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(ボネ神父伝4) ◆1-2、馬の乳

2017-06-05 05:11:50 | ボネ神父様
江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、3

第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教

◆1-2、馬の乳

 牧場の無邪気なお友だちのなかで、マキシム坊やは、馬がいちはん好きでした。まだヨチヨチ歩きのころから馬をみると、「馬、馬」といって、きかなかったのです。それで、馬のほうでも坊やをよく知っていました。

「まあ!坊や、こわくないの」。坊やを捜しにきて思いがけなくこの光景をみてしまったおかあさんが、おどろいて尋ねました。「ううん、ちっとも。だってお馬、ぼくの友だちだもの。ほら、おかあちゃん、みててごらん」。

 そういうと、坊やは、さっさと厩舎のほうに歩いていって、そこにあった、馬の背とほぼ同じくらいの高さのへいの上に立ちました。おかあさんは、坊やがどうするつもりなのか見当がっかなかったので、だまって見ていました。すると、とても奇妙なことが起きました。馬がひとりでやってきて、背をピッタリとへいのところにおしつけ、「坊やお乗りなさい」と、ひときわ声高くいなないたのです。

「まあ、この子は!」

 おかあさんは、おもわず息をのみました。なぜなら、つぎの瞬間、雀がとまったように、坊やは大きな馬の背にすわっていたからです。青くなったおかあさんは、泣きそうな顔をして、それでもできるだけやさしい声で、いいました。

「坊や、いい子だから、じっとしているのだよ。今、おかあさんがおろしてあげるからね」。

「奥さん、心配ねえだ、坊やはなれていなさるだよ」。通りかかった荷車のほし草のうえから元気な声がなだめてゆきました。しかし、こうしたおどろきは、その後もまだくり返されるはずでした。なぜなら、坊やに近づく動物は、たとえ蛇のように人にこわがられているものでも、みんな坊やの遊び相手になったからです。けっして坊やに害をくわえるようなことは、しませんでした。それでおかあさんは、この子はまるで創世の書の人間みたいだと考えるようになりました。それは、神が天地万物をつくって、人の手にゆだねられたころのことで、まだ罪が不幸な秩序の乱れをつくらす、生きとし生けるものがみな従っていたという、幸福な人間です。

 しかし坊やは、おかあさんが考えていたように、別にほかの子どもたちと変っているわけではありませんでした。ただ、マキシムという名が示しているように、おそれを知らぬ幸福な大らかさをもっていたのです。それに健康な、ゆがめられない境遇で育った子どもは、心の底に、神とのごく自然なつながりをもっているのです。

 こうして坊やのからだは、きよくすんだ空気と、ひろびろとした牧場、それに栄養のある豊富な乳にはぐくまれなカ巧、鉄のように頑丈になりました。また、この地方独特の明るい太陽が、どんな悲劇にも、けっしてくもることのできない健康な心を育ててくれました。


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