10年後のキミへ贈る大切なこと

わたしのタイムカプセル

7年

2018-03-11 01:20:07 | 日記
7年前。

もう、7年も経ったのかと驚く。

あの日の事は一生忘れないよ。

今この時に、助け合わなければ人間として生まれてきた意味などないじゃない、そう思い衝動に駆られた。

あの日、駅前にいた私は慌てて家に戻り、小学校に娘たちを迎えに行った。
娘たちは涙目で抱きついてきた。

寒空の下、怯えるような目で子どもたちは保護者の迎えを待っていた。

交通機関は大混乱だった。
きっと迎えに来られない親がいるだろう。
そう思い、家中のひざ掛けや毛布を学校に届けたのが、私の最初の支援活動だった。

了くんのブログを見つけ、物資を彼に託そうと必要なものを送り始めたのが3月の終わりの頃だった。

私が送ったチョコレートを「もう2度と食べられないと思ってた」と言って、子どもが泣いて喜んでいたよと教えてくれた時も、私は東京でひっそり涙を流すしか出来なかった。

私にも子どもがいる。
娘たちを守らなければならない。
この先どうなるか分からない状況で、支援を続けることに葛藤がなかったわけではない。

でも、今この時に人助けをしなければ、この子たちの親として自信を持って生きていけるのだろうかと思った。

自分たちさえ良ければいいって、そんな風には生きたくなかった。

始めて宮城に足を踏み入れたのは、5月の事だった。

今、思い出しても胸が痛む。
何を思い出しても胸が傷む。

支援だ、人助けだ、ボランティア活動だ、と言ったって、何一つ助けてあげることなど出来なかった。

その場を離れてしまえば、ただの他人。
東京に戻れば普通に生きていける。
何もできない自分が情けなかった。

あの日。
初めて津波で泥だらけになったお家の片付けを手伝った日。

お家のお母さんが、どこで買ってきたのか、休憩の時にお菓子をいっぱい振舞ってくれた。

お茶を飲みながら、お母さんも交えてみんなで笑った。

すごいよ。
人間って強いんだ。
生きてることが奇跡という状況の中で、こんなにも笑顔でいられるって、本当にすごい事だと思った。

でも被災された方の中で誰一人として、自分は助かって良かったって、ただただそう思ってる人はいなかった。

あるお婆ちゃんは、自分は助かったけど誰も助けられなかったと、涙ながらに話してくれた。

足が悪くて、水が邪魔して、助けてあげる事が出来なかったと、涙を流していた。
毎日後悔し、苦しんでいる。

そんな姿に胸が締め付けられた。

家を失い、食べるものも着るものも失い、長年積み重ねてきた大切な思い出の品も失い、穏やかな日々を失い、それでもなお、後悔し苦しみながらの毎日を過ごしている。
自分を責めて続けている。

私がかけられる言葉など、何一つ見つからなかった。

黙ったまま、一緒に涙を流すしかなかった。

何もできなくてごめんなさいと、心の中で呟くしか、できなかった。

もうあれから7年。

明日生きてるとは限らない。
本当にそうなんだ。

何もできない自分に疑問を感じ、一体私は何をしたらいいのだろうと問うた時。

彼は私に「学んで下さい」と言った。

いま俺たちに出来るのは、学ぶことだけだと。

私は学んだ。
だから私は知っている。

今日、娘たちに愛してると伝えた。
急にどうした?と聞かれたけど、今日は3月10日だからねと伝えたら「あ、そうだったね」と答えた。

そして、愛してるよって言ってくれた。
娘たちもわかってるんだ。

3月10日は。
兵庫にとっての1月16日。
熊本にとっての4月15日。

今日生きてることは、当たり前なんかじゃない。

やりたいことをやろう。
やりたくないことはやらない。
楽しいことをたくさんしたい。
嬉しいことをたくさんしたい。
喜んでくれるかなってワクワクしたい。
ありがとうっていっぱい言いたい。

明日また、お月様綺麗だねって言いたい。
青空を見上げて、気持ちいいねって言いたいな。

亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、皆様の幸せを心よりお祈り申し上げます。

過去のわたし

2018-03-07 00:29:02 | 日記
信用金庫に勤めていた頃。

一年間、渉外係に配属されたことがある。

勤めていた信金が、女性を渉外係に配属する試みを始めてから2年目の事だったと思う。

毎日毎日、自転車に乗って。
雨の日も風の日も雪の日も猛暑日も。
一日中外回りをする日々。

まだ20代前半。
髪やお化粧が乱れるのも気になる年頃。

そして今思うと、大金を抱えて信金の制服で自転車に乗り、街の中をウロウロしてるなんて、本当に恐ろしすぎる(笑)

営業課の女性は私以外にパートのおば様が1人。
基本的に男性ばかりの部屋にポツリと私。

可愛がってもらったしみんな優しかったけど。
決して楽しい思い出ばかりではない。

当時はセクハラという言葉が、やっと世の中に認識されたくらいの頃。
おじさんたちは鼻で笑ってた。

世の中ことすらよく知らない小娘が、社会の荒波に揉まれながらよく成長してきたなって思います。

どこを見渡しても憧れる存在がいるわけでもなく。
他の世界を知らないまま、いつかこの小さな世界の誰かと結婚したりするのかな…と思ったら、ぞわっと虫酸が走ったのを覚えています。

人や環境が悪いわけじゃなくて。

若くて、荒々しくて、痛々しくて、勇気もなく、刺々しくて、私は弱かった。

自分を追い込み、そこから逃れる術も知らず、毎日どんよりした日々を過ごしてました。

でも、今となればどんな思い出も、いい思い出です。

入社した時の研修は厳しかったけど、社会人としての常識、電話応対や名刺交換などの一般的なマナーはここでみっちり叩き込まれました。

それは本当にありがたいことだと思います。

当時から顧客サービスに力を入れていましたが、今でも時折窓口に行くと、とても気持ちのいい応対をしてくれます。

さすかだな、と思います。

そして今、その古巣の信金を絡め、産学官金連携しながら、新たな事業展開を虎視眈々と?進めております。

人生って何がどうなるか本当に分からないものですね。

本当は古巣の信金マンたちに、私の存在をあまり知られたくはないのだけれど。

だって、いつか元彼に会いそうだから…。
はー、恐ろしい(笑)

毎日が目まぐるしく過ぎていきますが、なんだかんだと希望に満ち溢れた日々を送っています。

明日もまた頑張ります。

毎日眠い…。