少し前のこと。
近所の取引先に向かうため、自転車に乗っていた。
通り道、娘たちが通っていた中学校の前を通りかかり、校庭の桜が満開になっているのを目にした。
つい、自転車を止めた。
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この学校は、次女が中学二年生の時に統廃合され、卒業と同時に廃校となった。
校庭には雑草が生え、誰もいない校庭は傷んでいるようだった。
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近いうちに解体される予定の校舎は、人気がなくなると、あっという間に寂れていった。
なのに桜の木だけは堂々と、誇り高く、当たり前のように咲き誇っていた。
生きているんだ。
この桜の木は、どうなるのだろう。
形あるものはいつか壊れる。
だけど、桜は生きている。
満開の花が、人間の身勝手さを訴えてるように思えた。
でもきっと。
この場所がどんな風に変わっていこうとも。
この場所で過ごした子どもたちの体温や、感情や、喜怒哀楽や、息遣いや、人影は。
残像となり、思い出として残っていく。
それは誰にも、何にも変えられない、証のようなものなんだと思う。
近頃私たちの生活は、コロナウイルスの猛威に押され、瞬く間に変わっていった。
外出自粛を要請され、人と会ってはならなくなった。
でもそれは、ウイルスから身を守るために必要不可欠なこと。
つい数ヶ月前まで、こんな事態になろうと誰が思っていただろう。
世の中は刻一刻と変わっていく。
SNSが駆使され、リモートワークやリモート会議が定着しつつある。
世の中は変化していくものだ。
その時世にあった生き方を、していかなければならないのも事実だ。
世の中はもっと変わっていくだろう。
生きるために必要なことを、みな粛々と守り続けている。
そして戦っているのだ。
ただ。
みんなも気付いてるはず。
生きるために必要なこととは何か。
それはただ単に、衣食住があればいいのではないということを。
人間の生活を豊かにしていたのは何なのかを。
生命を維持するためだけなら、必要ではないかもしれない音楽や芸術。
イベントやアミューズメントが、どれほど私たちの生活を豊かにしてくれていたのか。
私も、体が、感覚が覚えている。
娘に連れられて行った、東京ドームで開催されたジェネレーションズのドームツアー。
場外は大混雑。
入場するためだけに長蛇の列に並ばされた。
だけど。
LIVEが始まったときのあの高揚感と大歓声。
今でも忘れられない。
あの胸が震えたときの感覚。
それから、絵画などには疎いけど。
モネの睡蓮がずっと好きで。
東京美術館で開催された、モネ展を観に行ったとき。
実際に目にしたのは、私の好きな睡蓮の絵ではなかったけど。
他の睡蓮の絵も素晴らしく、他の作品にも圧倒され、魅了された。
絵画の素晴らしさは、観た人にしかわからない…ということを知ることができた。
人が生きるということは、ただ空気を吸い、栄養や水分を摂り、睡眠することだけではないのだ。
自然の中で大好きな仲間とバーベキューしながら飲むビールの美味しさや。
娘たちの笑顔に包まれ、夢心地で過ごしたディズニーランドの楽しさや。
苦しさと疲労を乗り越え、天空の頂上に達成し、下界を見下ろしたときの爽快感や。
晴天の下、汗をかきながら、音楽に耳を傾け、その歌声に涙を流したときの感動や。
大勢の人たちに押されながらも、竹笛の音色に包まれて、ワッショイワッショイとお神輿を担いだ時の誇らしさや。
ものづくりのワークショップで、子どもたちの最高の笑顔に出会えたときの高揚感や。
そうやって、人と人とが繋がっていくことが、人生を豊かにしていくんだ。
息遣いや体温。
鼓動や、声の振動。
感情や感動。
悲しみや苦しみ。
喜びや、幸福感。
ともに過ごすことで、感じるんだよ。
だから、分かち合おう。
喜び合おう。
どんな谷底に堕ちようとも。
生きていれば這い上がれる。
また、いつか。
必ずやってくるよ。
あの時の感動が。
あの、幸せなひと時が。
だから。
夢を忘れるな。
希望を捨てるな。
それまで生きよう。
生き続けよう。
もう一度。
いや、何度でも。
あの時の笑顔を取り戻そう。
あなたを守るために、私は守る。
私を守るために、あなたも守ってほしい。
さあ進もうよ。
輝かしい未来へ。