浦川和三郎 司教『祝祭日の説教集』
十 一 月 二 日
(一) 煉獄の霊魂の記念
(2)-天国とはいかなるところであるか ー 天国とは苦しみや禍が一つもなく、かえってあらゆる福楽のみち溢れているところであります。
どなたも御存じの通り、この世は涙の谷でございまして、寒さや暑さや、餓え渇きや、病の苦しさ、貧の辛さなど涙をこぼさねばならぬことが随分多いものである。
しかるに天国には暑さもなければ寒さもない、餓渇きを覚えることもなければ、貧に悩む気遣い、病に苦しむ憂いもない。我々の足が一たび天国の門をくぐりますとすべての涙は綺麗に拭き取られる。もう泣くにも及ばぬ、嘆く必要もない。かえっていわれぬ幸福を楽しみ、喜びに踊るのである。無上の善にして、最高の美、限りもなく愛すべき天主を眼前に仰ぎ見その天主を我が物として、いつまでもいつまでも楽しむとは、実に何という幸福の至りでございましょうか。
「神がこれを愛し奉る人々に備え給いしこと、目もこれを見ず、耳もこれを聞かず、人の意にも上らざりき」(コリント前二ノ九)と聖パウロもいっているくらいであります。