マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年
17、英国王とその宰相の例
「罪は呪われよ、罪を犯した者と共に呪われよ」と地獄に落ちた者は絶えず、このような苦悶の観念に悩まさる。
十六世紀頃、英国の王ヘンリー八世は、自己の離婚を教皇が許さぬのを憤り、教えを捨て、あまつさえ国民にも公教を捨てて、新教徒になれよと厳命した。時の大宰相トマ・モリスは公教を捨てるよりはむしろ生命を捨てようと決心して新教にならなかったため監獄に役ぜられた。彼の妻は獄舎に来て泣いて「大字相と敬われた御身であるのに情けないことになりました。夫婦親子が一生楽しく暮らすため、宗教位捨てても良いではありませんか」
とすすめた。モリスはおもむろに「何年位一緒に暮らせるのか?」と云えば妻は「まあ二十年位でしょう」と答えた。モリスは「おろかものよ、永遠の幸福をわずか二十年位と交換するのか。ああ、天主、無知なことを申す妻の罪を赦し袷え」と祈った。数ケ月後トマ・モリスはその生命を天主に捧げて名誉なる殉教の冠を受けた。
同国王の娘エリザベスは父に次いで女王となったがその即位の時、天主が私に四十年間、存位を許さば、天国の幸福はいらぬと侮慢な言葉をはいた。
この女王は四十六年間、国を治めたが、王侯の身にも死期は来るのである。病床に煩悶して「誰か、私の生命を十五分延ばしてくれた者には褒美としてその者に英国の全部を与える」と叫び苦しい最後をとげた。この二人の中どちらが賢明な者であるかは諸君の判断におまかせする。現世の苦しみはいかほど重く、ひどいと云ってもいつか過ぎ去る時が来るとの希望に慰められるから耐える助けになる。けれども、地獄ではその望みが全くない、その苦しみは永遠でいつか逃れられると想いをも起すことが出来ぬ、いつもいつも全き失望である。
17、英国王とその宰相の例
「罪は呪われよ、罪を犯した者と共に呪われよ」と地獄に落ちた者は絶えず、このような苦悶の観念に悩まさる。
十六世紀頃、英国の王ヘンリー八世は、自己の離婚を教皇が許さぬのを憤り、教えを捨て、あまつさえ国民にも公教を捨てて、新教徒になれよと厳命した。時の大宰相トマ・モリスは公教を捨てるよりはむしろ生命を捨てようと決心して新教にならなかったため監獄に役ぜられた。彼の妻は獄舎に来て泣いて「大字相と敬われた御身であるのに情けないことになりました。夫婦親子が一生楽しく暮らすため、宗教位捨てても良いではありませんか」
とすすめた。モリスはおもむろに「何年位一緒に暮らせるのか?」と云えば妻は「まあ二十年位でしょう」と答えた。モリスは「おろかものよ、永遠の幸福をわずか二十年位と交換するのか。ああ、天主、無知なことを申す妻の罪を赦し袷え」と祈った。数ケ月後トマ・モリスはその生命を天主に捧げて名誉なる殉教の冠を受けた。
同国王の娘エリザベスは父に次いで女王となったがその即位の時、天主が私に四十年間、存位を許さば、天国の幸福はいらぬと侮慢な言葉をはいた。
この女王は四十六年間、国を治めたが、王侯の身にも死期は来るのである。病床に煩悶して「誰か、私の生命を十五分延ばしてくれた者には褒美としてその者に英国の全部を与える」と叫び苦しい最後をとげた。この二人の中どちらが賢明な者であるかは諸君の判断におまかせする。現世の苦しみはいかほど重く、ひどいと云ってもいつか過ぎ去る時が来るとの希望に慰められるから耐える助けになる。けれども、地獄ではその望みが全くない、その苦しみは永遠でいつか逃れられると想いをも起すことが出来ぬ、いつもいつも全き失望である。