子供の頃は海までは遠く山川で育ちました・・
小学生の頃は学校の裏側が豊平川で校舎には室内プールはありませんでした。
校外学習の時間に先生と生徒は川に行き小さな石拾いをしました。
学校前の道路は砂利道でその横には田んぼが連なっています。小高い丘に神社があります。
校庭には二宮金次郎の銅像がありました。
春になると餓鬼大将が毎年競い合うのが「誰が一番先に大川を泳ぎきるか?」でした・・・
雪が溶けて川は濁流となって力強く流れています・・
白川沿いの高い硬石の崖下付近から上級生と私たち数名が褌ひとつで濁流に飛び込みます、川幅は14~20m位であったと思います。
流れがきつく向う岸まで着くには100~150m位下流に流されます・・命がけの勝負です!!
流される距離は違いますが誰一人溺れる人はおりませんでした。
当時は豊平川につり橋が架かっており、つり橋の上から飛込みもした記憶があります。
子供の頃は豊平川とは呼ばず子供仲間では「大川」と呼んでいました
夏には泳ぎつかれて麦畑を横切り帰途に付きますが腹ペコで今にも倒れそうです・・
川に飛び出た高い岩から飛び込み、白い石を投げて川底から拾ってくる競争もしました。
川育ちですので海を見ると恐怖にかられた記憶があります。
米軍基地が側にありましたので休日には米兵がジープに日本女性を乗せて遊びに来ます・・
その米兵は川に向かって手りゅう弾を投げます・・すると川の魚が浮いてきます。
その様な行為は日常茶飯事に行われていましたが、今の子供たちに話しても信じ無いでしょうね?
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