10年後のキミへ贈る大切なこと

わたしのタイムカプセル

長い長いひとりごと ふたたび

2016-05-07 01:06:41 | 日記
今夜は不思議な夜だった。

たまたま点けたNHKでやっていたのは、「北のどんぶり飯物語」という番組だった。

舞台は宮城県にある半田屋。
3日間に渡り、そこに通うお客さんにインタビューする。

震災後、故郷に家族を残して復興工事に携わる現場の人たちが通うことが多い場所だという。

そこに通う人たちは、今なにを思う…みたいな内容だった。

なんとなく見たことある風景だった。
半田屋でご飯を食べる人に、ただインタビューするというだけのその番組。
見入ってしまった。

食事をする人の姿には、なんだかその人の人生が現れてるような気がする。

私は昔から、人がご飯を黙々と一生懸命に食べてる姿を見ると、なぜか切ない気持ちになってしまう。
子どもの一生懸命さや、わいわいと楽しい食事ならそうはならない。

でも、1人黙々と食べる姿には、なんだか切なさを感じてしまう。

食べることは生きることに直結しているからだからなのだろうか。
自分でもよく分からない。

そこに通う人の食事風景を通して見えたもの。

人それぞれに、それぞれの人生がある。

そんな当たり前なことだけど、改めて思い出させてくれる様な番組だった。

大阪から復興工事のために、移住してきた若者の言葉が心に残った。

建設業に携わるその青年は、自分の仕事に後ろめたさがあったと言っていた。

復興のためとはいえ、この仕事は人の不幸の上に成り立ってるんだと、ずっと心にのし掛かっていた、と。

でも、出会う人たちに建設の仕事をしに来ていると言うと、みんなありがとうね、助かります、と言ってくれる。
その言葉に逆に元気付けられたんだ、と。

過ごした3年間がふいに思い出された。
私もそんな風に思っていた時があったなと。

私は結局、何も出来なかったけど。
何も出来なかったけども、それについての後悔はあるのかと言えば無いと思う。

ただひとつ、小さな炎だけはまだ消えてない。
きっといつか…。
それをまた思い出させてくれた。


今度は番組が終わって暫くして、何気なく点けたEテレで、仙台市の岩崎航さんという詩人のドキュメンタリーをやっていた。

また仙台だ。
そんな気持ちで見始めた。

3歳の頃発症した進行性の筋ジストロフィーという難病を抱えたその青年は、今自分1人で何かをする事が全くできない。

唯一出来るのは、ベットの上で専用のキーボードを使い、指先だけで詩を書くこと。

自身のホームページに掲載していた詩。

今は詩集として発売され、たくさんの人を感動させ、勇気づけたり、生きる希望をもつきっかけになったりしている。

大抵の苦労や悩みなど、ほんの些細な事だったことに気づかされた。

岩崎さんは決して偉そうな事は言わない。
全てに感謝しているからなのだろう。

とにかく何が何でも生きてください、生き抜いて下さいと、命を削りながら自分の言葉を詩に綴って伝え続けている。
静かだけど、とても力強い優しさを、テレビを通して感じました。

命を全力で生き続けている彼のその姿に、気がつくと自然と涙が溢れていました。

彼の詩集とエッセイを買おう。
きっと、もっと好きになる。


私は宮城が好きだ。
たった3年だけど、住んだことのあるこの町が、私はとても好きだ。

東北の人には東京の人のそれとは違う、なにか別の力強さを感じる。

冬が長く、夏は短い。
その環境のもと生活しているだけではないだろうけど、それだけでも生命の何かが違う気がする。

友達の中にも、強さの中に静かな闘志と、深い愛情がひっそりと佇んでいるような、そんな人が多い気がする。

またあの地で、自然の厳しさを感じながら、力強く生きてみたい。

そんな風に思った今夜。

移住することはもう無いのだろうけど、きっとずっと大好きな思いは変わらない。

明日は青空応援団の演舞会が仙台で開催されます。
どんな内容なのかは分からないけど、みんなの届けたい想いがちゃんと届きますように。
東京の空の下、祈ってます。


そんな宮城一色の夜でした。