こんなこといいな、できたらいいな♪ モモのような、聞き上手。
今年のゴールデンウィーク、ミヒャエル・エンデ作の「モモ」(岩波書店)を読みました。
モモ、時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語。
モモのような、とは? 本文より引用します(以下。途中、略あり)
小さなモモにできたこと、それは相手の話をきくことでした。
なあんだ、そんなこととみなさんは言うでしょうね。誰にだってできるじゃないかって。
でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことができる人はめったにいないのです。
モモが考えを引き出すようなことを言ったり質問したりしたというわけではないのです。
彼女はただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。
その大きな目は黒い目は、あいてをじっと見つめています。
おれの人生は失敗で、何の意味もない、生きていようと死んでしまおうと、
どうってちがいはありゃしない。この人がモモのところに出かけていって、
その考えを打ち明けたとします。すると、しゃべっているうちに、自分が間違っている
ことがわかってくるのです。いや、おれはおれなんだ、世界中の人間の中で、おれという
人間はひとりしかいない、だからおれはおれなりに、この世の中で大切な存在なんだ。
こんなふうにモモは人の話が聞けたのです!
ブラボー! 素敵!! おまけに…再び引用します(以下)
友達がみんな家に帰ってしまった晩、モモはひとりで長い間、古い劇場の大きな
すりばちの中にすわっていることがあります。頭の上は星をちりばめた丸天井です。
こうしてモモは荘厳なしずけさにひたすら聞きいるのです。こうして座っていると、
まるで星の世界の声を聞こうとしている大きな大きな耳たぶの底にいるようです。
そして、ひそやかな、けれどもとても壮大な、えもいわれず心にしみいる音楽が
聞こえてくるように思えるのです。
アンビリバボー! 素敵すぎる…拍手喝采。
テレビを見ながらメールを打ちながら、自分の思いにとらわれながら、話をきき流すのではなく、
目の前の相手に集中し、きくことに純粋懸命であるこの誠実さ、なかなかできません。
モモのように人の話を耳だけでなく、目で、全身を傾けて…心できけるようになりたい。
不安な世の中で、本当の私、本物の何かを探しては目の前のバーチャルを嘆く。
(…目の前をバーチャルにしてしまう?)
これは本末転倒というもの。 気を入れて真摯に向かってこそリアル?
本気になって感じてみたい。まず、きくことから相手を…。
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