さて、遅まきながら往年のビデオゲーム好きなら必ず観とかなきゃならん、って映画を観た。Console Warsだ。
原作は早川書房から日本でも刊行されてる「セガ vs. 任天堂」だ。
ぶっちゃけ、原作は読んだことない。このテのビジネス書籍ってのは随分昔には読んだんだけど、とんとご無沙汰である。
で、邦題の「セガ vs. 任天堂」でセガも任天堂五分五分に描かれてる、って思うだろうけど、違う。
基本的にはこの映画はセガ視点、しかもセガ・オブ・アメリカ(セガアメリカ本社)のドキュメンタリーなのだ。
90年代にセガアメリカ本社で活躍した人々の回顧録なのである。ちょっとだけ任天堂アメリカ本社の人も出てくる。
いずれにせよ、アメリカ市場を95%程押さえきったファミコン(米: Nintendo Entertainment System)に挑戦するセガ・オブ・アメリカの話である。
登場人物:
シノブ・トヨダ: 日本人。セガ・オブ・アメリカ代表取締役副社長。元三菱の人間。アメリカへ転勤させられたがアメリカが楽しく、アメリカに住みたい、と言う事でセガ・オブ・アメリカへと転職。当初は何の会社なんだか良く分からなかった、との事。
トム・カリンスキー: アメリカ人。1990〜1996年の7年間、セガ・オブ・アメリカの会長兼CEOを勤める。マテルと言うおもちゃメーカーでのバービー人形のマーケティングで注目を集め、続いてマッチボックス社と言うダイキャスト製のおもちゃ(と言うかミニカー)屋のCEOを勤め、1990年に日本のセガ本社の中山社長に請われセガ・オブ・アメリカの会長兼CEOになる。人呼んで「おもちゃ界の貴公子」。しかしセガ日本本社との関係は・・・・・・。
ポール・リヨウ: セガ・オブ・アメリカのもう一人の代表取締役副社長。
アル・ニルセン: アメリカ人。セガ・オブ・アメリカ営業本部部長。自身もかなりのゲーマーとの事。
エレン・ベス・ヴァン・バスカーク: 名前が凄いアメリカ人。女性。セガ・オブ・アメリカの広報本部部長。美人。年取った今だとジュリー・アンドリュースなカンジだが、若い時はもっと綺麗だった。こういう美人(かつ頭が良い)を広報責任者にしちまうセガ・オブ・アメリカのやり口が大好き(笑)。
スティーブ・レイス: アメリカ人。セガ・オブ・アメリカのマーケティング担当。
セガの側の主な出演者・・・と言うかインタビュイーはこの6人が中心かな。
あとは任天堂・オブ・アメリカのハワード・リンカーン氏なんかも出てきてるが、先にも書いた通り、基本、この映画は「アメリカ市場の95%を押さえている」任天堂に挑戦するセガ・オブ・アメリカの話なのだ。
映画では細かく取り上げられてるたぁ思えなかったんで、一応整理しておこう。
実はセガ、ルーツの半分はアメリカ企業なのだ。
元々アメリカに本社があった「ローゼン・エンタープライズ」と言う会社があって、その日本支社が他の在日米軍相手にジュークボックス製造・販売をしていた会社と合併してサービス・ゲームス、略してセガと言う会社が生まれる。
かつ他にも吸収合併を繰り返してるらしく、実の事言うとセガと言う会社の日本でのルーツはハッキリしない。社史がハッキリしてないからだ。
いずれにせよ、ローゼン・エンタープライズの方がルーツはハッキリしてて、このアメリカ本社が後のセガ・オブ・アメリカになる。
言わば、セガ・オブ・アメリカは昔からある会社で、アメリカの任天堂みたいに「ビデオゲームブームを当て込んで」急造された会社ではないのだ。・・・・規模は滅茶苦茶小さかった、とは映画でも描かれてるけどね。
さて、米国版ファミコン、Nintendo Entertainment System、略してNESは北米で1985年に発売され、アタリショックの余韻がまだ冷めやらぬウチに市場をまたたく間に席捲する。
それを羨ましげに見てたセガ。日本のセガ Mark IIIは殆ど売れてなかった、と言う状況なので、いっそ任天堂に続いて北米市場に投入すっか、ってぇんで翌年の1986年、Mark IIIをMaster Systemと改名してアメリカ市場に投入する(注: 実は日本のMaster Systemは米国版Master Systemより一部性能が良く、米国版のそれ、とは中身が違う)。
ところが、セガ自体のゲーセンでの知名度はさておき、このMaster Systemは結局米国市場でも苦戦するハメになったのだ・・・まぁ、日本でもあの通りだったんで宜なるかな、てなカンジだけどな。
そこで起死回生の手、として日本で1988年に発売したメガドライブをセガ・ジェネシスと改名して1989年に北米市場でリリースする。
この映画、と言うかドキュメンタリーはそこから始まっているのだ。
上で書いたし、実は映画ではちっとも触られてなかったんだけど、まずは北米市場での「マスターシステム大苦戦」。
もうこの時点でマスターシステムってもう無視されてたのね。
とにかくまずは面白いのはこの辺のエピソード。
ジェネシス上陸、となったんだけど、1989年の状態で、アメリカ最大のリテイラーってのがウォルマートなのよ。ウォルマートに商品流せりゃ全米で売れる。ただし、ウォルマートってのは任天堂と蜜月状態で、セガなんつー(小売業界としては)知名度0の商品なんざ扱いたくねぇ、っての。当然だわな。もうマスターシステムが苦戦してた、ってのが良く分かるでしょ?だって「そこそこ売れてれば」契約取れるわけだからさ。
セガとしては任天堂が、日本もそうなんだけど、比較的低年齢層にアピールする戦略を取ってるのを知っていた。逆にじゃあ、セガはヤング・アダルト、つまり、中学生〜大学生辺りを中心にマーケティングする、って戦略を取るわけだ。
でもその前に最大の小売店「ウォルマート」と取引出来ないとアカン。それで、ウォルマート本社の向かいにセガのショールームを作ったんだってさ(笑)。その傍の幹線道路にはセガの看板をバンバン置いて。
そしてセガ・ジェネシスのゲームをタダでプレイ出来るようにしてセガのショールームにたくさんのヤングアダルト/ティーンエイジャーが詰めかけるようにする、と(笑)。それをウォルマート本社が眺めるわけだ。
それで、とうとうウォルマートの方から
「セガと取引をしたい」
と言い出すようにした、と(笑)。これは面白かった。
日本でも任天堂は問屋団体「初心会」を使って流通押さえていた、って話は有名だったと思うんだけど、アメリカだとまずはウォルマートを押さえてたのね(笑)。
でまぁ、ここではじめてセガ・オブ・アメリカは任天堂の小売戦略の牙城を崩したんだけど・・・・・・。
もう一回時系列を整理すると
- 1989年: 北米でセガ・ジェネシス発売。
- 1990年: トム・カレンスキー、セガ・オブ・アメリカCEOに就任。
- 1991年: ソニック・ザ・ヘッジホッグ発売。
なわけだけど実際問題、トム・カレンスキーがCEOに就任して、ウォルマートとの契約にこぎつけるまで、アメリカでのジェネシスは在庫ばっかだった、ってわけだ。1年も在庫だらけ、ってのは相当キツいんだよな。確かに、そこに現れたトム・カレンスキーってのはセガ・オブ・アメリカの救世主だったわけ。
ところがだな。
この映画観れば分かるんだけど、セガ・オブ・アメリカの商売上の敵は当然任天堂なんだけど、セガ・オブ・アメリカの真の敵はそこじゃないの。むしろ日本本社なんだよ。つまり、当時のセガの社長だった、中山隼雄氏が真の敵っぽい。映画でもそう言うカンジで描かれてる。ヘンな髪型のオッサンとしてな(笑)。
中山隼雄って人はセガが旧ローゼンエンタープライズの系統で、アメリカ本社だった時にスカウトされてセガに入ってきたわけなんだけど。アメリカに本社がある時代を知ってて、アメリカから日本での商売をコントロールするのが如何に難しいのか、良く知ってた人の筈なのよね(だからこそCSKの大川会長を口説いてセガをアメリカから買い取らせたわけだ)。
そして。もう一回繰り返すけど、トム・カレンスキーって人はこの「中山隼雄氏が直接」リクルーティングした人なわけよ。前の会社のCEOだったのを辞めさせてね。だからアメリカ市場を完全に任せられる対象の人として選んだ筈なんだ。
ところがよ、この映画観てるとトム・カレンスキー氏を直接スカウトした割にはアメリカ市場を「自由にやらせる」程でもねぇ、って事がバレている。もう完全に上司と部下なんだよ。しかも悪い意味でのな。
だから前にも書いたけど、中山隼雄って人はその時代、「大枚叩いてヘッドハンティングしてる」って宣伝になってたわけだが、「大枚叩いてヘッドハンティングした程の効果を期待してたのか?」と問えば「違うんじゃね?」としか言えないんじゃないか。このトム・カレンスキー氏の扱い見てるとそうとしか思えないんだよ。
んでな、任天堂はファミコン開発時から故・山内社長は
「日本で売れへんでもアメリカなら売れるやろ」
って楽観的で、その辺のマーケティングは京都本社じゃなくって任天堂・オブ・アメリカに任せるつもりだったらしい。実際、任天堂のマーケティングって細かいトコだと日米違うんだよな。発想の根幹が同じでも国民性とか色んなトコでサービスが変わる、って分かっている。だから変える。
つまり、京都の花札屋って実は抜群のグローバルな商売の嗅覚を持ってたんだ。要するに「分からへんトコは分からへんのやから現地に任しとき」と言う圧倒的に「正しい判断が出来る会社」なわけ。
反面、中山体制のセガってのはあくまで「日本ローカルな」企業なのな。国際感覚ってのが「全くない」って言って良い。そして任天堂みたいに「日本がダメでもアメリカなら上手く行く」って戦略があるわけじゃないのね(実際、Nintendo 64は日本でダメでもアメリカなら上手く行った成功例である)。あくまで日本市場にこだわり、日本の市場で勝てなければ儲けを運んでくれる北米市場を潰しても構わない、とか、グローバル視点で見ると全く「意味不明な行動を取る」会社なんだよ。少なくとも中山体制のセガってのはそういう会社なのだ、ってのを図らずもこの映画はバラしてしまった(まぁ、予想は付いてたけどな)。
日本のセガシンパが書いたビジネス書なんかだと中山隼雄氏は気さくなオッサン的な印象操作で書いてるけど、この映画の中山氏は限りなくバーコードハゲに近い短気で非合理なオッサンだ。実際アメリカ側から見た中山氏は決していい印象は持たれないだろう。理不尽の塊なのだ。最後辺りにその話を書こうと思う。
いずれにせよ、この映画を見る限り、最初っからトム・カレンスキー氏と日本本社との間にはかなりデカイ溝があった、ってなカンジである。
っつーかこんな状態で良く我慢して7年も勤めたわ。この人、偉いわ。
さて、セガ・オブ・アメリカがジェネシスの販売戦略上、重視したソフトが歴史的には三本あったのね。
それは
- ソニック・ザ・ヘッジホッグ
- ソニック・ザ・ヘッジホッグ2
- モータル・コンバット
の三本。
ソニック・ザ・ヘッジホッグってのは、この映画によると、セガの天才プログラマ、中裕二氏がメガドラでキャラを高速に動かすアルゴリズムを作り上げた事に端を発してはいるんだけど、もうかなり初期段階からセガ・オブ・アメリカ主導になってんだよな。
中裕司。セガが誇る(べき)天才プログラマだったのだが・・・実はメガドラ部隊はセガ社内で冷遇されていた。ちなみに、中裕司氏は任天堂のゲームも大好きだったみたいである(爆また、これも前書いたが、この人がファンタシースターシリーズのメインプログラマでもあって、ファンタシースターIIの開発期間がロクに取れなかったのにバグらしいバグがなかった、と言うのも全てひとえにこの人の天才性故、の話である。
英語版ウィキペディアに拠ると、プロデューサがShinobu Toyodaになっていて、上のセガ・オブ・アメリカの取締役副社長の日本人である。そして中山隼雄氏率いる日本本社は(内部で開発してたにせよ)あんま関係ない模様である。・・・過去読んだビジネス本には如何にも中山氏の手柄のように書かれてたけど(笑)。
んなわけねーんだよ。だって日本本社だとセガのメガドラ部隊は社内で冷遇されてたんだぜ?
そしてソニックは確かに傑作ゲームである・・・いや、実は日本だと当時も賛否両論ではあったんだけどな。
ただ、これで分かるのは「アメリカ主導のビジネス」ならやっぱ当然アメリカ人向けなんだよ。だからアメリカ人の判断が大事。その辺、やっぱ市場が違うのね。
で北米版スーパーファミコン、Super Nintendo Entertainment System、略してSNESが1991年に発売されるのね。北米市場へのソニックの投入二ヶ月後なんだよ、スケジュール的には。当然セガ・オブ・アメリカは震え上がるわけ。「大丈夫かな?」と。
で、日本本社に日本用のスーパーファミコンとスーパーマリオワールドを至急送ってくれ、って連絡するわけね。で遊んでみた結果・・・・・・。
「あれ、これ勝てるんじゃね?」
となるわけだ(笑)。「速いし」「マリオは遅いよね」と。
いや、これがマジで国民性の違いなの。
日本人だとそういう反応にならねぇんだよな。
当時、例えば渡辺浩弐と言うゲーム評論家とか、
「ソニックは見てる人が面白いゲームなんだが、マリオは実際プレイするとソニックよりも面白い。」
って言ってるんだよね。なんだろ、「アピール型」のゲームがソニックなんだけど、ゲーム性から言うと必ずしも「速い」ソニックが優位には日本人の目には映らないんだよな。
この国民性の違いは大きいの。だから結果セガはアメリカの市場の50%をもソニック一本で押さえられたんでしょ。
反面、日本だと、いくらソニックが面白くてもそこまで市場を押さえられなかった。
そうなの、それは好みのゲーム性が国民性によって違う、って単純な話なんだよな。
だからこそセガ・オブ・アメリカはソニックの第二作目をアメリカ主導で戦略的に投下する必要性があったわけ。
この国民性の違い、ってのは3本目の「モータル・コンバット」でハッキリ分かるわけでしょ?誰か知ってる?「モータル・コンバット」って。
90年代初頭とか。ゲーセンのゲームで「ストリートファイターII」ってのが出て、格闘ゲームが花開いた時期なんだよ。もうこの時代、ストリートファイターII一強だったの。
ところがね、アメリカのゲーセンだとアメリカのMIDWAYって(母体がピンボールメーカーの)会社がとある格闘ゲームを出すのよ。それがモータル・コンバット・・・実写取り込みで動く、当時としては「リアルな」格闘ゲームだったのね。
これって絶対日本じゃウケないでしょ(笑)。見た目リアルにすりゃあエエってもんじゃねぇだろ、と(笑)。実際これでストリートファイターIIに比べるとゲーム性が上がったのか、と言うと・・・・・・そうでもねぇんだよ(笑)。
分かるでしょ?国民性の違い、ってのが。
日本人は漫画をアニメ化する。その方が喜ぶ。でもアメリカ人って漫画を実写化する方が好きなんだよ。そっちの方がウケる。そういう国民性。
ここではどっちが優秀か、って話じゃなくってアメリカ国民向けのマーケティングってアメリカ国民しか分かんねぇ、って単純な話なんだよな。これは日本からじゃやっぱ市場のコントロールは不可能だ、って話なの。逆に言うと、モータル・コンバットなんて日本じゃキラーソフトに成りえないんだから。
さて、映画で語られた通り、ティーンエイジャーを積極的に狙ったセガ・オブ・アメリカ。そして3本目のモータル・コンバットの「リアリスティックな表現」で血を吹き出して死ぬゲームでさえ「家庭用ゲーム」として流してしまった。
任天堂はさすがにアメリカでも「任天堂チェック」は徹底してて、SNES版モータル・コンバットは「血を吹き出して倒れる」んじゃなくって「緑のスライムみたいな何か」が吹き出るように改変した。
でも両者共「子供の暴力を増長させる」ってぇんで、ワシントン・D.C.に呼び出されるんだよな(笑)。その辺がある意味、エピローグではないんだけど、映画「Console War」の一つの山場と言うか。
では最後に。
っつーかオチに繋がる話として。
セガ・オブ・アメリカは、セガ最大の利益を上げてて、なお、セガは「おもちゃ界の貴公子」トム・カリンスキーをヘッドハンティングまでしておいて自由な決定権を彼に与えていなかった。
つまり、セガ・オブ・アメリカの最大の敵は任天堂ではなく、身内である中山社長率いるセガ本社だったのだ。
セガ本社の役員達はセガ・オブ・アメリカの業績の好調さに嫉妬していて、セガ・オブ・アメリカでの決定を虎視眈々と「覆す」事に熱心だったらしい。
と言うのも中山社長は「セガ・オブ・アメリカなら上手く行ってるのに・・・」と事ある事に社員を責めてたから、らしい・・・だったらヘッドハンティングの金使ってる暇あったらメガドラ部隊の給与を上げてれば良かったんじゃねぇの?
ホントこの人ワケわかんねーよ・・・セガ・オブ・アメリカの業績が好調ならばみんなで喜べばエエのに・・・その辺がやっぱ任天堂と違うんだよなぁ。
そしてこの時代、このアメリカ支社でさえ冷遇する、って事で最大のミスをしかも二回もやっちまうのだ。
- セガ・オブ・アメリカへ、シリコングラフィックス(SGI)が業務提携の依頼に来たのに日本本社が蹴ってしまった。
- セガ・オブ・アメリカへ、SONYから業務提携の依頼が来たのに日本本社が蹴ってしまった。
前者は後、シリコングラフィックスは任天堂へ行ってしまい、このタッグでNintendo 64が開発されている(映画ではトム・カリンスキーが「シアトルにもう一つビデオゲームメーカーがあるんで、そっちに話に行ったらどうですかね?」と提案した、と言う話になっている)。
後者は後に商業的にライバルになるプレイステーションを「差し止められた」かもしれない一大チャンスだったのだ。もし、セガ・オブ・アメリカがSONYと組んで「新世代ゲーム機」を作ってたら全然違う様相になってたかもしれないのに・・・・・・。
結局この映画は「プレイステーションが最後は歴史的に見ても最大限の圧勝をする」と言うオチで終わる。
しかし、トム・カリンスキー率いるセガ・オブ・アメリカ。日本本社の無理解に涙を流したりする事も多かっただろう。悔しかった事も多かっただろう。
「今こうやればマーケットがこれだけ獲得出来るのに」と。そしてチャンスは確かにあったのだ。
結局、前にも書いたけど、中山社長はセガを助けたが、それより大きく「セガをダメにした張本人だ」ってのはもはや間違いがないだろう。中山社長がいなければセガは存続出来なかったのは事実だろうが、立て直したら早い内引退して、しかるべき後継者にバトンタッチ(例えばトム・カリンスキーを完全にトップに据える)とかすればもっと上手くセガの(本当の意味での)世界戦略は成功していたかもしれない。
結局、トータルで見て言えるのは、中山社長は決して、セガにとって「良い指導者」ではなかったのだ。
それがこの映画を観た感想である。
っつーか「やっぱりな」って事なんだけどな。