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松戸市内散歩 その1 軍隊編

2020年11月16日 | ぼくのとうかつヒストリア
松戸市(千葉県)内は以前、母の女子挺身隊の記事を書いた際に平潟などを訪問したことがあります。以来、松戸市内の再訪を考えていました。
ようやくその機会に恵まれたので、限られた時間でしたがカメラを片手に回ってみました。
前述の記事の内容がらみなので、見学先はどうしても軍隊関係が中心になりましたが、独特の風情のある地区にも足を運んでみました。
いつものように、ぶらぶら散歩カメラです。

母は、当時、平潟の女子寮から松戸飛行場に隣接した軍需工場まで通っていたので工兵隊のことは知っていたと思われます。
現在はイトーヨーカドーが聳えている松戸市の相模台。そこには行政の主だった施設や大学、学校が建っています。かつて、そこには旧日本陸軍の工兵学校があり、台地のほとんどと八柱方面までの広大な土地を占めていました。各地の部隊から選抜された学生が教育訓練を受け、それを各隊に普及させるのが目的でした。その他、工兵関係の学術の調査研究、資材の研究試験などもを行っていました。




旧陸軍工兵学校正門門柱と歩哨哨舎(松戸中央公園)
工兵学校を象徴する正門の門柱4基(大正9年)と歩哨哨舎(昭和初期、右端)が残っています(門灯、門扉は消失)。往時と同じ位置で、門からは学校本部や兵舎等が見えたでしょう。(いずれも松戸市指定有形文化財)




幾多の兵士を見送ったレンガ張りの重厚な門柱、歩哨が直立不動で監視していた哨舎と公園内の華やいだ花壇や談笑するヤンママたちとのギャップが何とも言えない佇まいでした。




正門脇のコンクリート造り歩哨哨舎全景
このようなものがそっくり残っていること自体に驚きます。工兵学校設置当初の木造哨舎を昭和初期に建て替えたものです。哨舎は、威圧的なものかと思いきや、意外と昭和モダンを思わせるデザインです。その一方で、どうしてもトーチカを連想してしまいます。いずれにせよ、居住性は度外視ですね。




倉庫(軽油庫)
相模台の崖に設置された工兵学校の倉庫で軽油の倉庫ではないかと推測される構築物です。壁にある空気抜きの穴がその例証のようです。崖っぷちなのは万一の場合でも被害が限定されるからでしょうか。見るからに武骨で頑丈そうな建物です。




陸軍用地境界標石
倉庫跡の手前にある境界石です。標識には幾種類かあるようです。この石杭は外側を向いているので文字が判りにくいですが、「陸軍用地」と割と小振りな文字が彫られています。上にある倉庫が陸軍用地内ぎりぎりに建てられていたことが分かります。




こちらは、相模台公園の一隅にある標石で、なぜか、ぽつんと取り残されています。
ここ以外にもいくつかの標石が残っていますが、紛れもない、旧帝国陸軍の存在を今に語る遺物です。




正門に至る道路
台地にある正門まで登って行く道路は通称、地獄坂。谷側を見下ろしたアングルですが、かなりの勾配です。きつい訓練を終えて戻る兵士が命令一下、駆け足で登ったと言われています。兵士には迫る左右の崖もあまり感じのいいものではなかったでしょう。まして、重装備をして駆け上がる際は。

当時の工兵の苦労が偲ばれますが、戦争遺跡はこのくらいにして松戸の町に下りてみましょう。

(以下、松戸市内散歩 その2 坂川編に続く)

(撮影 2020/11/12)
Nikon D500/AF-S DX NIKKOR 18-55mm f/3.5-5.6 G VR II


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