ブルグミュラーの「スティリアの女」(La styrienne)は以前から題名だけは知っていました。しかし、それがどこの誰なのかはさっぱり分からず謂わば謎の女性でした。スティリアの女はミステリアスな存在(笑)。
今、ピアノを習いはじめてスティリアの女と再会したようなわけですが、その正体は依然として謎のままです。
昔と違って情報が豊富になった現在、調べないわけにはいきません。インターネットや本で先行の記事にあたったり、独自調査もしてみたのですが、一筋縄ではいかない難しい相手でした。これまで判ったことをざっくりと書くと以下のようになりました。
***
スティリアの女に関する調書
生年及び年齢 1851年(嘉永四年)頃、およそ173歳(「25の練習曲作品100の第14番」出版年から起算、推定)
生みの親 ヨハン・フリードリッヒ・フランツ・ブルクミュラー
出生時の状況 パリ(フランス)にて出生、当時、富裕市民層に流行した踊りの名前から、ピアノ教師をしていた父ブルクミュラーが命名。その生徒らに愛されて育つ。
ルーツ シュタイアーマルク(オーストリア)及びシュタイエルスカ(スロベニア)にまたがるシュタイアー(英語)またはスティリー(仏語)と呼ばれる地域の血をひいている。
渡航歴 昭和初期に来日が確認される。当時、スティリアの女と名乗り、以後、各地に潜伏か。戦後はピアノブームにより、正体不明のまま低年齢層の人気を集める。近年は、上記ルーツに因んで、スティリエ(ア)ンヌ、シュタイアー、アルプスなどと名乗ることがある。 以上
***
結局、「スティリアの女」とは、スティリア地方の舞曲のことでした。フランス語では舞曲は女性形なのでスティリーに女性形の語尾を付けてスティリエンヌとしただけだったのです。スティリエンヌ(スティリア舞曲)は19世紀のフランスのサロンで盛んに踊られていたようです。
日本で「25の練習曲」を出版する際に「ラ・スティリエンヌ」という原題を、パリジェンヌ同様にスティリアの女と翻訳したようです。文法的にはOKですし、スティリア地方の音楽的な化身だと考えれば言い得て妙な名訳だと思います。
昔の名前で出ています、もとい、スティリアの女のままでよいのではないかと私は思っています。∎
トップが暗い写真でしたので、最後に今朝の出先での青空を。 Panasonic / LUMIX LX9
反田恭平氏の極上の「スティリアの女」。これほどエレガントなスティリエンヌがあってよいのでしょうか。練習曲が「可憐な円舞曲」に変身しています。やはり、スティリアの女は正体不明かな…
Kyohei Sorita - J.Burgmüller / Etude Op.100 No.14 "La Styrienne" ( ブルグミュラー / 25の練習曲 作品100より 第14番 )