やっちゃんの叫び

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山陰一人旅~神々の里へ

2011-12-01 20:56:53 | 日記
旅に出た。4泊5日。のんびり一人旅である。

 ”のんびり”とは、一日1~2箇所の目的地を決め、時間に束縛されず気持が納得するまで”そこ”に居るということ。 従って、他の見物箇所も宿も成り行きだ。
 これが、私の旅のスタイル。考えようでは贅沢な旅である。

 今回のコースは、山陰。山口県(萩)、島根県(松江)、鳥取県は通過して兵庫県(和田山)。行きたい場所は、「松下村塾」「出雲大社」「古代鉄歌謡館」「松江護国神社」。
会いたい人は、「頑固者さん」「孫の悠ちゃん」である。

さあ出発。先ずは萩へ。
24日 22時30分。国道3号線を北上開始。
25日 0時30分、九州自動車道鳥栖ICに入る。
3時30分、中国自動車道美祢ICを出る。
  表示料金は僅か1500円。ETC付の三菱アイを貸してくれた女房に感謝。

 国道を暫く行くと眠気が差してきた。ライトの中に鳥居が見えたので急停車、その前は、雑草を刈り取った駐車場になっている。ここは山中、明かり一つ見えない。外に出ると寒い。見上げると大量の星で、カシオペア座の判別ができないほど。
 ここで寝ることにした。出掛けに、毛布を持って行けと言った女房にまた感謝。

 目が覚めたら、外は白んでいた。 

 7時20分、松陰神社に到着。今日のコースを考える。

先ず、吉田松陰生誕の家跡へ。ここからは萩城下を見下ろせた。少年寅次郎はどんな思いで眺めていたのだろう? 産湯を汲んだ井戸もあった。


吉田松陰の墓。享年数えの30歳。
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その後ろに、高杉晋作の墓があった。合掌。

玉木文之進の家では、見学者は私だけだったので、縁側に腰を掛け、案内係のご婦人の話を聞いた。松下村塾はもともとここが発祥の場所であり、まつもと塾と云っていた(大阪の橋下新市長と同じ下=もと)とか。

「伊藤博文の家」

「松下村塾」講義したのは僅か2年半の間だったとは・・・。


「松陰神社」参拝。

「吉田松陰歴史館」熊本の宮部鼎蔵とは深い関係があったようだ。

「萩市護国神社」戊辰戦争の御霊を祭祀

夜、松陰神社にて、「三島由紀夫・森田必勝両烈士四十一年祭」に参列。
日本会議の方々や宮司さんにはお世話になり、有り難かった。

26日 三日目。趣味人倶楽部の「頑固者さん」に初めて会う日である。再び松陰神社に参拝し、8時30分,松江に向けて出発した。

 天気は昨日と打って変わって、風の穏やかな快晴。左手に見える日本海が美しい。休憩するには早かったが、三里ヶ浜で小休止した。波打ち際まで行ってみたら、丸っこい石が敷きつめられていている。様々な種類の石があることに不思議を感じた。細ざれ石が丸まったのではないかと想われる手のひら大の石が一つあったので拾った。

 午後2時ごろ、ようやく松江駅南に着いた。昨夜聞いていた5時間を遥かに越えている。「頑さん」は、ブログの写真を見ていたので、すぐ判った。
 挨拶もそこそこに、ホテルにチェックイン。早々に頑さんの車に便乗。私の見たいところの3ヶ所(出雲大社、護国神社、「出雲神楽」)を伝え、あとはお任せの観光に出た。

松江しんじ湖温泉「お湯かけ地蔵」旅の安全を祈る。

宍道湖自然館「ゴビウス」へ向かって、車は宍道湖北側沿いの道路を走った。頑さんによれば、今日の様に湖水が澄んでいるのは珍しいそうで、海と川の魚が棲んでいるという。

「古代出雲歴史館」古代出雲大社の大模型には感動した。

「島根ワイナリー」ここは試飲が飲み放題になっていた。飲兵衛にはたまらないスポットのようである。土産に赤ワインを買う。

「日御崎神社」海岸沿いの道路を走るので、丁度日没を観られた。美しかった。天草灘の夕陽を彷彿とした。神在月には、この浜から全国の神々が上がってくるらしい。(古代弥生人がやって来た事と関連があるのかも知れない・・と学者気分になってみた(笑)


↓「出雲大社」(いずもおおやしろ)度肝を抜かれたのは、遠くからでも見えた日の丸。
広さは畳75枚、重さ50Kg、日本一の大きさ、国旗掲揚台は49m(インターネットより)。兎に角、でかかった。そして大きな注連縄も。しめ縄の中央にぶら下がっている
ここの参拝の仕方は、二拝四拍手一拝であることを、初めて知った。
日がとっぷり暮れ、

頑さんお気に入りの店でご馳走になる。

「古代鉄歌謡館」出雲神楽を見ることができる。 南雲市大東町海潮温泉の一隅にあり、午後8時開演に間に合った。演目は「八ツ花」と「山神」。撮影禁止なのでしっかり網膜に焼き付けることにした。本場の神楽は、やはり重量感と言うか、貫禄を感じた。旅の目的達成感大いにあり。

 
27日 4日目。
 9時、再び頑さんの車で、お任せ観光。何処に連れて行ってくれるのか、ワクワク・・・。
 それは、柿の里から始まった。今年は当たり年だそうで、干し柿のすだれには、驚いた。

さてさて、「安来節演芸館」。 例の「どじょうすくい」である。頑さん、こだわりのコースだという。成る程、PF写真を見れば、納得。
ところが、・・である。「最後に体験コーナーがあり、客人には必ずそれに出演してもらう」と車中で言われた。一瞬迷ったが腹をくくった。あの格好をして舞台に上がったのは4人、内2人は女性。手ほどきのあと全員で復習。終わると、修了証をもらったのだが、女房には見せられない(笑)「どじょうすくい」の一幕であった。
野田総理もやってみたら? などと浮かんだりも・・・。



大根島の「由志園」。見事な牡丹の配置は、さながら屏風絵であった。

県庁前を通過するとき「竹島は日本固有の領土」と書いた大きな立幕が見えた。

「出雲護国神社」目的最後の場所。想像していた大きさより小さかったのは意外であった。島根県には護国神社が二ヶ所あるらしいので、他方は大きいのかもしれない。      参拝を済ませ、視線を右に向けると何やら書いている。それは、南方にいる日本兵が名前と住所を書いたやしの実が日本に流れ着いた”奇跡の椰子の実”の話である。
読んでみてびっくり・・・こんなこと有りー?って云う思いがする。

「彩雲堂」。松江は「お茶(抹茶)」の盛んな土地柄だそうな。生和菓子を買った。

 午後2時。頑さんに別れを告げ、国道9号線で兵庫県和田山に向かった。
 また5時間の運転になるが、私は満足感に浸っていた。それは見たい所は全て回れたし、二日間に亘る頑さんの心のこもった案内と説明があったからこそである、と思っている。
 頑さん、本当にありがとうございました。

 午後7時前、息子の家に着いた。前回は、寝返りもままならなかった孫がつかまり立ちをするようになっていた。孫の名を呼び、笑いかけると、笑顔で返してくる。その顔が理屈ぬきに可愛い。私も 一端の”じいじ”になったのかな。
松陰神社で買ったお守りを渡す。

 午後9時、別れを告げ、但馬道を南下、山陽自動車道姫路東ICに入ったのは夜中の11時であった。

11月28日 5日目。午後2時過ぎ。ようやく我が家に辿り着いた。

 かくして、走行距離1400Kmの旅は終わった。

 この旅では、萩は38年ぶり、島根は初めての観光旅行。天気に恵まれ、出会いにも恵まれ、神々にも会えたような満足のいく旅であった。
おーっと、山の神 にも・・・・感謝、感謝。