志村辰弥神父『聖母マリアの崇敬』
なぜカトリック教会で聖母マリアをこれほど尊敬しているのでしょうか?この小さな本は、この崇敬の聖書的、神学的な基礎をしらべて、教会の歴史とわが国の歴史に見る聖母崇敬のまことの意味をわかりやすく、簡単に紹介しています。
1、聖母崇敬の神学的基礎
◆ マリアは神の母
紀元431年、エフェゾの公会議で、キリストが神の第二のペルソナ、すなわちおん子であることが宣言されて、母マリアは神の母という称号を与えられました(信仰箇条)。それは、マリアが神のおん子のペルソナに体を与えて、人間キリストを」お産みになったからであります。
第二ヴァティカン公会議は、人類の救いの計画について、マリアが選ばれた役割を次のように説明しています、「父は、時が満ちたとき、女から生まれるものとして子を派遣した。・・・子はわれわれ人類のため、またわれわれの救いのために天から聖霊によっておとめマリアから体を受けた。・・・天使の告げを聞いて、心と体で神のみ言葉を受け、世に生命をもたらしたマリアは、真に神の母、あがない主の母として認められ、称賛されている。マリアは、子の功績が考慮されて、高潔な方法であがなわれ、緊密で解くことのできない絆によって子に結ばれ、神の子の母となる最高の役割と尊厳をさずけられた。したがって、マリアは、父の最愛の娘であり、聖霊の住む場所であって、このすぐれた恩恵のために、マリアは天上、地上のすべての他の被造物より、はるかにすぐれている」(教会憲章52-53節)。
マリアが神の母として選ばれた恩恵と特権は、まことにはかり知ることのできない最高の栄誉であります。これによってマリアは、アンナの胎内にやどったときから原罪をまぬがれ、恵みに充ち満ちたものとしてお生まれになりました(無原罪のおんやどり、信仰箇条)。そしてその生涯を一点の汚れもなく、清く正しく過されて、人生をおわった後は、キリストと同様に霊魂と体をもって天に上げられました(被昇天、信仰箇条)。
モンフォールのグリニョンは、「聖母マリアヘのまことの信心」の中で、マリアの偉大さを賛えて、次のようにいっています。
「マリアがどんなに偉大な方であるかを理解したいのなら、その子イエズスがどんな方であるかを理解したらよいのです。ところで、その子イエズスは、「神」です。だから、マリアは実に「神の母」なのです。まことに絶句合掌あるのみです。
わたしの心はこれまで書いて来たことを反饗しながら、かつてない喜びで激しく鼓動しています。実際、マリアは今日までまだよく知られていません。そのことがイエズス・キリストがまだよく知られていない原因の一つともなっているのです。なぜなら、キリストを地上に降誕させたのは、マリアです。だから、キリストを世に輝かすのも当然同じマリアでなければなりません」。
なぜカトリック教会で聖母マリアをこれほど尊敬しているのでしょうか?この小さな本は、この崇敬の聖書的、神学的な基礎をしらべて、教会の歴史とわが国の歴史に見る聖母崇敬のまことの意味をわかりやすく、簡単に紹介しています。
1、聖母崇敬の神学的基礎
◆ マリアは神の母
紀元431年、エフェゾの公会議で、キリストが神の第二のペルソナ、すなわちおん子であることが宣言されて、母マリアは神の母という称号を与えられました(信仰箇条)。それは、マリアが神のおん子のペルソナに体を与えて、人間キリストを」お産みになったからであります。
第二ヴァティカン公会議は、人類の救いの計画について、マリアが選ばれた役割を次のように説明しています、「父は、時が満ちたとき、女から生まれるものとして子を派遣した。・・・子はわれわれ人類のため、またわれわれの救いのために天から聖霊によっておとめマリアから体を受けた。・・・天使の告げを聞いて、心と体で神のみ言葉を受け、世に生命をもたらしたマリアは、真に神の母、あがない主の母として認められ、称賛されている。マリアは、子の功績が考慮されて、高潔な方法であがなわれ、緊密で解くことのできない絆によって子に結ばれ、神の子の母となる最高の役割と尊厳をさずけられた。したがって、マリアは、父の最愛の娘であり、聖霊の住む場所であって、このすぐれた恩恵のために、マリアは天上、地上のすべての他の被造物より、はるかにすぐれている」(教会憲章52-53節)。
マリアが神の母として選ばれた恩恵と特権は、まことにはかり知ることのできない最高の栄誉であります。これによってマリアは、アンナの胎内にやどったときから原罪をまぬがれ、恵みに充ち満ちたものとしてお生まれになりました(無原罪のおんやどり、信仰箇条)。そしてその生涯を一点の汚れもなく、清く正しく過されて、人生をおわった後は、キリストと同様に霊魂と体をもって天に上げられました(被昇天、信仰箇条)。
モンフォールのグリニョンは、「聖母マリアヘのまことの信心」の中で、マリアの偉大さを賛えて、次のようにいっています。
「マリアがどんなに偉大な方であるかを理解したいのなら、その子イエズスがどんな方であるかを理解したらよいのです。ところで、その子イエズスは、「神」です。だから、マリアは実に「神の母」なのです。まことに絶句合掌あるのみです。
わたしの心はこれまで書いて来たことを反饗しながら、かつてない喜びで激しく鼓動しています。実際、マリアは今日までまだよく知られていません。そのことがイエズス・キリストがまだよく知られていない原因の一つともなっているのです。なぜなら、キリストを地上に降誕させたのは、マリアです。だから、キリストを世に輝かすのも当然同じマリアでなければなりません」。