今や、親の子供虐待事件が、毎日のように報道されている。
先日、宗像の母 と呼ばれている賀久はつ先生の講話を聴いた。
この講演は、熊本県や市の後援を受けていた。
先生の話をご紹介しましょう。
趣旨は、「子供は神様です。子は、作るのではなく、授かるのです。
作るという意識が、野菜のように、切り刻んだり、子供への虐待や子殺しに繋がっている。宿った命は、家族全体で心から歓迎しましょう。」ということでした。
先生の話の中で、望まない子供の出産の例として、私が一番ショックを受けた話をご紹介します。
「米国の医学会で報告された事実ですが・・・
社長と不倫の仲になった若い女子社員がいた。
妊娠した。
アメリカは容易には堕胎出来ない国。
お腹は次第に大きくなり、次第に、胎児を疎ましく 思うようになった。
やがて、出産が近づいた。
ところが、胎児の心音が、突然止まった。
急いで、切開して胎児を取り出してみると・・・スタッフは、息を呑んだ。
・・・その胎児は、へその緒を何重にも首に巻き、へその緒を手でしっかりつかんで、
死んでいた。
へその緒の血流がとだえたていたのである。」
今では胎教の大切さが、科学的にも証明されている時代。
この事実を どのように解釈するか。
皆さん、どう、思われますか?
先生は、仰いました。
「赤ちゃんは、胎児の時から、親の言葉(意)をちゃんと聞いています。
その児は、『生まれては、いけないんだ!』と思ったのでしょう。」
「産む権利、SEXの権利というように、なにやら分らない権利を主張する人たちがいますが、これは対立の観念で、和=融合はうまれない。思い遣りや労りや愛しみの世界には権利や義務の主張はない。」
「子供は、宜しくお願いします。と、出てきます。
母親も、宜しくお願いします、と迎えましょう。」
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