」を販売する権利を与えるとか。そういう交渉を行ってる模様。
スーパーファミコンと言うゲーム機は、ウワサによると、その80%はSONY製である。中でも目玉だったのがサウンド関連を扱うDSP(※3)。これは当時、最先端の半導体だったので、これを滅茶苦茶安く入手したい、と言うのが任天堂の目論見だった。
そこで、安価にDSPを提供してもらう見返りとして、スーパーファミコンのゲームの開発機材にSONYのNEWSと言うワークステーションを指定したわけだ。
結果、スーパーファミコンのゲームを作りたい、と言うサードパーティは、開発用機材としてSONYからNEWSを買わなければならない、と言う状態にしたわけである。
多分、殆どの人はSONYのNEWSと言う機械を知らないだろう。それどころか「ワークステーション」と言う単語さえ知らないかもしんない(※4)。
パッと検索してみれば、如何に当時のSONYのNEWSと言うワークステーションが素晴らしいマシンだったか、と言う思い出がたくさん引っかかると思う。
ところが、最初はSUNのマシンに比べると安価だ、ってぇんでそこそこ評価されてそこそこ売れたのだが、その後は全く鳴かず飛ばずになってしまった。つまり商売としては大失敗だった、ってのがこのSONY NEWSだったのだ(※5)。
結局、在庫が大量にあって、任天堂に開発機材として指定されたSONY NEWSは、そのお陰で在庫を掃く事が出来た、らしい。当然当時人気だったNEC PC-9801より遥かに高価なマシンだったわけで、ファミコン時代からのサードパーティでも資金力が無いメーカーはこれを買えないわけで、当時は結構阿鼻叫喚だったらしい。
さて、このSONY NEWS。実はOSがBSD UNIX系のOSである(※6)。つまりここではじめて任天堂のゲームの開発環境がUNIXになった、のである。
今、例えばザーッと検索してみると、Windowsに比べて如何にUNIXと言う開発環境が優れているのか、そういう話がたくさん引っかかるだろう。
ところが、だ。
当時、のゲームプログラマにとっては、これも当然滅茶苦茶評判が悪かったのだ。当時の資料を見ると「とにかくSONY NEWSは使いづらくてしゃーない」と。かなりのゲームプログラマが文句ばっか言ってたらしい。これは一体どういう事だろうか?ゲームプログラマはフツーのプログラマに比べるとアタマが悪いか何かなんだろうか?
違う。プログラミング、と言う意味ではもっとも難しいのがゲームプログラミングであると思われる。当然そういうブツをプログラミング出来る輩が技術的に劣ってるわけではない。当然アタマの悪いヤツがいる筈が無いのだ。
これは単純な話で、人間誰でも「使い慣れた環境が一番使いやすい」のだ。当たり前、である。それまでずーっとDOS環境でプログラミングしてきた人間が、いきなりUNIXに鞍替えを(無理矢理)「させられて」上手く行くワケがないのだ。ハッキリ言うと「使いやすい/使いづらい」は機能によらない。単に「慣れ」の問題なのである、と言う身も蓋もない話、なのだ(※7)。
さて、こうやってSONY NEWSを皮切りとして、任天堂はUNIXの世界にツッコむ。そしてそれは次世代機でも継続するのだ。
任天堂のスーパーファミコンの次のゲーム機は、日本だと失敗だ、と一般に思われているNintendo 64である。
今度の協力会社は、当時のCGマシンとして有名だったシリコン・グラフィックス社となった。アビス、ターミネーター2、ジュラシック・パークなんかの映画のCGのレンダリングで有名だったマシンを作った会社である。そう、CG用ワークステーションを売ってた会社だな(※8)。
そしてこのシリコン・グラフィックスのワークステーション、こいつのOSはSONY NEWSとは違うが、AT&TのUNIX系OS(※9)だったのである。
またもや高価な開発機器を買わなアカン、となったNintendo 64陣営。UNIXには慣れないわ、開発機器は高いわ、ってのもあって、ポロポロとかつての任天堂王国を支え続けてきたサードパーティがどんどんSONYのプレイステーション陣営へと流れていくのである・・・・・・・・・(※10)。
とは言っても二世代に渡って任天堂はUNIXでゲームを開発してきた、と言う実績がある。で、恐らく任天堂自体は初期の段階から、まぁ、プラットフォーマーとしてなので当然だろうが、UNIXでのゲーム開発はサードパーティと違って「よく分かってる」と思う。
で、MicrosoftのXBOXみたいにWindowsの開発環境に縛られる必要もない。何故なら任天堂製ゲームをWindowsでユーザーにプレイしてもらう必要がない、からだ。
多分これは予想だが、現段階でも任天堂はUNIXを積んだマシン(Wii辺りまでは多分PanasonicのLet's Note)で開発してるんじゃなかろうか。あるいは、故・岩田社長はMacBook使ってたらしいんで、BSD UNIX系のMacで開発してるとか。
いずれにせよ、その辺使ってゲームを作り続けてるんじゃないのかな〜、とか予想してる。
※1: このテの「先進性」はYahoo!やGoogleが最初、と思われてるかもしれないが、先鞭を付けたのはMicrosoftである。Microsoftが大衆にはじめて「サーバーとクライアント」と言うソフトウェアのあり方(サーバー・クライアント・モデル)をHotmailで知らしめたのは間違いない。
また、GoogleのGoogle Mapでドギモを抜いたAjaxと言う「やり方」も実はMicrosoftが開発した技術が使われている。
※2: 詳しくない人に説明しておくと、UNIXと言うのはAT&Tと言うアメリカの電話会社が作ったOSで、そのクローンに、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校で作られたBSD UNIXと言うOSとフィンランドの(当時)学生だったリーナス・トーヴァルズと言う人間が作ったLinuxと言うOSがある。
Mac OS Xは前者BSD UNIXの流れを汲んだOSで、スマホのAndroidはLinuxの流れを汲んだOSである。
いずれにせよ、現在メジャーなOSはご存知WindowsとUNIX系OS、と言う二大OSになっている。
※3: デジタル・シグナル・プロセッサー。1990年辺りを境目に登場したこの半導体はそれまでの「半導体を組み合わせた」音響回路を一掃したワンチップである。この辺で当時のコンポなんかにもデジタルイコライザーやリバーブ等を安価に搭載可能となった、当時の「革新的技術」である。
それ以前はそのテの音響回路を搭載するとウン百万円、と言うコストが生じてた。
また、その後のデジタルシンセサイザーの「アナログシンセの回路エミュレート」の中心技術にもなっている。
※4: 平たく言うと、コスト度外視の高性能パソコンが「ワークステーション」である。当然一般向け販売は基本的には想定していなく、企業向けのマシンである。
老舗がJavaで有名だったSUN Microsystemsと言う会社で、この会社がこのテの機械の先鞭を付けた、と考えてまぁ間違っていない。他にも、後にAppleに買収されたスティーブ・ジョブスのNeXT社、と言うワークステーション企業があった。
NeXT社のNeXTcube。実は今のMacはかつてのApple Macintoshの後継機ではなく、技術的にはこのNeXT社のワークステーションの後継機である。
元々、ミニコンなんかの大型コンピュータが「業務用」として売られていて、そういうのは「集中型」と呼ばれてたのだが、反対に高性能パソコン同士がネットワークに繋がっていて結果全体のパフォーマンスを上げる、と言う「分散型」はどうだ?と言う発想で作られたコンピュータが「ワークステーション」である。
結果、今のパソコンはどっちかっつーと「ワークステーション」的になっている(それまでは、パソコンには「ネットワークに繋げる」と言う発想は基本的には無かった)。
※5: SONYは当時はMSXにも参加してるが、まだVAIOシリーズは出てなく、コンピュータメーカーとしてはあまり上手く行ってなかったのだ。ただし、Apple Macintoshの部品供給メーカーとしてはそこそこ知られていた。
※6: 余談だが、当時は通産省肝煎りのΣプロジェクトと言う計画があり、こっちではAT&T由来の「純正のUNIX」を採用していて、SONYはこれには参画していない。結果通産省にかなり睨まれていたらしい。
SONYは、今じゃあ信じられないかもしれないが、独自規格ばっか優先してて、ビデオではベータ規格、テレビもトリニトロンと言う独自技術を用いていて、ある意味商売的には失敗ばっか重ねていた。
※7: 例えば何故にMS-DOSが成功したのか、と言うと、当時のオフコンで流行っていたOS、CP/Mのクローンだったから、に他ならない。当時のパソコンのアーリーアダプターには「親しみがある」「慣れた」OSだったのだ。
事実、Microsoftは「今大学で流行りつつある」「新しい」UNIX系のOS、XENIXと言うのもIBM-PC(今のWindows機の原型)向けに念の為に準備して販売した。が、結果これは当時の市場には拒否されて売れなかったのだ。
当時の黎明期のパソコン市場には早すぎたし、かつ、「ワープロさえ無い新しいOS」を誰も使おう、とは思わなかったのだ。
※8: 会社自体は買収されてるが、事実上倒産した、と言って良い。有名な3Dグラフィックライブラリ、OpenGLを作った会社である。
なお、シリコン・グラフィックスとはグラフィック用チップを共同開発しているし、Nintendo 64のCPUもシリコン・グラフィックスの子会社であるMIPSテクノロジー製のR4300の改造版を用いている。
※9: 当時のAT&T純正の商用UNIXはSystem Vと呼ばれていた。
※10: 実際高いNEWSを売りつけてたのはSONYなのだが(笑)、一方、初代プレステでの開発機器は安価なNEC PC-9801/9821や当時広まり始めてたWindows互換機で充分なようにSONYは整えたらしい。NEWSの在庫も一掃済みだしな(笑)!
いずれにせよ、これがサードパーティ増加への追い風となったのは事実なようで、結果、今までゲームビジネスに参加した事がなかったフロムソフトウェアのような(当時の規模的には)零細企業にもゲーム開発のチャンスを与えたわけである。