「いっぽ」のつぶやき

健康に福祉にボランティアにと、自分らしい人生を過ごすために、一歩ずつ歩んでいる「いっぽ」のつぶやきです。

四賢婦人記念館

2019-05-31 15:54:29 | 日記
26日にはあもにいで四賢婦人の朗読劇と講演会があり、その時に紹介された益城町の四賢婦人記念館に行ってきました。
地震前に古い生家の一部を移転させてあった家へは行ったことがあったのですが、それが地震で壊れて、新たな場所に生家が復元されています。
熊本空港から近いのですが、道がわかりにくくて迷いながら到達しました。


矢嶋家の四人の姉妹が四賢婦人と呼ばれていて、女性の地位向上や女子教育に力を注ぎ、熊本女学校や東京の女子学院の設立に尽力しました。
兄も惣庄屋として、財産を投げうって地域に貢献しています。そんな子どもたちを育てたお母さんがすごい!と思います。
生活面では味噌、醤油、漬物、糸紡ぎ、機織り、裁縫など、自給自足の暮らしが出来るように指導し、論語の暗唱はもちろんのこと、自筆の百人一首や古今和歌集を与えて教養を身につけさせています。


明治時代に熊本出身の女性たちが古い慣習を打ち破り、女子教育、婦人解放運動に大活躍をしたことがあまり知られていないのが残念です。


特に六女の矢島楫子は三度もアメリカを訪れています。当時は船で行くしかないので、数ヶ月の旅です。

明治39年、73歳 7/28〜12/19
アメリカ ボストンに行き、ルーズベルト大統領と会っています。

大正9年、87歳 3/13〜9/4
アメリカへ行って、そこからイギリスに渡り、第9回万国矯風会ロンドン大会に出席したあと、ヨーロッパを周り、アメリカに戻って帰国しています。

大正10年、88歳 4/20〜5/30
満州、朝鮮を40日間で巡っています。

大正10年、88歳 9/30〜翌年1/21
ワシントンで開催された平和軍縮会議に、東洋の平和を祈る婦人の1万人分の署名を持って参加、ハーディング大統領から記念の花器を贈られています。
アメリカでは新聞や雑誌に数多く取り上げられて、当時の楫子の映像も残されています。
これほどアメリカで話題になった日本の女性はいないのではないでしょうか?正に日本の最先端を行った女性で、熊本の誇りですね。

帰りに、会館の方に道路に案内板を立ててもらうよう、お願いをしてきました^_^;
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