ブラリと訪れた松島と仙台の最終日です。
一年前に訪れた時は、グルメに終始して特にどこも観ないで終わりました。
今回は、青葉城や瑞宝殿など仙台を代表する場所を観て歩く事に決めました。
2010.12.12 のち ちょっとだけ
昨夜は体調が悪くて、仙台の夜を全く堪能できませんでした。
今朝も寒気がして熱っぽく、最悪の体調です。
ホテルをチェックアウトしてから、徒歩で仙台駅に向かいます。
こんな状態で徒歩なんて馬鹿なんじゃない?と自分でも思いながら歩きます。
仙台駅のコインロッカーに荷物を預けてから、青葉通りを青葉城まで歩いて行きます。
そこそこの距離を歩くのですが、今思い起こしてみても、体調が悪かったせいか、あんまり途中の記憶がありません。
こんなに具合が悪いのに、ちゃんと広瀬川に寄り道します。
広瀬川を渡って、坂を登って行くと「大手門隅櫓」が見えてきます。
民間の寄付によって復元されたものだそうですが、往時をしのばせる唯一の建造物です。
隅櫓は大手門と共に戦前は国宝に指定されていたそうですが、1945年7月10日の仙台大空襲の際に焼失しています。
曲りくねった坂を本丸跡に向かって登って行くと、「中門跡」が見えてきます。
ここから更に登りがキツくなります。
ようやく本丸跡の石垣が見えてきます。
本丸の跡地には宮城県護国神社を始め、仙台城見聞館、青葉城資料展示館そして土産物店などがあります。
青葉城址の定番と言えば、「伊達政宗公騎馬像」ですね。
本丸跡からの仙台市内の眺望も見事なものです。
本丸跡を見て歩いた後は「牛タン」を堪能するのですが、詳しくは過去記事『伊達の牛たん 青葉城店』で。
参考までに、三の丸跡には若干の石垣などが残っていて、僅かに往時を忍ばせます。
三の丸跡には、茶室の「残月亭」があります。
ひっそりとそこにある、という表現がぴったりです。
青葉城址を後にして、伊達政宗縁の『瑞鳳殿』に向かいます。
途中、「瑞鳳寺」に立ち寄ります。
瑞鳳寺は、江戸時代初期の寛永14年(1637年)、仙台藩2代藩主伊達忠宗によって、藩祖伊達政宗廟の瑞鳳殿とともに政宗の菩提寺として香華院の院号で創建されたそうです。
境内には、高尾門や鐘楼、伊達忠宗寄進の梵鐘などのほか、殉死した家臣や戊辰戦争、西南戦争での戦死者らの墓があります。
瑞鳳殿は1636年、70歳で生涯を閉じた仙台藩祖伊達政宗公の遺命により、造営された霊屋(おたまや)です。
桃山様式の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として1931年に国宝に指定されましたが、1945年戦災で惜しくも焼失しました。
現在の建物は1979年に再建されたものだそうです。
善応殿は三代藩主伊達綱宗公の霊屋で、感仙殿と同様に造営されましたが、昭和20年の戦災で焼失し、昭和60年感仙殿とともに再建されました。
善応殿には焼失以前の資料が乏しかったため、種々の検討の結果、綱宗公が好んで描かれた「鳳凰」と「牡丹」を装飾に採用したそうです。
感仙殿は二代藩主伊達忠宗公(1599~1658)の霊屋であり、瑞鳳殿と同等の華麗なものでしたが、明治初年に本殿を除いて取り壊され、残った本殿も昭和20年の戦災で焼失したそうです。
現在の霊屋は瑞鳳殿に続いて再建が進められ、昭和60年に完成したものなのだそうです。
青葉城にしても瑞鳳殿にしても、戦災で貴重なものを焼失しています。
とても残念なことですね。
この辺で体調が悪いのがピークに達しました。
仙台駅に向かい、少し早目の新幹線で帰宅します。
ブログランキングに参加しています。
いつも応援に感謝しています。ありがとうございます
一年前に訪れた時は、グルメに終始して特にどこも観ないで終わりました。
今回は、青葉城や瑞宝殿など仙台を代表する場所を観て歩く事に決めました。
2010.12.12 のち ちょっとだけ
昨夜は体調が悪くて、仙台の夜を全く堪能できませんでした。
今朝も寒気がして熱っぽく、最悪の体調です。
ホテルをチェックアウトしてから、徒歩で仙台駅に向かいます。
こんな状態で徒歩なんて馬鹿なんじゃない?と自分でも思いながら歩きます。
仙台駅のコインロッカーに荷物を預けてから、青葉通りを青葉城まで歩いて行きます。
そこそこの距離を歩くのですが、今思い起こしてみても、体調が悪かったせいか、あんまり途中の記憶がありません。
こんなに具合が悪いのに、ちゃんと広瀬川に寄り道します。
広瀬川を渡って、坂を登って行くと「大手門隅櫓」が見えてきます。
民間の寄付によって復元されたものだそうですが、往時をしのばせる唯一の建造物です。
隅櫓は大手門と共に戦前は国宝に指定されていたそうですが、1945年7月10日の仙台大空襲の際に焼失しています。
曲りくねった坂を本丸跡に向かって登って行くと、「中門跡」が見えてきます。
ここから更に登りがキツくなります。
ようやく本丸跡の石垣が見えてきます。
本丸の跡地には宮城県護国神社を始め、仙台城見聞館、青葉城資料展示館そして土産物店などがあります。
青葉城址の定番と言えば、「伊達政宗公騎馬像」ですね。
本丸跡からの仙台市内の眺望も見事なものです。
本丸跡を見て歩いた後は「牛タン」を堪能するのですが、詳しくは過去記事『伊達の牛たん 青葉城店』で。
参考までに、三の丸跡には若干の石垣などが残っていて、僅かに往時を忍ばせます。
三の丸跡には、茶室の「残月亭」があります。
ひっそりとそこにある、という表現がぴったりです。
青葉城址を後にして、伊達政宗縁の『瑞鳳殿』に向かいます。
途中、「瑞鳳寺」に立ち寄ります。
瑞鳳寺は、江戸時代初期の寛永14年(1637年)、仙台藩2代藩主伊達忠宗によって、藩祖伊達政宗廟の瑞鳳殿とともに政宗の菩提寺として香華院の院号で創建されたそうです。
境内には、高尾門や鐘楼、伊達忠宗寄進の梵鐘などのほか、殉死した家臣や戊辰戦争、西南戦争での戦死者らの墓があります。
瑞鳳殿は1636年、70歳で生涯を閉じた仙台藩祖伊達政宗公の遺命により、造営された霊屋(おたまや)です。
桃山様式の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として1931年に国宝に指定されましたが、1945年戦災で惜しくも焼失しました。
現在の建物は1979年に再建されたものだそうです。
善応殿は三代藩主伊達綱宗公の霊屋で、感仙殿と同様に造営されましたが、昭和20年の戦災で焼失し、昭和60年感仙殿とともに再建されました。
善応殿には焼失以前の資料が乏しかったため、種々の検討の結果、綱宗公が好んで描かれた「鳳凰」と「牡丹」を装飾に採用したそうです。
感仙殿は二代藩主伊達忠宗公(1599~1658)の霊屋であり、瑞鳳殿と同等の華麗なものでしたが、明治初年に本殿を除いて取り壊され、残った本殿も昭和20年の戦災で焼失したそうです。
現在の霊屋は瑞鳳殿に続いて再建が進められ、昭和60年に完成したものなのだそうです。
青葉城にしても瑞鳳殿にしても、戦災で貴重なものを焼失しています。
とても残念なことですね。
この辺で体調が悪いのがピークに達しました。
仙台駅に向かい、少し早目の新幹線で帰宅します。
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いつも応援に感謝しています。ありがとうございます
お天気が良い時に写真が撮れたのですね。
青葉城は高校の修学旅行で行きましたが、
「伊達政宗公騎馬像」ですか?
それしか覚えてないんですよ。
善応殿の事も初めて知り、
一度訪れてみたいと思いました。
礼次郎さんのブログではたくさんの事を教えていただき感謝しているのですよ。
ここ数年旅先で体調を崩されることが多いので心配です。
ご自愛くださいね。
いつも陰ながら応援しています。
良い年をお迎えくださいね。
今回は特に目的なく訪れて、体調が崩れたため、ベタなスポットしか廻れませんでした。