『中原の虹』浅田次郎・著 全4巻を読了。
●清朝の基礎を作った皇帝、愛新覚羅ヌルハチの次男ダイシャンを中心に、満州族が中原を超えるまでの姿。
●日露戦争後の光緒新政の時代、清朝末期の光緒33年(明治40年)から民国5年(大正5年)の中国。
●海外列強により蚕食されつつある状況での西太后と光緒帝、更に西太后腹心の宦官・李春児。
●東北地方(満州)をまとめ上げたカリスマ的な豪傑、馬賊・張作霖(白虎張)と仲間の李春雷。
●北京政府に短期間ではあるが君臨した袁世凱。
敵味方にわかれた李兄弟(春児&春雷)、謀略に満ちた覇権争いと其れを取り巻く様々な人物の軋轢と葛藤。
時代に翻弄されゆく民衆を背景に、落日を迎える清朝に代わり覇権を握らんと各権力者(清朝政府&軍閥&日本・関東軍含む各国の圧力)の凄まじい闘いが描かれていく。
中原とは漢族の発祥の地であり異文化同士が隔てられている境界である。
満州族が中原を超えるということは、漢族の王朝であった明を倒しに行くという意味である。
以下は、心に残るセリフである。
「汝、満州の覇者となれ」との予言を受けた貧しき青年・張作霖の叫びにも似た文言が胸を打つ。
『鬼でも仏でもねえ。 俺様は、張作霖だ! わが勲は民の平安。 長城を越えよ!』
「白虎張が笑えばお陽様が出るし、白虎張が悲しめば雨が降り、白虎張が怒れば嵐が吹き荒れます。
だから、萬人喜。お天道様や青空や、雨や風や雪と同じです。
白虎張の大嫌いな言葉、知ってますか。
それはね、「没法子(メイファーヅ)=どうしょうもない・・・との意味。
『どうしようもねえことなんて、この世にあるものか。 どうしようもなけりゃ、どうにかすりゃいいんだ!』
【宋教仁の演説】
『学べ!学べ! そして暴力と専横を否定せよ。 私は決して暴力によって諸君の意志を封じない。
専横によって政治を私しない。 わが勲(いさおし)はひとえに、民の平安である。
そのほかの名誉は何もいらない。 私が勲とするところは、ひとえに民の平安である。
敬愛する中華人民諸君!
どうかこの歓呼の声を、私に対してではなく、祖国の未来に向けてほしい。
この地球のまんなかに咲く、大きな華に。 けっして枯れることもしおれることもない、中華という大輪の華に。』
歴史を知れ! そして、歴史に学べ!
権力に翻弄されゆく民衆でなく、民衆の意見・民意が大幅に反映されゆく時代社会を築かなければならない!
・・・との思いを強くした小説であった。
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