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愛と殉教の願 ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ 15

2023-03-28 00:40:22 | ウゴ・ラッタンツィ神父
『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、15

 この誓いをしてのち、かれは、同じ聖母の祝日に、自分の血で書いて、「愛と殉教」の恵みをイエズスとマリアに願いました。そして、このノートにこう書き加えました、[

「覚え書き。
 早く進歩するために、愛。
 たえず進歩するために、どうあっても望むこと。
 確実に進歩するするために、祈ること。
 私の霊魂よ、唯一の永遠の花婿として、イエズスを選んだからには、これからは、イエズス以外の何ものも愛してはならないことを思い出せ。他のものは皆、彼のために、そして、彼のうちにこそ、愛さねばならない」。

「無原罪の聖母のもっとも清いおん手を通じて、私は、貞潔の願を立てます。そのために、シエナの聖女カタリナと同じ言葉を使います。

「無原罪のおんやどりのもっとも聖なるおとめよ、あなたは、すべての女のなかで、貞潔を永遠の願によって神に牽献されました。

 あなたは、神からおんひとり子の母となる恵みをお受けになりましたから、私は、いいつくせないあなたの慈い愛に依り頼んでお顧いします。私の功徳も弱さもかえりみないで、この大きな恵みをお与えください。それは、私の霊魂の花むことして、この心の愛のかぎりに望んでいる、あなたのいとも聖なるおん子、私たちの唯一のみあるじイエズスです。

 そのかわり、私は、おん子とあなたに、他の愛は決して受け入れず、力のかぎり、私の潔白を常に守ることを誓います。」

 アンダーラインをひいたか所と、サインを自分の血をもってしるします」。






ウゴ・ラッタンツィ神父の日記 続き

2023-03-25 19:54:01 | ウゴ・ラッタンツィ神父
『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、14

◆、ウゴ・ラッタンツィ神父の日記 続き

★、何を取りついで頂きたいかについて

聖母マリアへ

 私自身を全てマリアに捧げ尽くしました。マリアは、私の愛する母、妃であられます。他の聖人たちの取りつぎで別々に願っている恵みを全てマリアに願います。

聖ヨゼフへ

 非常の時には、特別な恵みの取りつぎを願います。

第二義的な保護者たちへ

 ある場合、私が必要としていることを気づかないでいる恵みを取りついでくださるように。

すべての保護者に

 殉教者の王キリストに、偉大な聖徳と、信仰のために殉教者として死ぬ恵みを取りついでいただきたい」。

「毎朝、御聖堂から務めに出かけるたびに、その日の聖人に、私に代わって、イエズスを礼拝してくださるように祈りたい。

 散歩などのおり、ある聖堂の前を通ったら、聖体訪問が具体的にできないまでも、霊的な訪問と霊的な聖体拝領をし、聖女アグ'ネスと守護の天使に、わたしにかわって、イエズスを礼拝していただくように願いたい」。

 さて、ウゴは、20才の1919年12月8日に、貞潔の誓願を立てて、これに、自分の血でサインしました。

 その誓願文には、こう書いていました。

(写真は、ウゴ・ラッタンツィ神学生自筆の誓いの言葉)








ウゴ・ラッタンツィ神父の日記

2023-03-24 02:08:05 | ウゴ・ラッタンツィ神父
『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、13

 その日記が、わたしたちの霊性も導いてくれるように、ここでそのある箇所を紹介することにしましょう。

◆、ウゴ・ラッタンツィ神父の日記

「永遠の真理、光、愛であるあなたのみ前で、また、天の私たちの母であるマリアと聖なる保謹者、および天国のすべての霊魂の前で、私は、悪魔と世間と肉欲に、力の限り自分をすてて戦うことを誓います。

 でも、おおイエズスよ、それができるのは、あなたのみ恵みによってです。マリアよ、あなたの祝福によってです」

(この誓いの言葉の下に、彼は、目分の血液で署名しました。)

「おお、やさしいイエズスよ、私は、小さな行ないも、大きな行ないも、物質的な行ないも、精神的な行ないも、常にあなたのみ栄えのためにだけすることを誓います。そのために、悪魔が私の頭の中に入れようとする他の意向をこれからは忌み嫌って、うち捨て、あなたの恵みと私の天のおん母の取りつぎによって、これを守ることを誓います」。

「おお、私の楽しみである愛すべきイエズスよ、あなたのためにだけ生きます、お望みなら、ローマ・力トリックの使徒的な、聖なるあなたの信仰に命を捧げる覚悟です。

 あなたの兵士の中で、私は、もっともつたないものに過ぎませんが、愛熱に燃える大きな心で、ただひたすら、あなただけを探し求め、あなたを守り、あなたのために「血」を流したいと思います。あなたのみ恵みと、マリアの慈しみに支えられて、そうしたいのです」。

「私のイエズスと、私の天の妃であり、母である、あなたの前に、『命にかけても、あなたのすべての特権を守ることを誓います。』(この『』の中の言葉は、血をもって書かれています)。

 それで今、私は、永遠のために、自分をあなたに奉献します。この体と、その五官のすべてを、感情も知恵も目由意志もすべて、私の霊魂をみな奉献します。

 マリアよ、私を守り、イエズスに導いてください。おん子イエズスに結ばれているあなたの愛のためにお願いします。

します」。

「私の天のおん母よ、私は、あなたのもっとも相応しくない子でありながら、これほどの恵みを受けました。どうぞ、今日、私のために、よい決心を終わりの日まで守る恵みを、あなたと、私のイエズスに取りついでください。

 このことを私の保護の聖人、特に殉教者おとめ聖アグネスの取りつぎによってお願いします」。

「私の聖なる保護者たち、中でもまず第一に、私の心の妃であるマリアと、特別な保護者である聖ヨゼフ」。

★、一週聞の保護者と目標

日曜日 聖女チェチリア よい手本
月曜日 聖ラウレンシオ 熱意
火曜日 天使聖ガブリエル 従順
水曜日 聖ヨハネ・ベルクマンス 謙遜
木曜日 聖タルチジオ 愛徳
金曜日 聖トマス・アクィナス 人間的神的学問
土曜日 聖アグネス 潔白


★、第二義的な保護者

 殉教者の初穂聖ステファノ、聖セバスチアノ、型スタニスラオ、聖アロイジオ・ゴンザガ、聖パンクラシオ、福音史家聖ヨハネ(親しみ深い愛)、イエズスの小さな聖テレジア(飛躍的な愛)」

(写真:教皇立カプラニカ大神学院の神学生当時の記念写真。円でかこまれたのがウゴ神学生)





ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ 12

2023-03-23 09:55:25 | ウゴ・ラッタンツィ神父
『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、12

 ローマ教皇立大学には世界中か優秀な神学生が集まっています。ここで、素晴らしい進歩をとげていたウゴ・ラッタンツィは、この国際的環境を利用しないではいられません。まもなく、彼は、国語であるイタリア語と、教会語であるラテン語、聖書の言葉となっているギリシア語とヘブライ語はいうにおよばず、フランス語、ドイツ語、英語、スペイン語にも通じるようになりました。ただわかるだけでなく、その文学までも広く研究していたのです。そのうえさらに、ロシア語までマスターするようになり、こうして、8つか9つもの言語知識を得るようになりました。しかも、これら言蘂の知識を信仰を守るために、立派に利用したのです。

 学問の点からいえば、彼は、神学校の校長に対する約束を完全以上に果たしました。彼が、聖書学博士号、哲学博士.号、教義神学博士号、教会法博士号を次々と受けたのは、まだ司祭になる以前だったのです。

 あとではさらに、ミラノの聖心大学に通って、文学博士号を受けると、あれほど彼を助けていたノガラ司教のはからいで、ウゴ神父は、あちこちの神学校で教壇に立つようになりました。

 人々は、ウゴ神父のこの素晴らしい博識に魅せられるあまり、彼を学者としてしか見ていませんでした。その隠れた霊的生活があらわれて、みんなの心を打ったのは、その死後のことです。彼の書き残したものが、世に出たときからです。

 ウゴ神父は、小さなノートに、自分の心の秘密を打ち明けていました。それは、霊的日記とも言えるものです。

 この日記は、神学生のときに書きはじめられていますが、いかにこれを実行しようとしたかは、何回となく読み返したそのあとにしのばれます。


(写真:ウゴが、フェルモ市の大神学校に、中学生として入学したときのフェルモ市の大司教カルロ・カステリ司教。この大司教のおかげで、ウゴ神学生は、ローマの教皇立力プラニカ神学院に行き、司祭となってからも、経済的に助けられた。)
















ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ 11

2023-03-20 01:13:56 | ウゴ・ラッタンツィ神父
『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、11

 もちろん、隣近所の人は、このあわれな家族をほっておきません。いろいろと助けを提供しました。それにしても、大勢の小さな子どもを抱えて、母の苦労は並大抵ではありません。子どもたちを学校に通わせることも、できなくなってしまいました。

 弟のフェデリコも、脱毛症のことで悩みはじめています。あの当時に聖職者は、頭のてっぺんを丸く髪をそる習慣がありました。それでわんぱく仲問が彼をからかって、はやしたてるのでした。でも、つかまって殴られないように、4人の仲間は、4か所に分かれて叫びます。

「キーエーリーコ!キーエーリーコ!」

 キエーリコとは、神学生、あるいは神父さまのことです。

 フェデリコは、とてもがまんできません。4人のうちのひとりでもいいから飛びかかって捕えると、畑のなかを転げまわって大変な喧嘩になりました。そのときはまだ、かれも間もなくその神学生になろうなどとは、夢にも考えていなかったのです。

 兄のウゴは、立派な神学生としての生活を続け、今ではお母さんの何よりの慰めになっています。

 司教になったあの校長の神父さまは、今度は彼をローマの教皇立カプラニカ大神学校に入れたばかりではありません。その弟のことも考えはじめていました。まず、はじめに、途中でやめていた小学校を続けさせ、そのあとで、自分の教区の小神学校に入れることにしました。「わたしの息子がふたりまでも司祭への道を歩むなんて!」と、母は、夢中になってしまいました。自分では何もしてやれないので、神のこの摂理は、このうえもない恵みに感じられるのです。

 1922年10月、ついに弟フェデリコもカルメルの聖母聖堂で着衣式を受けることができました。

 その2年後の1924年に兄のウゴは、司祭こなり、弟フェデリコも、10年後に司祭になりました。

(写真:ローマの教皇立カプラニカ大神学生当時)