大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

黄龍への道程 その③松潘(しょうはん)

2017年10月16日 | 中国の旅

「着いたよ」

運ちゃんの言葉に、目覚めるとそこは松潘だった。

▼松潘の城壁の外側

川主寺のトンネルを過ぎた辺りで居眠りをしてしまったらしい。 

……あれ?先に松潘だったのかな??

位置関係からして、黄龍→松潘→茂県の順で進んだ方が効率が良いように思うが。 
相変わらず旅行社から貰った行程表を見ていなかった。

実は、行程表を確認しなかったが為に、前日とんでもない事態に遭遇していた。
昨日の朝、九寨溝を観光中にゲイさんから電話がかかってきた。

「今どこに居るんですか?ロビーで運転手さんが待ってますよ」

「えっ」状況が飲み込めず、一瞬フリーズするが、タクシーは18日で依頼していたはず。

「今日は17日ですよね?タクシーは明日18日でお願いしているはずですが」

「えっ、九寨溝2日ですか?」

「そうです、黄龍は明日ですよ。メールでそのように書きましたが」

言葉を失うゲイさん。
まさか九寨溝を2日も観光するなんて微塵も思わず、
翌日にタクシーの手配をしていたらしい。
メール確認で18日と書いてあったので、無料で再手配して貰えた。

西安で貰った行程表をしっかり確認していれば、もっと早くにわかったことだったが
ゲイさんの日本人並みに行き届いた気遣いに、間違いなんてないだろうと
安心してしまっていたのだ。 

「ここは30分だから」

運ちゃんは行程表を見ながら、我々に指示した。
この運ちゃんは30代位の一昔前の中国のイケメンという感じだが、
不愛想なので少し怖く感じる(笑)。

……行程表を見てるなら間違うことはないな。

何かの理由で黄龍は次にしたのか、なんて考えつつ、時間もないので
観光を始める。

▼松潘のシンボル「延薫門」/塑像はソンツェンガンポ王と文成公主

松潘の街は標高2850m、黄龍の南西に位置する。
松潘の歴史は2300年とも云われ、約600年前の明代に建てられた城門が
街のシンボルになっている。

松潘は漢民族圏とチベットの境界にあり、重要な交易中継都市として発展した。
かつては高原古城と呼ばれたそうだ。
松潘には漢族、チベット族、羌(きょう)族、回族が住んでいるらしい。

▼城壁内のメインストリートは観光客目当ての土産物屋、食堂が多い

▼唐代の剣南西川道節度使・李徳裕(りとくゆう)の塑像

▼李徳裕と怪しい日本人

▼路地に入ると、屋台の軽食がある。

▼回族の屋台/羊肉、ヤク肉、ジャガイモの串焼き

▼城壁は山の上にまで続いている

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿