キャロリン。の日記

いつも、熱く、楽しく、全速力で、生きること。

週末~のんびり

2020年05月09日 | 家族
久しぶりのゆっくりした週末です。

実父が逝き、義父が倒れて、介護に明け暮れているうちに一年後、義父が逝きました。
実父の時よりも義父の亡くなった後の方が忙しく怒涛の日々でした。

世間の喧騒の中で、町は静まり返っていましたが、私はとても忙しく、夫と義母の介護やら相続の手続き(と言っても、公共料金などの変更)などを交代したGW後半は、疲労困憊して、毎日ゆっくり寝て過ごしました。

振り返ると、義父は、とてもついていたのではないかと思います。
もっと丁寧に長く生きられたのに…死に急いだ感がしていましたが、このコロナ騒動を見るとき、
多くの本当に多くの方々と最後のお別れが出来たことは、とてもラッキーだったのではないだろうかと思いました。

その後も週末となるたびに、夫と義母のところに行っていましたが、
今週は、夫婦でゆっくり家で過ごしました。

夫は、図書館も借りることも出来ないので、娘の借りて来ていた図書館の本を読んでいます。

私は娘のおすすめの映画を観させられています。

私を泣かせる会
というものを姉妹で作って、涙腺がほころびそうなものを選んできます。

友人に勧められた
「They live]
を、二回ほど見ました。
息子は一回見ただけで分かったのに、私は意味が見えず、内容もすぐに忘れて、二度目でやっと、淀川長治さんの解説を理解しました。
しかし、これ、凄い前の作品です。1988年当時これを風刺だと理解していた人々のことも、この作品を作った人も、凄いですね。     たぶん、私は、小さな頃から、金曜ロードショーを母と二人で観るのが楽しみだったので、1988年だったら、きっと観ていたはずなのに・・・・覚えていない。特に、なぜか、洋画が大好きなのです。小さな頃に観た金曜ロードショーの影響のように思います。       

娘達からは、
「私の中のあなた」
「バービー」
「深夜食堂」(7,8,9天使のハンバーガー)
「太陽の下で」
「LION」

を勧められて、
毎日、毎日、考えさせられる日々です。
特に、もう、バービーなどは、やりきれなくて、
「誰も知らない」の時のような、悪寒と呆然自失の脱力感・・・・。

また、コロナで、心配していただいたり、
心配で不安を訴える電話などが増えています。

落ち着くようにあれこれ話すのですが、難しいですね。

そうそう、息子と 
偶然、大きな木の下でという本を読みました。
天然痘が疫病だった頃のお話でした。
息子も私もハラハラドキドキして途中で止められなくなり、夜更かしして息もつかずに読み上げました。

 大きな木の下で


学校がお休みだからこそ楽しめる家族の時間を大切にしたいですね。
今夜の夕食は、
ぶり大根、(こしあぶら、しいたけ、たん)のてんぷら、メカブ、からし菜のサラダ、シウマイ、レタスの掻き玉味噌汁。
買物にも行かずに、ゆっくり準備して、早い時間に夕食。
嬉しい。

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リレー介護②~某ブログより

2019年12月17日 | 家族
アメブロwatosonさんのブログより~ ガン患者を持つ家族の苦悩と悲しみと怒り ~
2019-12-15


昨日は、義父を往診してくださっている主治医の先生からお電話を頂いて、
正直な思いの丈を伝えた。

薬依存になっていること。
麻薬としての本来の有効性が発揮されているとは思えないこと。
本人の訴えよりも動けていること、
麻薬や抗神経薬、眠剤等の使い過ぎによる認知症の徘徊の方が、現状の認知症以上に大きいと感じていることなどを伝えた。

薬の厳重管理のためにも、病院なり施設で調整が必要かということになった。

電話魔になって、夜中の電話が特に酷いらしく、薬局も、病院もお手上げのようで、先日も、メイン病院ではなく、義父が勝手に行ってしまった近医の総合病院からななんと、我が家の自宅に掛かってくるようにまでなっていた。「1日中何度も電話がかかってきて念押しするけれど、またすぐ忘れて掛けてきてしまう」とのことでした。

かなり前から、夫の叔父からも、電話と車の鍵を取り上げてしまうようにとは伝えられていた。でも、夫も義母も出来なかったのである。

今日は丁度そんなところに、いつも読ませて頂いているwatosonさんのブログにヒットする記事があったので、夫と、義母に読んで貰いたいと思いました。

一生懸命働いて、妻と、子や孫のためにどれほどのそこに生きがいを感じていたことでしょう。
8月頃には、それでも医師に社会復帰をしたいと伝える義父の意欲にびっくりしました。

11月には最後の義父の作った無農薬のサトイモの収穫を息子のごんた(義父にとっては孫)が、頑張ってくれました。
ごんたはまだ、130センチの身長しかありません。体重も25キロほどです。
それでも、一生懸命掘ってくれました。

自分が亡くなっても、派手で贅沢が好きで浪費家の母のことを、「俺が死んでも、妻が好きなものを食べて好きなものを買うだけの預金は残したつもりだ。妻の要求には惜しみなく使わせてやって欲しい。」
と心配していた。


自分は贅沢もせずにぼろをきて節約しながら、88歳までお金を稼ぎ、おしゃれな母を嬉しく誇りに思っていたんだろうね。
まだまだ、余命は何年もずっとあるのに、余命宣告をされただけで、不安になって、3月に宣告されて夏が越せないくらいに思ってしまうまじめで心配性な義父。

よほどのことがない限り我慢我慢、忍耐忍耐で病院には行かない私の実家の両親に比して、夫の両親は、夫も、西洋医学信奉者であり、製薬会社のいいお客である。

夫の祖母が、放射線とケモの苦しみから逃れて、治療を断念逃げて帰って来た時に、義母は、
「おばあさんは、がん治療をしないから、すぐに死ぬと思う。」と言っていた。
私と私の友人で夫の祖母の担当の看護師は、「○ちゃん(祖母の名前)逃げて帰って正解だったよね。」「うん、そう思うよ。」
と良く語り合っていたものだ。

勿論義父母にはそんなことは言えるはずもなくでしたが。

このところの薬依存と麻薬と眠剤やら不安薬やらを、主治医に減薬して貰ったはずなのが、近医のクリニックにあちらこちらいっては眠剤やら抗不安薬やら鎮痛剤やらを貰ってくる。底なしの泉のように薬(眠剤や抗精神薬系)が湧き出てくるのだ。主治医は出していなかった麻薬や沈痛神経薬、抗不安薬も、近医の総合病院からはしこたま出ていた。

まじめで一生懸命生きた義父に、あまり、不憫で寂しい悲しい思いをして欲しくない。薬剤で壊れて欲しくない・・・・。

最期まで正気で、明るく、暖かな家族に囲まれて生きて欲しいと思っている。

義父は、息子二人からも、あまりのわからずを言うので、素っ気なくされている。
私のところか、私が出ないと、次女の(孫)ハイジに電話をしてくる。

週末に義父のところに嫌がる夫を差し向けるのは、ハイジである。
じっくりと思いを込めたコーヒーを夫に淹れて、「息子に会いたい口実なんだよ。」と、チャッカマンを買ってくれとか、先週変えたこたつの向きが悪いからまた変えてくれ。とか、些細な用事を頼む義父のことを見通して、夫に頑張って行って来いとハイジが背中を押してくれます。

病人が出て大変だけれど、家族の暖かさや、大切さ、うれしさ、幸せをとても感じることができて、人生って、楽しいね。ついてる!って思えるのです。    そうそう、今日、ついてるだらけの私のお話を私の看護師さんにすることで、なんて私ってついているんだろう。を再認識しました。この奇跡的なお話は、番外編として次に書きますね。


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リレー~介護①

2019年12月15日 | 家族
ドロが少し目が離せるようになって
父が逝って、
間髪入れずに、義父の介護がやってきた。

本当に、父の葬儀が終わった翌日に、義父の介護がやってきた。


それが、今まで全く手の掛からない働き者で、子や孫思いで、それを恩にも着せずに、優等生の舅をしてきてくれたのが、
いやはや、それはそれはもうたくさん手が掛かりまして、息子である夫は、突き放すので、

お節介婆の私が登場の毎日です。



まあ、父があっという間の急逝だったので、父の分までと思えてしまうので頑張っています。


介護の肉体的な痛手以上に困っているのは、無農薬野菜が無くなってしまったことです。

この間、最後のサトイモをごんたと、動けなくなった義母と3人で掘りました。


1作掘るのにとても時間が掛かり、肉体的にもヘロヘロになり、脱水でフラフラで気持ち悪くなって、塩水バクバク飲みました。

でも、ごんたも、私も清清しい思いと、義父への感謝を経験することができた。


(でもその後、ごんたは土の何かの菌に感染して足が膨れ上がり、皮膚科に行く羽目に成ってしまった。)



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恩師の訃報~

2019年11月05日 | 家族
  私は、一昨日は、恩師の先生のお通夜に行って来ました。
  なんだか、父の時よりも泣けてしまって、回想が走馬灯のようにめぐると、自分の中で、中学時代の先生方が一番大きな宝を下さったように思います。

昨年の9月25日に数学の先生、今年11月2日は理科の先生が逝きました。

数学の先生は、家族葬で行われてしまったので、まださよならが出来ていません。
数学嫌いから、脱出させてくれて、じっくり頭を働かせて考えることの楽しさ、面白さ、気持ちの良さを教えてくれた先生です。
家族葬っていうのも先生らしいと思うのです。出世など毛頭考えずに、生涯を一現場の教師で終えられましたが、クラスや学年をまとめる力なども凄くて、する気なら出世してたと思います。
いつかお墓参りに行けたらいいなあと思っています。





   理科の先生は厳しくて、とても授業はピリピリしていて、課題も多くて大変でしたが、在学中から、卒業してからも快く受け入れてくれて多くの生徒が慕って、集っていました。  特に、私は、家が農家で仕事がいっぱいあったので、いつも勉強する時間が取れずに家の手伝いをしていたことに気付いてくれて、父や母に、「自由な時間を上げて欲しい。もっともっと才能を伸ばしてあげたい。」と懇願してくれたことが思い出されて、哀しいのに嬉し涙でいっぱいになりました。 
  そして、先生は、定年後に染色家としても謳歌していた頃に、私は父の方針で和裁を習っていて、その染めた着物を縫って欲しいと言われたのですが、結局縫ってあげることが出来なかったことを今、とても後悔しました。
結婚式でも、いっぱいいっぱいのお祝いの言葉と私のことを褒めてくださったことは親に褒められたことのない私には本当に嬉しく思いました。 
理科の先生は、女性ですが、男みたいなさばさばした性格で、毅然として、いつも小柄なのにタフで元気いっぱい前向きで、優しく思いやりに溢れた気さくな先生でした。
昨年の同窓会ではぴんぴんしていたので、残念でなりません。    それでも、良い出会いに感謝してうれし涙が出てしまいました。


  お二人の先生は亡くなられたけれど、先生の教えや生きた後ろ姿は、永遠に私たちの心に受け継がれ、またこの素晴らしい先生方の人生の核を自分の子どもたちや、知り合った方々へ何らかの形で伝承してゆけたらと思います。

どうぞ安らかにお眠りください。



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鏡の法則~考えるゾウ

2019年10月13日 | 家族
台風で、大変な地域の方々、お見舞い申し上げます。

一日も早い復興を祈ります。

我が家の台風は、前回の方が酷い風で、ななんと換気扇が落ちてきました!

今回は、さほどの被害はありませんでした。

夫の実家は避難勧告が出て、隣保班長さんが安否確認をしたそうですが、電話が通じなかったとのことで、今日、見に行ったら、ご近所さんから報告を頂きました。

様子を見に行ったほかに、
このところあれこれ瑣末な用事を作っては息子の顔が見たいようなので、冬支度のために今日は行きました。

足腰が悪くなった義父に対して、足腰が悪くても炬燵で温まりたい義母。

義父は、私から見ると、本当に自由奔放に、周りを振り回して一生涯を生きてきた明るい義母を愛し、どんな贅沢をも喜んでさせてきたという感がありましたが、数日前も、自分のことよりも義母の気持ちを優先して、こたつに戻したいというのである。
本当にすごい夫婦愛で、羨ましい。自分は贅沢もせずに質素に暮らし、義母にすべてを投資して、義母がどれほどお金を使おうとも文句も言わず、死後の義母の暮らしが困らないかを心配している。
義父の希望は
お米も突きに行って欲しい。お醤油が終わった。
用事は尽きないのである。
お醤油はなかったのであるが、お米はまだまだ年内いっぱい持つくらいありました。

一番はね、息子の顔を見たいのよ。

純もハイジも私も分かっているのに、

夫はうざいとか、いくら言い聞かせても、グチグチネチネチクヨクヨしている父親に、愛想をつかして会うたびに暴言三昧。自ら早く死にたいんだから放置するのが一番とか言って、
会いに行かないの一点張り。

ハイジが、交換条件を出して、何とか重いお尻を叩いた。

結局、一日中、不機嫌ランプの点った夫は、帰宅しても不機嫌で、嫌み三昧、八つ当たり三昧、面白いことにスマホに向かってシリにまで当たっている。

またまた、ハイジに、お願いだから夫の機嫌を何とかして~と依頼。



で、そこで、私が考えている最近のテーマは、鏡は何をメッセージしているんだろう。

なんだかんだ言っても、せいたら焼いてる我が家はほのぼのとしている今日この頃である。

で、せいたらを焼く。ってやっぱりまた群馬弁かいな?って盛り上がっています。

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断捨離〜さよなら図鑑たち

2019年09月29日 | 家族

さよならすることにしました。私が生まれた時に中学生だったおじちゃんが、大学生になって、私の小学校の入学お祝いとして買ってくれた図鑑。
アルバムも確か
このおじちゃんがプレゼントしてくれた。

亡き父は
「女に学問は要らない。
手伝いしろ!」
という教育方針で、本など買って貰えなかった。

その中で、東京の大学へ進学した父の一番下の弟であるおじちゃんは、とても私を可愛がってくれて、いつも物で贈り物をしてくれた。

ずっとずっと大切にしてきた。
何回も引越ししても捨てられなかった。
ずっと一緒に生きてきた思い出の本です。
生まれて初めての本とも言える自分の本。

子どもたちに、「理科系図鑑は進化してるから、正確性に欠ける部分もいっぱいあるから。」と言われて
断捨離することにした。

ありがとう図鑑たち。
いっぱいいろんなことを教えて貰った。
おじちゃんの愛がいっぱい詰まった図鑑は、人生の辛い時も、勇気や元気をくれた。ありがとう。


断腸の思いでさよならしよう。
おじちゃんの愛が永遠だと思ってるから。

おじちゃんは、長生きしてね。
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充実した夏〜ご無沙汰しています

2019年08月14日 | 家族
お久しぶりです。

皆様
暑いけれど、いかがお過ごしでしょうか。


私は、南国🏝です。
もう自分の故郷だと思っています。

温かな人々の愛は、とっても気持ち良くて
癒されます。

いつもお米を送って貰ってるお母さんたちと一緒に
田んぼの草取りをした。

僅かな時間だったけれど。

草取りは、大変なお仕事ですが、

ごんたは、
カエルやトンボ
イナゴにカマキリやコオロギ
アブ
いろいろな虫や鳥や花に迎えられて、
幸せな時間を過ごすことが出来た。

そうそう
イノシシ除けの電線触ってビックリ‼️したり。
湧水飲んだり。
猫たちには再開して嬉しそうにしていました。

ドロは、充電中!1日の稼働時間4時間です。

ハイジは「受験生だから行かない。」
と家で1人暮らしのお試し中です。


2011年から8年間が過ぎた。
最近ようやく
いろいろあっても、幸せだと感じている。


もう
筋けいれん
振戦
不随意運動
ミオクローヌス
ジストニア
頭痛
筋力低下
脱力
疼痛
の後遺症はあるけれど、

前を向いています。



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思春期〜どうしていますか?

2019年06月22日 | 家族
ごんたが、
先輩からエアガンを貰ってきた。


うちら夫婦は、エアガンでも、持たせたくないし、遊ばせたくないのです。

必要悪なのでしょうか。

思春期到来に、困惑中です。

テスト期間中で部活もないのに、余裕でここぞとばかりに遊びに熱中。


ママ友からの情報を貰って知った由。


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運動会~振休の一日

2019年06月03日 | 家族
土曜日に運動会が終了して、ごんたは、とっても頑張りました。

新しい環境で、精いっぱい頑張っています。

倒れそうなほどに頑張って、もう、頬に赤い血管炎が浮き出てきてはじけそうなくらいです。

思わず大量投与のコルチン君。

で、昨日は、更に、一日、フィナボッチ数列のお勉強してきた。
私が、
「フィナボッチ数列ってどんなの?難しかった?」って言ったら、
ごんたに、
「違うよ。フィボナッチ数列ね。難しくて、わかんないよ~」

と言いながらも、教えてくれました。

ハイジも加わって、
「かたつむりの殻の縞模様はね・・・・」

それでも、夕方に、公園に出掛けて行った。
帰宅後に、みんなで、「早く薬飲んで早く寝ないと明日行けないよ~。」コール。

いつもイベントの後や、イベントの練習で当日に発熱してダウンが恒例のごんたを案じてみんなで、休息を促す。


そして、今朝は無事に、運動会の振り替え休日で、朝から新しい学校で出来たお友達と、川遊びに出掛けました。

お友達のお母さんが一人で引率してくれています。
フルタイムで働いているのに
そのバイタリティに敬服します。
もう、ひたすら、感謝です。



楽しい経験をさせて頂いて、嬉しいですね。


ごんたのお友達のママさん、ありがとうございます。



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義父は所詮他人~父の死②

2019年05月26日 | 家族
ドロも抱えて、ごんたは遺伝子変異疾患
の上に、当然、双方の親は高齢化してきて介護の世界に入ってきている。

夫の父が、急激に不調なのである。
米寿を迎えても、元気に孫のドロのために、無農薬のお米や野菜を作ってくれてきたのに、僅か一か月も経たない間に動けなくなってしまった。

今後の疼痛対策をせねばになってきたと思い、いろいろ代替療法を提案するが、ダメ出しから始まって、その後も、言い訳が続いたり決断が付かないのである。


無理強いするわけにもいかない。

つくづく、田舎の無学な従順な人々の生き方を思う。

お医者様は神様です。みたいな感覚。

お医者さんにすべてを任せてお願いするという姿勢。

お医者様に嫌われたら生きていけない。くらいの下から顔色を窺う態度。

お医者さんにお金を積まねばいい治療がして貰えないという思い込み。

所詮他人だから、そういう考え方もありかも知れないと思う。

私は、一生懸命やったと思う。

最近、私は、自分で人間性に変化が出たと思う。
以前なら、いつも、いつも、真っ向直球勝負だった。

どうでもいいことは、譲れるが、どうしても自分の中心的な柱の部分で譲れないものは、決して譲らずに生きてきた。

そういう考え方や生き方に、ある意味で誇りを持っていたのだと、父が亡くなって初めて思った。

喧々諤々と議論して、意見が合わなくても、清清しい心の繋がりを感じていたのだと思う。


ここ最近、私は、とても、戸惑いがある。

お互いに意見を議論を交わしあうことをしてきた家庭や家族、ご近所や仲間の繋がりというのは、殆どないのだなあと痛感する。

少し、気に入らない、自分と意見を異にするとお付き合いしない。違う意見を議論しあうのではなくて力や権力やお金でねじ伏せる。

祖父母の時から、そして、父母、そこに集う人々のすばらしさを、今、あらためて痛感している。



そして、子供たちに私は、この家族代々受け継がれてきた宝を伝えられるのだろうか。


今日も、都会の空の下では乾いた熱風が吹いている。

ドロはナメクジになりながらも、昨夜からエアコン全開の中にいる。

今日は、息子と夫の免疫不全の会だったが、
私もこのところのハードスケジュールにぶっ倒れて欠席した。

そこもね、有り得ないようなこともあって、そんなに、気遣いすることないなって思ったの。

自分の子どもさえ良ければいいんだと思う。
協同って言葉は死語なのだと感じる今日この頃である。




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ごんた悟る〜石ヶ坪先生から

2019年05月16日 | 家族


石ヶ坪先生の講演録より

ごんたは、まだまだ身体が小さくて体力がないのですが、中学生になって部活に運動部にも入り頑張っています。

2月3月の不調の時には、「僕の身体は、厄介な身体だ。気力はあるのに、体力がついていけない。どうしてこうなるのか。」
まじまじと言っていました。


そして4月
再び、発熱や、全身痛に悩まされて学校を休むことになりました。

この発熱前に、自分で
「ヤバイ!コルチン増量して寝る!」
と言い出しました。

そうそう。そうやって
自分で自分の体の声に耳をすませて。

頑張れ〜!

成長だね。


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義叔母の死~重ね合わせる想い

2019年05月13日 | 家族
夫の幼いころからとてもお世話になった叔母が亡くなりました。
よりによって、夫は会社の健康診断。

私と、子どもたちで行く予定でしたが、ドロはリタイヤ。朝起きられませんでした。昨日も一日休養取っているのに・・・・。

私一人で出かけました。

丁度、お嬢さんは出掛けられていて、お嬢さんの夫であるお婿さんと話をしました。
このお婿さん、とてもとても寡黙な方で有名な方です。とてもとても、頭脳明晰な方のようです。

お別れの対面をしましたが、叔母は、とても大きな方だったけれどとても小顔になっていて、それでも穏やかな顔をしていました。

叔母を偲んで、夫が大変慕っていた叔父夫婦で「お父ちゃん、お母ちゃんと呼んでいたと伺っております。」
と話すと、

お婿さんも、

「食べることが大好きで、本当に大判振る舞いの義母でした。最後まで内臓は丈夫で食欲は衰えず、おいしく食べられていました。」
というので、

「そうですね。いつ伺っても、寄ってください。ご飯食べていって。と快く迎え入れてくれて、朗らかで誰に対しても明るくもてなしていただいて、嬉しく思っておりました。」
と伝えると、

「みんなに明るく接して、天真爛漫のように見えて、義母は案外恥ずかしがりやで、引っ込み思案でした。ただ、食べるのが好きでお料理も上手だったので、それが生きがいのようでもありました。旅行も好きで、ものすごい大量のお土産を買って来て、義父は倹約家で実直な人だったんですけれどね。それでも、義父もそれを咎めることもなかったですね。料理がおいしくて、いつも私は義母のご飯が楽しみでした。妻も、義母の料理が食べられなくなってからは、母譲りなのか、最近、料理が上手になってきましたよ。」
と目を細めて話してくれました。

我が家の事情も察してくださって、
「大変でしたね。その後どうですか。」
とも。

「職場の人で、障害者の子どもを抱えていた方がいましたが、それはそれは大変でした。仕事などやっている場合ではない状態でしたが、仕事もしないといけない。自分がいなくなった後の子どもの生活にも不安を抱えていました。・・・・・」
など、いろいろなお話をしてくださいました。

夫の叔母ですが、自分の祖父の姿が重なって、
今日は感慨深いひと時を過ごしました。

自分の祖父も、放蕩爺さん、だという感じもありましたが、
本当に誰にでもすべての方に優しく、暖かくもてなすことが大好きで、
新しい文化や食にも貪欲で抵抗感なく、90歳過ぎて尚、宅配ピザを頼んで食べようとか、ハンバーガーというものを買いに連れて行って欲しい。等と言い、コーヒーも肉も大好きでした。

明るくて人に優しい祖父でしたが、細部への気遣いも忘れない、接客の粗相は私は、本当によく注意されました。
パイナップルだけは、たまに頂くと祖父が切り分けてくれました。「俺は、もうさんざん戦地で食べたから。みんなのように激しい戦地ではなく、果物もたくさんあって食べることには苦労しなかったんだ。」と祖父は言っていて、父方の祖父から戦争体験談を聞くことはありませんでしたが
結構な頻度で、夜中に、大きな声で魘されていました。

祖父が亡くなった後に、訪問された方から、
「祖父が終戦後に帰国が遅れたのは、戦犯?捕虜としてなかなか返して貰えなかったんだよ。でも、何故虐殺されなかったのかというと、日本が逆に捕虜にしていたんだ。その時に、祖父はその敵国の兵士にとても優しくして暴力も振るわずにご飯を分け与えていたんだ。だから祖父は生きて帰れたんだよ。」
そう教えて貰いました。

私の弟は、そんな祖父が大好きだったようで、祖父の名前の一次を子供に入れたいと言って付けています。

いろんな人の人生や想いが、脈々と受け継がれていく。
お別れは、悲しいですけれど、叔母の残してくれた大切な想いと、祖父の残してくれた大切な想い、そして、父もまた然り、

そんな多くの想いを受け取って、子供たちに繋げてゆけたら、嬉しく思う。



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息子とともに~失くした時間を取り戻す

2019年05月11日 | 家族
ごんたも中学生になりました。

毎年、毎年、
「ドロちゃんが元気になりますように。」
と祈り続けたごんたですが、最近は、ドロの膝に乗って、ドロが親代わりのような感じの時もあって、
更には、ドロの車椅子を押していたら、
「ママと一緒でいいねえ。」
と言われたとか!如何せん、大爆笑ですね。

勿論、私とも、ベッドに入って、ピロートーキングをする時間が持てるようになりました。

中学生にもなって母親と寝ていることを笑わないでくださいね。
私にとっては、後悔と懺悔の日々です。上二人の子に本が好きな子どもになって欲しくて、いっぱいの読み聞かせをしてきたのに、ごんたは保育園の頃から、いつしかそれどころではなくなって、読み聞かせは中断されてしまった。
本が読めない。文章読解力のなさに、今、私は茫然としている。

いっぱい学校のことも話してくれて、部活動に勤しんでいるごんたを見ると、嬉しくなる。
「中学校時代くらい運動部で一生涯を支える体作り、骨と筋肉を付けて欲しい。勉強なんていいから、ダイエットは絶対にしてはダメよ!」
そう言い続けたのに、上の二人はそれが叶わず。

ごんたは、毎日今分、筋トレの毎日だけれど、一生懸命頑張っている。
たぶん、こんな家族の時間が持てるのもあとわずかの時間なのでしょうね。

やる人がいなかったから、クラス委員になったそう。大変そうだけれど、頑張っている。


小学校の同級生は、多くの子が受験をして散ってしまったので、クラスには誰も知っている人がいなかった4月ですが、もうお友達も出来たみたいで、明日は遊びに行くのだそうです。

こんな会話が嬉しい。幸せ。
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呪い治療院支店〜背中と肩の盛り上がり

2019年04月17日 | 家族
ドロは、ちょっと変えたサプリが合わないようで、背中と肩の盛り上がりが、酷い。なので勿論腰や背部痛が酷い。

副腎や腎臓疲労も酷くなってしまった。

ドロは、ダウンしております。

足裏の痛みも半端でなく、マッサージを何時間もしている。

呪い治療院は、良く良く、預金が尽きて
諦めることにした。

でも、ごんたが、見様見真似で何となく
やってくれるので、
その感覚を覚えて子どもたちで
練習中です。

ごんたは、昔から器用で、マッサージがとても上手なのです。背骨も人差し指と中指でなぞりながら、すっと悪い部分で止まって揉んでくれます。
力加減もちょうどいい具合です。

でもね、昔から難点なのは、
例えば
アイスクリーム作っておじいちゃんおばあちゃんにプレゼントしてお駄賃貰ったら、
いくつ作って売ったら、いくらになる。
これを週何回作って売ったらいくらで、材料費がいくらで〜
算数が得意でもないけど、円が絡むと恐ろしいくらい猛威発揮することです。

このマッサージも、必ず
「一回50円!」
と口から先に出て来ます。

ま、今まで一度も払ったことは無いのですが、
面白い息子です。


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食堂かたつむり(小川糸)~父の死①

2019年04月02日 | 家族
久しぶりに、本を読みました。
食堂かたつむり 小川糸著

本らしい本は本当に久しぶりで、心の奥に置き去りにされた大切な気持ちを再認識させてくれたひと時でした。

先日、父が亡くなりました。
そんな直後のハイジの書棚から手にした一冊は、ちょうど深く父の死を反芻することを誘ってくれました。

あっという間の出来事でした。
でも、なんとなく、私は、その死を予感していたことも事実である。
いつのころだろうか。少し前から、なんとなく、父の死がそう遠くないという気がしていた。

でも、そんなことは誰にも言えるはずもなく自分の胸にだけしまっておいた。

珍しく、母が「父が入院した」ことを電話してきた。
母は、いつも淡泊で、よほどのことがない限り、電話などしてこない。してきたとしても、用件だけ言ったら切ってしまう。
病院がインフルエンザ対策で会えないのだと言って心配そうだった。
急いでいた私は、
「わかった、明後日行くから。」
そう言っていつもと逆で、私から電話をぶっきらぼうに切った。


その日の夕方、母のところへ行くと、母は父が来ても会えないからということを気にしていた。
(会いたきゃ、妻なんだから会いに行けばいいのに…
そういう母の性格が嫌いなんだよね。内心呟く。)

明後日のその日は、結局私のスマートフォンを卓上に置いて、スピーカーにして、父も含めた家族みんなであーでもない、こうでもないと話をした。

そこから、数日、弟から、電話があった。
「延命措置をどうするか医師から提案があった。どうしようか。」
とのこと。
私は、
「母ちゃんは何て言っているの。母ちゃんと本人が良いようでいいよ。」
と伝えた。
弟は、もう兄ともみんなで話し合っていた。
私は、それなら、もう口を出す必要はないと思ったので、異論はないよと伝えた。

医療介護の現場で食べてきた私として、内心一物を抱かないわけではないが、すべてが流れゆくもの、遷ろうものだと思う。

自分は、案外、冷たい人間だなあと思う。

そんな話があった翌日の夕方には、子どもの病院で遠出していた私の元に電話が入った。
父危篤の報である。

翌日の夜に辿り着くと
既に延命措置をなされ麻酔で眠らされてしまっていた。

延命措置は、効いてるとは思えない状況だった。
既にこの状態では、低酸素脳症状態だと思った。
延命措置をしていてもそう長くはない。

そう感じた部屋に看護師が入ってきた。
「泊まることも出来ますよ。」
と言う。

「少し医師と話が出来ますか。」
と伺うと、
「担当医は、帰宅して当直医になります。また、キーパーソンの方を通して話をしているので、そちらにお聞きになって下さい。」
と看護師は話された。

実家に帰って話したが、母も弟たちも、そう緊迫感はなく、最大の医療が最善であると信じ、回復を期待していた。

付き添って泊まることについて、母と弟の希望は行くと父の体力を消耗させるから安寧を与えたいという意向だった。弟には、父は、見舞いに来なくて良いから仕事に行くように促すのだと言う。

(はあ?この場に及んで、そう来る?内心怒りが込み上げる。)

仕方なく兄にヘルプコールを送ってみた。

家族の一生懸命さが今生界に引き留められることや、生きることに貪欲で無く惰性になった人が天上界に呼ばれる奇跡を何度も見てきた。

そんな話もしてみたけれど、現実に泊まれる人がいるわけでもなく、それぞれが必死で生きる為に働いている。

父も母も弟夫婦も農家で生計を立てているので、気持ちもわからないわけではないのです。

その晩、1人で考えた。
もう会話をすることも無いだろう。








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子宮頸がんワクチン接種後の体調不良について

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