命のカウントダウン(健康余命3605日)

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歯のお手入れ

2023-05-30 22:25:36 | ワークライフバランス
今日は、久しぶりに歯の手入れに西大寺の岡本歯科に行ってきました。
岡本吉正先生を知ったのは、今を去る事30年ほど前の事。
その頃奈良県立医科大学附属病院の勤務医だった私、血液疾患の患者さんを診る機会が多かったのです。奈良県立医科大学附属病院の第二内科に所属していたのですが、呼吸器と血液疾患を診る科でした。呼吸器疾患と血液疾患全く違うんですが、何故だかそういう組み合わせでした。

私が奈良医大にいたのは、医大を卒業した年から2年間。現在の様に多くの科で研修していくのではなく、自分が選んだ研修科で、専属的に研修するシステムでした。ですから私、呼吸器と血液以外の事は殆ど知らないです。恥ずかしい話ですが、小さな外傷の縫合すらできません。

一時、小笠原あたりの島嶼で意思をするのも良いなと思って、1年間くらい外科修業したいなと思ったのですが、実現せずじまいでした。

話が横道にそれました。奈良医大での研修医時代に白血病などの血液疾患をよく担当したという話でした。そして、担当した白血病患者さんの歯が悪くなって、治療を依頼しようとしたのですが、その患者さんのお住まいが生駒市だったのですが、その近くで引き受けてくれるところが全く無くて、苦労して見つけたのが奈良市の西大寺駅近くの岡本先生でした。

岡本先生、完璧主義者で、当時は保健医療では自分が考える完全な治療が出来ない。ですから、私は自由診療です。それでも良いならと引き受けてくださいました。その患者さんは80代女性、慢性骨髄性白血病で、血小板数は2万前後でした。止血には相当苦労されたようです。

それ以来のお付き合いです。私の歯は、以来先生に任せっきりです。私、中学校位から、歯の手入れほとんどしておりません。歯を磨くのは週に2回程度。磨く時は10分くらい磨くこともあります。歯磨き粉は使いません。私の歯磨き粉は、全く減らないです。10年以上同じ場所に放置されています。

そんな私が、まだ自分の歯で飲み食いできているのは、ひとえに岡本先生のお陰です。
岡本吉正先生、私の4歳年上:72歳です。
でも、バリバリ働いておられます。
診療所も新しく移転されました。

今日は6年ぶりの受診でした。
特に悪い所はないけれど、犬歯が異様にすり減っている。
歯ぎしりがひどいのだろう。
ストレスありませんかと言われました。

ストレスねぇ。
あるとは思いますが・・・
ストレスなかったら惚けると思います。

次は半年で来なさいねと言われました。
お互い元気で働き続けられたらいいなと思いました。
高齢化時代ですが、いつまで働き続けるべきなのか
なかなか難しい選択ですよね!!



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1 コメント

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Unknown (kikokikonoriko19888888)
2023-06-04 05:31:39
参考になるかどうか、、、兄貴は内科医です。87歳現役です
ダンナは83歳現役ですがパートです、
弟は75歳がん専門のクリニックなどで理事
開業していた女医(旦那の従姉妹)は
80歳で医師を辞めたそうです。
極め付きの話ですが、中国の5泰山に登ってゆくと、
「ソンシバク」という
養生集‹貝原さんの原本を書いた医師の本〉などの著者の医師
120歳以上生きたという、診療所に行ってきました。
庭には、当時の木が大木になっており、庭は500坪ぐらいに見えましたが、、、実際は斜面が有るので何千坪かも???
10メーターぐらい離れた所に、大木の「高麗ねむの木」の傍に、壁のない「勉強する集会所」だった「ぱーごら」のような建物が、、、、(先生の醫院の屋根の有る車庫のような円形の建物、)があり、地元の人の言い伝えで100歳を超しても、患者さんが石段を登って連れて来られていて、待合だったり、先生方が集まる勉強スペースだったと話していました。
「診療所」も残っており、屋根の上には1メートルぐらいの草がうっそうと生えていました。晩年は、手に「大きなトゲ」をさして、餌がとれなくなった「虎のトゲ」を抜いて、餌を与えたということで、虎が先生の薬草園を守る「番虎」になったのが「、先生と虎の像」が有りました。
漢方薬に夢中の頃で「地黄」の原種が保存されているというので観に行ったのが目的でしたが,現代の流通している地黄とは違って、「根はひげ根」でしたね。診療所に着くまでの階段の医師の欄干にあたる所には「治療した患者さんの石像」が建っておりました。、背中に瘤のある人、、、など、、奇怪な奇病が石像の欄干になっていました。養生集の日本の著者は、、そこを訪ねたのでしょう。原種も原稿も貴重品の一部は盗まれていて、軍隊が荒らしまわった痕跡が有り、洞穴の中の隠し穴の中に原書など貴重品の一部が残っていました。この先生は「生化学の体内の代謝に精通していた痕跡」が有りました。薬草園を兼ねた、花畑が有りました。たぶん,、、毎日、、あの長い階段を上って診療所に行くという「無意識で足の筋トレ、肺の活量、腹が減るので食べる、、薬草の手入れや、集会の講義、、そうしたことが120歳まで、先生を生かしたのだと、、、生きること、以外は考えなかったのでは、、、無いでしょか??
参考にならないかもしれませんが、、、参考になるかもしれませんね!白髪3000丈の世界ではなくて、、、120歳の痕跡は、、、生きていましたね、、、長くなってゴメンナサイ
 
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