かりんとう日記

禁煙支援専門医の私的生活

旅の意味

2007年03月28日 | がん病棟で
もしも、限りある命の、その終着点がおぼろげながら見えるような状況になってしまったら、果たして自分は残りの日々をどうすごすだろうかと考えたことがありますか?

私は今までの人生で2度ほど、覚悟を決めたときがあります。
最初は素人ながらヒマラヤ登山隊について行くことを決めたときです。
先輩の「親のために葬式代になるくらいの保険には入っておけ」という忠告に従い、郵便局の簡易保険に入ったあと、日本を離れる前に私がやったのは、逢っておきたい友人達を訪ねる旅でした。

2度目は、はっきりと死を意識する病気になったときです。
このときも、海外にいる友人達に逢いに出かけました。

こういう経験をしてわかったのは、私にとって仕事というのは2の次、3の次なのだということです。
今でもまたそういう状況になったら仕事は最初に切り捨て、おそらく旅をするのだと思います。

しかし旅といっても、世界遺産や有名観光地を訪ねる旅ではありません。
その行き先には必ず、一緒に時間をすごしたい人、逢いたい人たちがいます。
あるいは、そういう彼らと一緒に旅をすることに幸せや歓びを感じるのです。

私がこんな感じなので、もちろん相手を選びますが、受け持った癌患者さんにも“いざとなったら私が同行しますから是非行ってらっしゃい”くらいの勢いでもって、旅を勧めることがよくあります

TさんはⅣ期の肺がん。
私がけしかけたこともあって、去年から抗がん剤治療の合間にあちこち旅行をしています。
先週はご友人が設定してくれた沖縄旅行を楽しんできました。
入院中の電話の声だけで彼女の気持ちを察して、旅行を計画して誘ってくれたとか。
病気が病気だけに、つかず離れずの良い友人関係を保つのは意外と難しいものですが、彼女は素晴らしいご友人に恵まれ、しかしそれは彼女自身の人柄によるものでもあるのでしょう。
今日は外来でそんな話を打ち明けられ、ふたりして泣いてしまいました。

友人がつらいときにはそっと寄り添い、必要ならば肩を貸してあげられるような、そんな人間になりたいと思いました。



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