10年後のキミへ贈る大切なこと

わたしのタイムカプセル

未来へ

2020-04-16 00:50:00 | 日記

少し前のこと。

近所の取引先に向かうため、自転車に乗っていた。

通り道、娘たちが通っていた中学校の前を通りかかり、校庭の桜が満開になっているのを目にした。

つい、自転車を止めた。

この学校は、次女が中学二年生の時に統廃合され、卒業と同時に廃校となった。

校庭には雑草が生え、誰もいない校庭は傷んでいるようだった。

近いうちに解体される予定の校舎は、人気がなくなると、あっという間に寂れていった。

なのに桜の木だけは堂々と、誇り高く、当たり前のように咲き誇っていた。

生きているんだ。

この桜の木は、どうなるのだろう。

形あるものはいつか壊れる。

だけど、桜は生きている。

満開の花が、人間の身勝手さを訴えてるように思えた。

でもきっと。

この場所がどんな風に変わっていこうとも。

この場所で過ごした子どもたちの体温や、感情や、喜怒哀楽や、息遣いや、人影は。
残像となり、思い出として残っていく。

それは誰にも、何にも変えられない、証のようなものなんだと思う。

近頃私たちの生活は、コロナウイルスの猛威に押され、瞬く間に変わっていった。

外出自粛を要請され、人と会ってはならなくなった。

でもそれは、ウイルスから身を守るために必要不可欠なこと。

つい数ヶ月前まで、こんな事態になろうと誰が思っていただろう。

世の中は刻一刻と変わっていく。

SNSが駆使され、リモートワークやリモート会議が定着しつつある。

世の中は変化していくものだ。

その時世にあった生き方を、していかなければならないのも事実だ。

世の中はもっと変わっていくだろう。

生きるために必要なことを、みな粛々と守り続けている。

そして戦っているのだ。

ただ。

みんなも気付いてるはず。

生きるために必要なこととは何か。

それはただ単に、衣食住があればいいのではないということを。

人間の生活を豊かにしていたのは何なのかを。

生命を維持するためだけなら、必要ではないかもしれない音楽や芸術。
イベントやアミューズメントが、どれほど私たちの生活を豊かにしてくれていたのか。

私も、体が、感覚が覚えている。

娘に連れられて行った、東京ドームで開催されたジェネレーションズのドームツアー。

場外は大混雑。
入場するためだけに長蛇の列に並ばされた。

だけど。

LIVEが始まったときのあの高揚感と大歓声。

今でも忘れられない。
あの胸が震えたときの感覚。

それから、絵画などには疎いけど。
モネの睡蓮がずっと好きで。

東京美術館で開催された、モネ展を観に行ったとき。

実際に目にしたのは、私の好きな睡蓮の絵ではなかったけど。

他の睡蓮の絵も素晴らしく、他の作品にも圧倒され、魅了された。

絵画の素晴らしさは、観た人にしかわからない…ということを知ることができた。

人が生きるということは、ただ空気を吸い、栄養や水分を摂り、睡眠することだけではないのだ。

自然の中で大好きな仲間とバーベキューしながら飲むビールの美味しさや。

娘たちの笑顔に包まれ、夢心地で過ごしたディズニーランドの楽しさや。

苦しさと疲労を乗り越え、天空の頂上に達成し、下界を見下ろしたときの爽快感や。

晴天の下、汗をかきながら、音楽に耳を傾け、その歌声に涙を流したときの感動や。

大勢の人たちに押されながらも、竹笛の音色に包まれて、ワッショイワッショイとお神輿を担いだ時の誇らしさや。

ものづくりのワークショップで、子どもたちの最高の笑顔に出会えたときの高揚感や。

そうやって、人と人とが繋がっていくことが、人生を豊かにしていくんだ。

息遣いや体温。
鼓動や、声の振動。
感情や感動。
悲しみや苦しみ。
喜びや、幸福感。

ともに過ごすことで、感じるんだよ。

だから、分かち合おう。
喜び合おう。

どんな谷底に堕ちようとも。
生きていれば這い上がれる。

また、いつか。
必ずやってくるよ。

あの時の感動が。
あの、幸せなひと時が。

だから。

夢を忘れるな。
希望を捨てるな。

それまで生きよう。
生き続けよう。

もう一度。
いや、何度でも。
あの時の笑顔を取り戻そう。

あなたを守るために、私は守る。
私を守るために、あなたも守ってほしい。

さあ進もうよ。

輝かしい未来へ。