これも古いネガからデジタルデータ化した画像です。
この時は、田沢湖など秋田方面が旅の目的地でした。
青函連絡船で青森に降り立ち、弘前城に着いたのはまだ夜が明けて間もない時間帯でした... . . . 本文を読む
写真に関しては、まだまだ「冬眠」から覚める気配がありません。
今回の記事も過去の城廻りの画像をフォトチャンネルにまとめてみました。
冬眠から覚めるまで、まだまだ過去画像の再利用が続きそうです。
ま、ecoって事で、良いか... . . . 本文を読む
台風12号により被害に遭われた、三重県、奈良県、和歌山県ほかの皆様に、お見舞い申し上げます。
たまたま滞在していた愛知県の名古屋では、航空路線の欠航や遅延、電車等の交通機関の運休、遅延などありましたが、幸いにも直接被害に遭う事無く、無事北海道まで戻る事が出来ました。
戻って来た北海道は、更に台風13号の影響で大雨洪水警報が出されるなど、今後警戒が必要な状況です。
すでに仕事の方、学校などにも影響が出始めていますが、どうか大きな被害とならぬよう祈るばかりです... . . . 本文を読む
右手回復確認の旅の二日目は松本です。
昨年の7月以来の松本です。
前日は長野で善光寺にお参りをしてから夕方移動して松本入りをしました。
着いた時間は既に夜飯の時間だったので、即、夜の松本の街に繰り出して何の観光もしていませんでした。
今日の第一の目的は「松本城」です、って言うか「松本城」を観たら、また長野に戻って泊まりです。
今回は何だか忙しい旅になってしまったようです。
連休だったので、あちこち欲張って写真を撮って歩きます。
右手の回復も順調のようなので、腕が鳴る訳です。
久々に天守閣にも登ってみたいので、移動時間のギリギリまで松本城の城内を散策します...。
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ブラリと訪れた松島と仙台の最終日です。
一年前に訪れた時は、グルメに終始して特にどこも観ないで終わりました。
今回は、青葉城や瑞宝殿など仙台を代表する場所を観て歩く事に決めました...。
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岐阜城、犬山城と続いた今回の攻城戦の最後の締め括りは、ベタではありますが、「名古屋城」にしました。
もう少し時間があれば、「清洲城」まで足を伸ばしたのですが...。
まあ、今回の旅の締め括りとしては、有名な名古屋城は充分過ぎるものです...。 . . . 本文を読む
昨日の「岐阜城」に続いての攻城戦です。
犬山城は、江戸時代前後に建造された天守が現存します。
また、現存天守は国宝に指定された4城のうちの一つです。
天守閣が現存する城は全国で12城ありますが、ここ犬山城はその一つです。
以前から訪れてみたいと思っていましたが、ようやく念願が叶いました...。 . . . 本文を読む
随分時間が空いてしまいましたが、岐阜城の記事のUPです。
岐阜城は、岐阜県岐阜市(旧・美濃国井之口)の金華山(稲葉山)にある山城です。
戦国時代には「国取り物語」で有名な斎藤道三や天下統一をめざした織田信長が城主になっています。
戦乱の表舞台となった岐阜城には戦国武将のロマンが秘められているのではないでしょうか?
織田信長が、斎藤龍興から奪取した稲葉山城の縄張りを破却して、新たに造営したものが岐阜城です。
『信長公記』に、「尾張国小真木山より濃州稲葉山へ御越しなり。井口と申すを今度改めて、岐阜と名付けさせられ」と記載されています。
信長以前の斎藤氏が居城としていた時代の同時代史料には「井口城」「金華山城」として登場します。
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彦根城は、江戸時代に滋賀県彦根市金亀町にある彦根山に、鎮西を担う井伊氏の拠点として置かれた平山城です。
山は「金亀山」との異名を持つため、城は金亀城(こんきじょう)ともいうそうです。
多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城でした。 . . . 本文を読む
長浜の地を訪れました。
第一番の目的は「長浜城」でした。
豊臣秀吉が、この地に居城を建てて地名も「今浜」から「長浜」に変更したそうです。
城下に楽市楽座を取り入れ、現在の長浜の商業都市としての基礎を築いたとされているそうです。
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まだ画像の整理がつかないので、今日も速報です。
旅の初日、天候による思わぬ飛行機の遅れで、小松から真っ直ぐ彦根まで来ました。
ですが、せっかく楽しみにしていた『長浜城』を観ないで帰るのはあまりにももったいない話です...。 . . . 本文を読む
石川、福井、滋賀と一泊二日で駆け抜けました。
飛行機の遅れや、天気(雪)の影響から、当初の目的が果せないのでは?と心配もしましたが、無事最初の希望どおりに観て歩く事ができました。
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小諸で一夜が明けて、「懐古園」に向かう事にします。
懐古園は、元々『小諸城』でしたが、現在残っている城跡の元になったものは、武田信玄の軍師であった、山本勘助の縄張りだと言い伝えられています。
城郭は城下町である市街地よりも低地に縄張りされ、市街地から城内を見渡すことができたので、「穴城」とも言われるそうです... . . . 本文を読む