今日は、亡き母のお誕生日。
生きていたらいくつになっているだろうか。
まー、分かってるけど、内緒にしておいてあげるからね(笑)
43歳という若さで亡くなった母。
自分が母親になったからこそわかる。
想像すると、刺すように胸が痛む。
どれほどの無念だったのだろうか。
妹はまだ6歳だった。
どんなに心配したのだろう。
亡くなるほんの数日前。
まだ中学生だった姉に、健康保険証のしまってある場所や他にも家の色々なことを伝えてきたんだって。
その時姉は、何でこんな事言うんだろって思ってたって。
大人になってから、皆で話したんだ。
きっともう、あの時覚悟していたんだねって。
今思い出しても泣けてくる。
亡くなった、その日の早朝の事。
病院にいる父から電話があって起こされた。
昏睡状態になったと。
中学生の姉と私と、まだ小さな妹と。
人気のない早朝の町を、3人で走って病院に向かった。
ベットに横たわる母は、もう目を開けることも、話すことも、動くこともなかった。
うっすらと開いてる瞼から見える瞳が、乾いてるように見えて私はすごく心配した。
こんなに目が乾いてて、起きたとき目が見えなくなったらどうするの?
だれか濡れてるタオルかけてあげなよって。
体が少しずつ冷たくなっていくのがわかる。
私も姉も、必死で母の体をさすっていた。
頭の何処かでは、なんとなくわかっているのに。
諦めたくなかった。
諦めるわけにはいかなかった。
このままじゃ死んじゃう。
お母さん死んじゃダメだよ。
頑張ってお母さん。
必死で体をさすっていた。
となりのベットに入院していた、知らないお婆ちゃんのご家族が、私たちの姿を見て泣いていた。
それに気がついた時、あーそうか、もうダメなんだなって気がついた。
あの日のことは今でも鮮明に覚えている。
悲しいよりも、寂しいよりも。
心が空っぽになってしまって、泣くことも忘れて呆然としていた。
あれから何年経ったんだろう。
もう、随分と昔の話だね。
15歳の姉と。
13歳の私と。
6歳の妹。
あれからみんな、よく頑張ったね。
ねぇ、お母さん。
あーちゃんも、ひろこも。
そして、もちろん私も。
みんなね、本当に幸せな日々を生きてるよ。
みんなそれぞれ母親になって、それぞれ子育てに奮闘してるよ。
ねぇ、お母さん。
不思議なんだけど、日菜子が保育士を目指しているんだよ。
お母さんが保育士だったのを、まるで知ってたみたいだよね。
私、本当に不思議でならないよ。
本当に遺伝子ってあるんだなって、こんな時実感するよね。
お母さんは愛情深くて、近所の児童養護施設の子どもたちを可愛いがってたよね。
よく手を繋いで歩いてたりしたよね。
私、あの頃少しだけヤキモチ焼いてたんだ。
私のお母さんなのにって(笑)
でもね今わたし、児童養護施設の子どもたちに向けてワークショップを開催してるんだよ。
お母さんの姿を見ながらヤキモチ焼いてた小さな娘がね。
意図せずいつのまにか、その姿を受け継ごうとしてるんだよ。
親の背中を見て育つって、きっとこう言う事なんだね。
わたし、お母さんが大好きだった。
三人姉妹の次女で、小さな妹がいて、なかなか構ってもらえなくて。
いつも寂しい気持ちを抱えてた気がする。
でもね、この前ね。
お母さんと中学生になったばかりくらいの私がね。
2人でふざけ合ってるのか、肩を抱き合って大笑いしてる写真を見つけてね。
泣いちゃったよ。
こんな時あったんだって。
あー、ちゃんと愛されてたんだって。
お母さん、ごめんね。
それから、本当にありがとう。
産んでくれてありがとう。
愛してくれてありがとう。
13歳まで、育ててくれて本当にありがとう。
私、お母さんの娘で幸せでした。
本当に本当に幸せでした。
そして今も、私とても幸せです。
長生きできるかわからないけど。
このままずっと、最後まで幸せに生きていくんだろうなって思います。
だって幸せは、私の中にあるからね。
お母さん。
お誕生日おめでとう。
ずっと大好きです。
またいつか会える日まで、頑張って生きていくからね。
心配しないで、見守っててね。
生きていたらいくつになっているだろうか。
まー、分かってるけど、内緒にしておいてあげるからね(笑)
43歳という若さで亡くなった母。
自分が母親になったからこそわかる。
想像すると、刺すように胸が痛む。
どれほどの無念だったのだろうか。
妹はまだ6歳だった。
どんなに心配したのだろう。
亡くなるほんの数日前。
まだ中学生だった姉に、健康保険証のしまってある場所や他にも家の色々なことを伝えてきたんだって。
その時姉は、何でこんな事言うんだろって思ってたって。
大人になってから、皆で話したんだ。
きっともう、あの時覚悟していたんだねって。
今思い出しても泣けてくる。
亡くなった、その日の早朝の事。
病院にいる父から電話があって起こされた。
昏睡状態になったと。
中学生の姉と私と、まだ小さな妹と。
人気のない早朝の町を、3人で走って病院に向かった。
ベットに横たわる母は、もう目を開けることも、話すことも、動くこともなかった。
うっすらと開いてる瞼から見える瞳が、乾いてるように見えて私はすごく心配した。
こんなに目が乾いてて、起きたとき目が見えなくなったらどうするの?
だれか濡れてるタオルかけてあげなよって。
体が少しずつ冷たくなっていくのがわかる。
私も姉も、必死で母の体をさすっていた。
頭の何処かでは、なんとなくわかっているのに。
諦めたくなかった。
諦めるわけにはいかなかった。
このままじゃ死んじゃう。
お母さん死んじゃダメだよ。
頑張ってお母さん。
必死で体をさすっていた。
となりのベットに入院していた、知らないお婆ちゃんのご家族が、私たちの姿を見て泣いていた。
それに気がついた時、あーそうか、もうダメなんだなって気がついた。
あの日のことは今でも鮮明に覚えている。
悲しいよりも、寂しいよりも。
心が空っぽになってしまって、泣くことも忘れて呆然としていた。
あれから何年経ったんだろう。
もう、随分と昔の話だね。
15歳の姉と。
13歳の私と。
6歳の妹。
あれからみんな、よく頑張ったね。
ねぇ、お母さん。
あーちゃんも、ひろこも。
そして、もちろん私も。
みんなね、本当に幸せな日々を生きてるよ。
みんなそれぞれ母親になって、それぞれ子育てに奮闘してるよ。
ねぇ、お母さん。
不思議なんだけど、日菜子が保育士を目指しているんだよ。
お母さんが保育士だったのを、まるで知ってたみたいだよね。
私、本当に不思議でならないよ。
本当に遺伝子ってあるんだなって、こんな時実感するよね。
お母さんは愛情深くて、近所の児童養護施設の子どもたちを可愛いがってたよね。
よく手を繋いで歩いてたりしたよね。
私、あの頃少しだけヤキモチ焼いてたんだ。
私のお母さんなのにって(笑)
でもね今わたし、児童養護施設の子どもたちに向けてワークショップを開催してるんだよ。
お母さんの姿を見ながらヤキモチ焼いてた小さな娘がね。
意図せずいつのまにか、その姿を受け継ごうとしてるんだよ。
親の背中を見て育つって、きっとこう言う事なんだね。
わたし、お母さんが大好きだった。
三人姉妹の次女で、小さな妹がいて、なかなか構ってもらえなくて。
いつも寂しい気持ちを抱えてた気がする。
でもね、この前ね。
お母さんと中学生になったばかりくらいの私がね。
2人でふざけ合ってるのか、肩を抱き合って大笑いしてる写真を見つけてね。
泣いちゃったよ。
こんな時あったんだって。
あー、ちゃんと愛されてたんだって。
お母さん、ごめんね。
それから、本当にありがとう。
産んでくれてありがとう。
愛してくれてありがとう。
13歳まで、育ててくれて本当にありがとう。
私、お母さんの娘で幸せでした。
本当に本当に幸せでした。
そして今も、私とても幸せです。
長生きできるかわからないけど。
このままずっと、最後まで幸せに生きていくんだろうなって思います。
だって幸せは、私の中にあるからね。
お母さん。
お誕生日おめでとう。
ずっと大好きです。
またいつか会える日まで、頑張って生きていくからね。
心配しないで、見守っててね。