本当は、私としては原因、機序の解明のためにも、髄液検査、ルンバールをやって欲しかったのですが、
2回やって2回とも散々な思いをしているドロは、過剰反応を示して、やらないことになりました。
医療不信も手伝って、更には免疫吸着も、やるやらないで2転3転。
地元での治療は出はあまりパニックを起こすこともないのに、どうも、最近はどんどん酷くなって行く。
ここでは、
治療に当たり、絶対的に本人の同意が不可欠だと言う。
もともと、医療機関にかかることが好きではなかったのに、2年前、生まれて初めて
「どこでもいいから、医者に行きたい。」
と言ったドロ。
そして具合がどんどん悪くなるに従い、ドロの意志等私達夫婦は無視してきた。
3回目を打ってから半年後、
意識が混濁し、朦朧状態、軟体動物状態になったときから、HPVVが原因だとは思わなかったが、症状から、
私は、脳炎っぽいなあと感じていた。
とにかく、何かしないと頭が壊れる。脳=不可逆、脳炎=スピードが予後を左右すると思っていたので、
ドロの意志等全く無視してきたし、私の心は緊迫していた。
今は、私達を恨んでもいい。いつか、この選択は良かったのだと思ってくれる日が来る。という信念があった。
この本人の同意は、焦ってきた私の心のカンフル剤となった。
私は、4,5月の年度替わりで下二人の学校イベントが忙しい時期です。
更には、指定病院でHPVVとの関連性も認めたがらないようだという巷の噂も何となく聞いたりしていたので、
私が行って突っ込みまくったら良くないのではと思い、夫が同行した。
何としても同意が得られるまではやれないというここの医師達に
目から鱗が落ちた。
そして、パニックになったドロに、20~30人にドクターがチーム医療を行っており、
一通り、リーダー的なドクターが説明しながら説得。
でも、まだまだ子どもであり、ドクターショッピングに疲れたドロは一層貝になる。
それに対して、
多くのドクターが取替え引き換えやってきて、
治療を促すドクターもいれば、雑談して行くドクターもいる。
この、ドクター達の対応が、どんどん高く詰まれた医療不信という要塞を崩してくれたのだと思います。
そして、周りの患者さん達も、物凄く温かい。
みんな、心配してくれて、見に来たり声掛けをしてくれる。
本当にありがたいことだと思いました。
また、この付き添いも、私だったら、恥ずかしいとか、娘を頭ごなしに叱ったと思う。
でも、夫だったので、
その辺りも上手だったのだと思う。
かくして、壁は落とされたのです。
大学病院の先生方、看護師さん、スタッフの方々、また患者の皆さんに心より感謝申し上げます。
娘の治療も、関わりももとより、自己決断と言う大切なことを、私が学んだことが一番大きな人生において大切なことだと感じました。
昔、新聞の連載で、この大学病院の井形 昭弘先生の連載が掲載されたことがありました。
私は、素敵な先生であり、いい大学だなあと思ったことが忘れらずに心の片隅に残っていました。
そのうちのいくつかはスクラップブックに貼り付けました。
革新的でありながら、心温まる、患者本位の医療を心がけていたような内容だったかと記憶しています。
その流れはきちんと受け継がれていたのだと感じました。
私は迎えにだけ行きました。
ムンテラがとっても丁寧でした。
それから、患者を待たせるということがないと感じました。
これはどうやったらできるのか?
不思議です。
井形先生にお会いすることはありませんでしたが、昔々の切抜きしたあの感動を肌で感じることが出来ました。
心掛けているといつか、ご縁に巡り合える、この不思議さを感じます。
謝謝!