vamos!!!!
ようやく今シーズンのレースが一区切りついたと思いきや、少し残業がありそうな頓所です。
食事に気をつけるレベルが1つ下げられるのがとてもうれしいです。
タピオカとか飲みたいです。
ちなみに8月のブログ更新を停滞させた原因その1でもございます。
なんなりと蒸すなり燻すなり好きにしてください。
わたくしの文章は非常に淡白、水とお湯で味付けするようなものですが、
今回は食材が高級食材なので何とかなってほしいなーと思い始めています。
ということで今回は国スポ佐賀体験記です。
今年から国民体育大会が国民スポーツ大会に名前が変わったんですよね。
実際国スポってどのくらい知名度があるのか、名誉があるのか、世論をつかめていませんが、
とりあえず出場には県内トップ程度の実力が必要ということで難しいことには違いないでしょう。
私個人の見解では、「若い世代からはあまり知名度は大きくないが、大人世代からの知名度は大きい」という印象があります。
実際県を背負って大会に出るというのは、それだけでいつもよりは緊張感がありました。が潰れるほどではなかったので、
自分は新潟県代表くらいが現状にふさわしいくらいの器ということで調子に乗っておきます ↑ ↑ ↑ 。
頓所は4×50mフリーリレー、50m自由形に出場してきました。
千葉大学からは頓所1人ということで、選出から後泊までながーく書きます。
思ったよりも長いと思うので(9000文字)お時間があるときにどうぞ。それでは!!!!
部外の人には知らない人もいたと思いますが、おらは新潟県の燕市というところ出身でして、まぁ田舎もんだこて。
でも新潟はごーぎいいところなんだこてねー。駐車場代がかからんねぇし、遊ぶ場所がごーぎ空いてんらこて。
親戚のうちからもらった野菜がごーぎうめぇこてね。
・・・失礼しました新潟弁(うちのおばあちゃんの真似)がでてしまいました。かんべの m(__)m
ちなみに普段は新潟弁は使えないので頓所は都会人ということになるこてね。
ということで新潟県代表で国スポに出てきました。ということでって便利な言葉ですね。
新潟の水泳はまあ全国的に中の中と言ったところで、今年は優勝する選手こそいなかったものの、選手団は38人+スタッフ14人とかなり大所帯です。
つまり地方の県の中ではそこそこ力(お金)を入れている県ということになります。
また私が動き出したのは去年の年度末、地元の恩師に連絡を取り、国体出場を目指すと連絡を入れたころから動きだしていました。
新潟県の国体予選に古巣の名義でエントリーしていただき、あえなく姉の結婚式で棄権。
その後の東部国公立の結果により代表選出され、今に至るというわけです。
そういう意味でも今年の東部の50m自由形は大きな意味がありました。
国スポにおいて、大学生からは区分が「成年」という区分になり、年齢に上限がない怖い世界になります。
そんな怖い世界の新潟支部は例年、成年の4×50mのフリーリレー(以後2継と呼びます)がやたらと強く、
2018年?には優勝したことがあるほどのスプリント国家であります。
つまりそのリレーメンバーに入ってしまえば念願の全国入賞も近いのではと思い新潟代表を目指したわけです。
新潟では、国体選手が決定するまでに強化合宿が9回、決定してから2回、長岡で合宿が行われます。多いですね。
成年は参加が任意なので、10次合宿に一日だけお邪魔させていただきました。
他の男子の成年選手は1名だけで、特に自分はなんか千葉から来たよくわからん21歳として高校生と一緒に練習に参加してきました。
インカレ前というのもあり、成年ってこんなに自由なんだって思うくらいやりたいようにやらせてくれました。
小中高と新潟県の強化合宿には参加してきて、合宿というものに対する嫌悪感が染みついている私ですが、
成年となって参加するととても楽しかったです。
合宿なのに輪を乱さない程度に自由に行動できる不思議でした。
小学生のころから参加してきた合宿で、子ども扱いから大人として対応されるようになり、
また日本文理高校(野球が有名)の先生と選手たちの関係性がうらやましく、なにか寂しく感じました。
これが大人になるということなのでしょう。
そしてインカレを終え、移動日の12日を迎えました。
成年は羽田で集合し、そこから佐賀に向かいました。
そこで成年選手は顔を合わせました。
私は今年が初参加(1度選出されたがコロナで中止)なので、「初めまして千葉大学の頓所ですー」という挨拶から始まりました。
この方たちと一緒に三日間戦うと思うと不思議な気持ちでした。
国体初参加の自分と比べ、他の選手は何度も参加してきているので落ち着いていましたね。
みんなスポーツ選手っぽい顔立ちな先輩なのでとても心強かったです。
飛行機が着陸後、貸し切りバスで宿まで移動になりました。
2継の泳順を決める軽い話し合いなんかもありました。
みんな1泳は嫌だ!って言ってましたが結局飛び込みが上手な鈴木さんになりました。
「インカレ前から引き継ぎの練習してたのに、、、」とかわいそうでした。普段から慶應でも1泳なので完全にドンマイです。
そして水泳の話が当たり前に始まりますがここで自分はいつも困ります。
私は泳ぐのは好きですが、水泳観戦は好きではないので人に関する水泳の話が苦手です。
たびたび和也に引かれていますが、今回は水泳の話より周りの環境の話になったので話せて楽しかったです。
隣になった樋口さん(2継・ものすごいイケメン)や早坂さん(Ba・小学校の時一緒に練習したことある)と社会人の水泳の話を聞けてとても楽しかったです。
ホテルに着いて山中さん(Br・とても大人)と出会い、宿は鈴木さん(Fr・慶應のエース、全中優勝)と同じ部屋になり、
そのまま石崎さん(Fr/Fly・日大元キャプテン)、坂さん(IM・とんでもなく外交的)、鈴木さんと一緒に温泉に行ってきました。
すごく広くていい湯でした。
風呂の中では今年は〇県が強いだの最近の彼女事情がどうだの話をした気がします。楽しいです。
そして13日、前日練習日は会場についてからは自由行動でした。
控え場所で体を動かしてから練習するのですが、普段陸であまり体操しない自分は中学のころからこの時間は悩みどころです。
筋肉をほぐすように持ってきていたテニスボールを使って筋肉をほぐしたり、とりあえず肩回りをよく動かしていました。
合宿で練習前にやったドライトレーニングをメモしておいたのも役に立ちました。
そうして時間を過ごしていると、ちょうどいい時間になったので安心してプールに向かいました。
今回も無事この時間を乗り切りました。
そしてアップでは特になにもありませんでした。佐賀のプールは普通に泳ぎやすく、更衣室は狭く、会場は各県の応援幕でいっぱい。という状況でした。
自分は学連ではない、県の大会にあまり出ないので、中高生がたくさんいるアップ会場はなんかひさしぶりでしたね。
コロナ渦のときに1週間くらい?一緒に練習させてもらった中條コーチ(ロン毛になってた)にタイムをとってもらったりしながらアップは終わりました。
とっても調子が良かった覚えがあります。
具体的には、よくやるDPS(少ないストロークで泳ぐ・自分の場合はドルフィン3回、ストローク20回でなるべく早く泳ぐ)という練習では、
27秒で泳ぎ、ひそかにテンションが上がっていました。(いつもは31-33秒)
そして前日練習をホクホクで終え、かの有名な山崎コーチ(今年は青森県のコーチ・頓所と小学校から関わりあり・インスタフォロワー14万)とも話しました。
「新潟のためとかくだらないこと考えんないでさ、楽しんでいこう。」って言われて結構気が楽になりました。でも今年は青森県のコーチです。
そしてそのあとは割とすぐホテルに戻りました。
そしてまた同じ温泉に行きました。今回は樋口さん、山中さん、早坂さん、鈴木さんと一緒です。
14日にレースがない5人で行きました。
いい湯でした。かなりおすすめです。ちなみに「こもれび」という温泉です。佐賀は温泉がいいところなのでいくなら温泉巡りしたいですね。
ちなみに国スポ期間はホテルの朝食ではなく、コーチ陣が手配してくれたお弁当を朝と昼に食べ、夜は自由に食べに行く感じでした。
選手のための気づかいがすごくて驚きました。朝ごはん取り寄せて部屋で食べさせてもらうなんて、、、、、
またこの辺の食費はすべて負担してくれました(夜は4日分まとめて定額制)交通費、宿泊費もすべて県が負担してくれたのですごいです。
この行程で一番自分がお金を使ったのはお土産と観光代だったと思います。
そしてついに来た国スポ初日、14日です。
といっても自分のレースは2、3日目なので開会式頃に行って、本当の意味での前日練習をしただけです。
DPSもしましたが、コーチをうまく捕まえられずにタイムはわかりませんでした。でもすごく調子よかったと思います。
あと開会式前に円陣を組みましたね。通称新潟ファイトです。今年は掛け声がすべてvamos!!に統一されており、新鮮で楽しかったです。
水泳における円陣っていい文化ですよね。僕は大好きです。気になる人は会場に開会式前から行ってみるといいと思います。
今回は参加チームが47ほどあるということで、開会式前にはプールサイドで円陣待ちの渋滞が起きていました。何なんだこれってなりました。
練習を終えると、新潟県選手の応援をしました。
応援は高校生がリードしてやっていたのですが、いろいろな新潟のクラブチームの応援をやったのが楽しかったです。
新潟県内の聞いたことある応援たちを聞くだけでも懐かしいのに、自分がやるのはやはり不思議な感覚です。
レースは瀬戸選手のような有名選手や社会人、インカレ上位勢までいる、グロい環境でした。
あとこのとき私の眼鏡の右のねじが外れて壊れました。無念。
自分より速いような新潟の中高生を応援しながら、1日目は終わり、宿に戻りました。
次の日は私も鈴木さんもレースなので22時前には寝ました。
睡眠だけでなく、栄養面もかなり気を遣って過ごしましたね。
そして来る15日、2継の日です。
私はかなり前からこの日のために準備してきており、気合十分。
レースは昼頃でしたが私は朝から会場に行き、2回アップするプランで臨みました。
泳いでみると調子もよく、万全の状態といえます。
そして2回目のアップの時間になり、鈴木さん、樋口さん、石崎さんも会場に来てアップをしました。
他メンバーは3回以上国体の経験があり、かなり落ち着いた様子で安心感がすごかったです。
「普通にいけば決勝は残れる。」と樋口さんが何回か聞かせてくれて安心させてくれましたね。とても顔がかっこよかったです。
一方頓所は結構緊張しておりました。
私は自分のレースではあまり緊張しませんが、全国の決勝がかかるようなレースだとまだ慣れずにソワソワしてしまいます。
そうこうしているとレースが始まりました。
鈴木さんがインカレより速いタイムで樋口さんに引き継ぎ、安定した泳ぎで自分に引き継ぎ、そして頓所がいい感じの泳ぎで石崎さんに引き継ぎ、、、、、
結果は組の中で2位、全体で4位同着という結果でした。
4位6位8位がそれぞれ同着という熾烈な争いの中、見事予選は成功したといえます。
これは本当に安心しました。
予選落ちがとにかく怖く、実際8位まで0.3秒くらいしか差がなかったので一人でもやらかしていれば予選落ちしかねない状況でした。
ひとまずよかったということで予選は終わり、決勝まで間が5-6時間空いていたので、トレーナーとして県に帯同していた内山さん(陽気)のケアを受けました。
「千葉大学にもトレーナーとかいるの?」と聞かれ、コーチすらいませんと答えるとたいそう驚かれました。
ケアは正しくプロの技という感じで、受けたからと言って真似できるものでもなく、トレーナーの重要性も理解することができました。
その後は午後に向けてめっちゃ寝ました。
そして2回目のアップ。ケアを受けていたこともあり、肩がものすんごい回りました。
自分は調子がいいと「壁を押しているくらい進む」と言うことがありますが、今回は「すごい軽く肩が回る」というような調子のよさでした。
調子に乗って「21秒台いけます!」って言っていると樋口さんが大人な感じで「頼もしいな~」と言ってくれました。かっこよくて悔しかったです。
そして決勝、招集所前ではコーチたちが送り出してくれました。(頓所のinstagram参照)やはり気合が入ります。
予選でも着ていましたが、新潟代表の長袖ユニフォーム、かっこよくてすごい好きです。そして野球選手のようなキャップも被り招集所へ向かいました。
新潟代表としての一体感を確かに感じる幸せな時間でした。
招集所では有名な塩浦選手(実際に見るとちょーかっこいい)がいるような、競技寿命が長いスプリント競技らしい、平均年齢高めの招集所でした。
後から聞くに、他メンバーは名だたる有名選手に少し気圧されて緊張していたようでしたが、自分はあまりにも選手に対して無知なので、「年齢高めだなー」くらいにしか感じていませんでした。
神奈川勢の気合入れのための長い長い送り出しにも負けず、全国公仲間の村上君(岡山大・最近速すぎ)、そしてメンバーとグータッチを交わしました。
そしてついに入場。全国公しか大舞台の決勝の経験がない自分にとっては本当にテンションが上がる瞬間でした。
予選の時にあった重い緊張も、決勝に残ってしまえば最低限の仕事はできたということで安心して臨めていました。
しかしこの日応援スタンドに行かず、レース準備に徹していた頓所は、新潟の応援席の場所がわからないという失念をしておりました。
応援席が毎日変わるとは思ってもいなかったです。その結果、とりあえずスタンド側にガッツポーズをしていました。
これは決勝競技の中で一番のミスといえます。配信をよく見てみると、1人だけキョロキョロしながらグーしているところが伺えます。恥ずかしいです。
そんなこんなで選手紹介を受け、レースが始まりました。
1泳の飛び込み大臣鈴木さんがシーズンベストの泳ぎを見せ(22.8)、イケメン仕事人の樋口さんは安定した泳ぎで戻ってきました(22.3)。
そしてルーティンを済ませて気合十分の頓所へと引き継ぎ、しっかりと水をつかんで泳ぎ切りました。7位から5位に順位を上げられて誇らしいです。(22.14)
最後は成年リーダーの石崎さん。競り合いの真ん中、静岡と4位同着でゴール!!0.05秒差で3位の北海道に負け、あちゃー!といったリアクションをしていると、、、、
聞きなれたアナウンスで「ただ今・・・」という声が聞こえました。この水泳選手なら誰もが恐怖するアナウンスの後、「第3レーンの北海道チームは・・・」という声が聞こえ、新潟は大盛り上がり。
リレーメンバーも応援席も声を上げて喜びました。
そうしてなかなか珍しい。新潟静岡による同着、繰り上げの3位が決まり、隣の北海道チームの前で大喜びしてしまいました。少しマナーに欠けるとも捉えられますが、それほど3位がうれしかったのです。
テンションが上がりきったリレーメンバーたちと喜んでいると表彰に案内されました。同じく大興奮の静岡の4人と1人ずつ握手をしました。正直1人も存じ上げなくて申し訳なかったです。
でも有頂天ですべてがキラキラして見えていました。被表彰者に配られるただのポカリスエットにもなにか特別なありがたさを感じたのを覚えています。
そうして冷めやらぬまま表彰を迎え、声援を受けながら表彰台に上り、やたらかっこいいメダルを頂き、被表彰者16人がまとまって写真を撮りました。
なんかメンバーがごちゃ混ぜになっていましたがテンションが上がっていたのでなんでもよかったです。
表彰後、人生初となる新潟日報の取材を受けました。
自分のタイムがわからないまま、とりあえず自分はいいタイムだったということにして取材を受けました。
質問にいくつか答えたのち、「雰囲気がよく見えるが、リレーメンバーで一緒に練習をすることはあったのか」という聞かれたくない質問を受けました。
自分は数日前に初対面だったので非常に答えづらかったです。
顔を見合わせて返答に困っていると、樋口さんが「練習はしてないが、この3日間でメンバーとしての一体感をうまく作り出せた」ときれいにまとめてくれました。
新潟日報で実際に記事になっているので気になる人は検索してみてください。この気まずい質問は見事にカットされていました。
そうして取材も終え、コーチたちの歓迎を受けて写真を撮りました。今年は女子も2継で決勝に残る快挙だったので、一緒に写真を撮りました。
そうして歓喜の15日を終え、メンバーと坂さんの5人でハンバーグオムライスを食べに行きました。ひと際おいしかったです。
ホテルのロビーで会えてなかったコーチたちに絶賛されながらコインランドリーで洗濯機をぶん回し、この日も早く寝ました。
コインランドリーまでの道では踊りだしたい気分でした。たしか少し踊ってた気がします。
テレビを見ていた中学高校の先輩から来た、久しぶりの連絡も尻目に、せっせと早寝早起きに勤しみます。
そして16日、この日は個人の50m自由形があったので早く会場に向かい、トレーナーのケアも受けてしっかりアップをしました。
もともと新潟県中高生やコーチからの知名度が低い頓所は、昨日のリレーを経て知名度が上がり、かなり期待を受けていました。
そして迎えたレースではまさかの空回り。
気持ちだけ先行し、最近はしないようにしていたテンポだけ上げるような泳ぎをしてしまいました。
もともと個人の飛び込みが苦手で引き継ぎは得意なので、個人と引き継ぎで1秒近く差が出るタイプではあるのですが、そんなことは知らない新潟勢の期待を大きく下回る結果となってしまいました。
後から聞くに、「22.5とかすごいタイム出るんじゃね、、、?」みたいな期待されてたみたいです。実際は23.5でほんと申し訳なかったです。
レースを終え、いろいろな人にやらかしたー、、、、って言いながらダウンを済ませ、新潟勢の応援にしれっと混ざることとなりました。
最終日には、新潟県のエースの高校1年生、根岸君の熱いレースが2つあったので応援したり、一緒に行動した成年のメドレーリレーを応援したりと充実していました。
どれも応援しがいのある熱いレースでした。
その後新潟県選手団の解団式を行い、日本水泳連盟の友好賞を受けた青木先生(日本文理高校・昔は鬼だった)のお祝いや、集合写真の撮影をしました。幸せでした。
そうして国スポも終わりを迎えました。
その後、国スポのメインイベントである、成年とコーチによる飲み会、二次会へと状況は移ります。
ですが今年はやはり疲れていたのか、おいしい海鮮コースを食べ、おいしいお酒を飲む楽しい回でした。
コーチのうちの何人かは自分が小学生のころからコーチとして知っていた存在だったので、一緒のチームとしてお酒を飲むというのは不思議な感覚でした。
そうして1次会を終え、二次会では群馬代表の成人と合流し飲み会が始まりました。
飲み会自体は普通に終わりましたがその後は居酒屋探しに難航、もともと新潟代表だった田中選手(日本短水路優勝とかしてる)がふらふらで意味の分からないことをずっと言っていたため、肩を組んでタクシーに乗せ、帰宅させました。
この行動は群馬県の他のメンバーから感謝されました。そのなかには筑波大卒の三浦さん(全国公無双してた)がいたりと、やはり国スポってすごいとこだなと思いました。
空いてる飲み屋がなく、12時前に健康的に解散となり、健康的に寝ました。
ちなみに同じ部屋の鈴木さんはコートたちの飲み会に参加し、3時ごろに帰ってきました。また坂さんは4時に帰ってきたみたいです。
翌朝、元気な中高生、健康的に酒を飲んだ成人メンバー、二日酔いで酒の匂いがする鈴木さん坂さん、三上先生(朝まで飲んでた)たちとバスに乗り込み、帰路につきました。
太宰府天満宮で観光をし、福岡空港に到着、空港で成人チームは解散しました。成人チームやコーチに感謝を伝えました。
自分は単独行動でもつ鍋、カクテル、ラーメンをかっ食らう、絵にかいたような暴飲暴食をしてから成田まで飛びました。
こうして私の国スポ新潟代表としての6日間を終わり、いつもの千葉に帰って参りました。
初めて経験することばかりで、すべて楽しい経験となりました。
とにかくいい雰囲気の成人チームや、献身的なコーチ、スタッフ陣には感謝しきれないです。
なにより、2継メンバーには貴重な経験をさせてもらいました。改めて、ありがとうございました。
国スポを初めて経験してみて、社会人の選手が、「国スポが一番楽しい」という理由もわかりました。
これは来年の2継を目指してみたいとも思いました。
ということで頓所の水泳人生はまだ少なくとも1年は続きそうです。
今年結果が出たからと言って、来年の出場が堅いかといわれるとそうでもないので、また個人の50m自由形で22秒をめざす日々が続きそうです。
これからも頑張りますので、頓所や千葉大学、新潟県にも注目していただけるとありがたいです。
長ーく書きましたが、わたくしの感想文にお付き合いしていただきありがとうございます。
ここからは画像紹介です。
記事になった頓所
3位同着、表彰の様子
かっこいいメダル 青いガラスは伝統工芸品らしい
お世話になった成人チーム、コーチスタッフ陣
うますぎもつ鍋 左斜め前には塩浦選手が座ってました。ちょっと緊張しました。
今回もらったもの。新潟に染まりました。賞状がでかすぎて枠付きで、キャリーケースに入らなかったです。
以上です!!
読んでくれた方も国スポにかかわった方も本当にありがとうございました!
ようやく今シーズンのレースが一区切りついたと思いきや、少し残業がありそうな頓所です。
食事に気をつけるレベルが1つ下げられるのがとてもうれしいです。
タピオカとか飲みたいです。
ちなみに8月のブログ更新を停滞させた原因その1でもございます。
なんなりと蒸すなり燻すなり好きにしてください。
わたくしの文章は非常に淡白、水とお湯で味付けするようなものですが、
今回は食材が高級食材なので何とかなってほしいなーと思い始めています。
ということで今回は国スポ佐賀体験記です。
今年から国民体育大会が国民スポーツ大会に名前が変わったんですよね。
実際国スポってどのくらい知名度があるのか、名誉があるのか、世論をつかめていませんが、
とりあえず出場には県内トップ程度の実力が必要ということで難しいことには違いないでしょう。
私個人の見解では、「若い世代からはあまり知名度は大きくないが、大人世代からの知名度は大きい」という印象があります。
実際県を背負って大会に出るというのは、それだけでいつもよりは緊張感がありました。が潰れるほどではなかったので、
自分は新潟県代表くらいが現状にふさわしいくらいの器ということで調子に乗っておきます ↑ ↑ ↑ 。
頓所は4×50mフリーリレー、50m自由形に出場してきました。
千葉大学からは頓所1人ということで、選出から後泊までながーく書きます。
思ったよりも長いと思うので(9000文字)お時間があるときにどうぞ。それでは!!!!
部外の人には知らない人もいたと思いますが、おらは新潟県の燕市というところ出身でして、まぁ田舎もんだこて。
でも新潟はごーぎいいところなんだこてねー。駐車場代がかからんねぇし、遊ぶ場所がごーぎ空いてんらこて。
親戚のうちからもらった野菜がごーぎうめぇこてね。
・・・失礼しました新潟弁(うちのおばあちゃんの真似)がでてしまいました。かんべの m(__)m
ちなみに普段は新潟弁は使えないので頓所は都会人ということになるこてね。
ということで新潟県代表で国スポに出てきました。ということでって便利な言葉ですね。
新潟の水泳はまあ全国的に中の中と言ったところで、今年は優勝する選手こそいなかったものの、選手団は38人+スタッフ14人とかなり大所帯です。
つまり地方の県の中ではそこそこ力(お金)を入れている県ということになります。
また私が動き出したのは去年の年度末、地元の恩師に連絡を取り、国体出場を目指すと連絡を入れたころから動きだしていました。
新潟県の国体予選に古巣の名義でエントリーしていただき、あえなく姉の結婚式で棄権。
その後の東部国公立の結果により代表選出され、今に至るというわけです。
そういう意味でも今年の東部の50m自由形は大きな意味がありました。
国スポにおいて、大学生からは区分が「成年」という区分になり、年齢に上限がない怖い世界になります。
そんな怖い世界の新潟支部は例年、成年の4×50mのフリーリレー(以後2継と呼びます)がやたらと強く、
2018年?には優勝したことがあるほどのスプリント国家であります。
つまりそのリレーメンバーに入ってしまえば念願の全国入賞も近いのではと思い新潟代表を目指したわけです。
新潟では、国体選手が決定するまでに強化合宿が9回、決定してから2回、長岡で合宿が行われます。多いですね。
成年は参加が任意なので、10次合宿に一日だけお邪魔させていただきました。
他の男子の成年選手は1名だけで、特に自分はなんか千葉から来たよくわからん21歳として高校生と一緒に練習に参加してきました。
インカレ前というのもあり、成年ってこんなに自由なんだって思うくらいやりたいようにやらせてくれました。
小中高と新潟県の強化合宿には参加してきて、合宿というものに対する嫌悪感が染みついている私ですが、
成年となって参加するととても楽しかったです。
合宿なのに輪を乱さない程度に自由に行動できる不思議でした。
小学生のころから参加してきた合宿で、子ども扱いから大人として対応されるようになり、
また日本文理高校(野球が有名)の先生と選手たちの関係性がうらやましく、なにか寂しく感じました。
これが大人になるということなのでしょう。
そしてインカレを終え、移動日の12日を迎えました。
成年は羽田で集合し、そこから佐賀に向かいました。
そこで成年選手は顔を合わせました。
私は今年が初参加(1度選出されたがコロナで中止)なので、「初めまして千葉大学の頓所ですー」という挨拶から始まりました。
この方たちと一緒に三日間戦うと思うと不思議な気持ちでした。
国体初参加の自分と比べ、他の選手は何度も参加してきているので落ち着いていましたね。
みんなスポーツ選手っぽい顔立ちな先輩なのでとても心強かったです。
飛行機が着陸後、貸し切りバスで宿まで移動になりました。
2継の泳順を決める軽い話し合いなんかもありました。
みんな1泳は嫌だ!って言ってましたが結局飛び込みが上手な鈴木さんになりました。
「インカレ前から引き継ぎの練習してたのに、、、」とかわいそうでした。普段から慶應でも1泳なので完全にドンマイです。
そして水泳の話が当たり前に始まりますがここで自分はいつも困ります。
私は泳ぐのは好きですが、水泳観戦は好きではないので人に関する水泳の話が苦手です。
たびたび和也に引かれていますが、今回は水泳の話より周りの環境の話になったので話せて楽しかったです。
隣になった樋口さん(2継・ものすごいイケメン)や早坂さん(Ba・小学校の時一緒に練習したことある)と社会人の水泳の話を聞けてとても楽しかったです。
ホテルに着いて山中さん(Br・とても大人)と出会い、宿は鈴木さん(Fr・慶應のエース、全中優勝)と同じ部屋になり、
そのまま石崎さん(Fr/Fly・日大元キャプテン)、坂さん(IM・とんでもなく外交的)、鈴木さんと一緒に温泉に行ってきました。
すごく広くていい湯でした。
風呂の中では今年は〇県が強いだの最近の彼女事情がどうだの話をした気がします。楽しいです。
そして13日、前日練習日は会場についてからは自由行動でした。
控え場所で体を動かしてから練習するのですが、普段陸であまり体操しない自分は中学のころからこの時間は悩みどころです。
筋肉をほぐすように持ってきていたテニスボールを使って筋肉をほぐしたり、とりあえず肩回りをよく動かしていました。
合宿で練習前にやったドライトレーニングをメモしておいたのも役に立ちました。
そうして時間を過ごしていると、ちょうどいい時間になったので安心してプールに向かいました。
今回も無事この時間を乗り切りました。
そしてアップでは特になにもありませんでした。佐賀のプールは普通に泳ぎやすく、更衣室は狭く、会場は各県の応援幕でいっぱい。という状況でした。
自分は学連ではない、県の大会にあまり出ないので、中高生がたくさんいるアップ会場はなんかひさしぶりでしたね。
コロナ渦のときに1週間くらい?一緒に練習させてもらった中條コーチ(ロン毛になってた)にタイムをとってもらったりしながらアップは終わりました。
とっても調子が良かった覚えがあります。
具体的には、よくやるDPS(少ないストロークで泳ぐ・自分の場合はドルフィン3回、ストローク20回でなるべく早く泳ぐ)という練習では、
27秒で泳ぎ、ひそかにテンションが上がっていました。(いつもは31-33秒)
そして前日練習をホクホクで終え、かの有名な山崎コーチ(今年は青森県のコーチ・頓所と小学校から関わりあり・インスタフォロワー14万)とも話しました。
「新潟のためとかくだらないこと考えんないでさ、楽しんでいこう。」って言われて結構気が楽になりました。でも今年は青森県のコーチです。
そしてそのあとは割とすぐホテルに戻りました。
そしてまた同じ温泉に行きました。今回は樋口さん、山中さん、早坂さん、鈴木さんと一緒です。
14日にレースがない5人で行きました。
いい湯でした。かなりおすすめです。ちなみに「こもれび」という温泉です。佐賀は温泉がいいところなのでいくなら温泉巡りしたいですね。
ちなみに国スポ期間はホテルの朝食ではなく、コーチ陣が手配してくれたお弁当を朝と昼に食べ、夜は自由に食べに行く感じでした。
選手のための気づかいがすごくて驚きました。朝ごはん取り寄せて部屋で食べさせてもらうなんて、、、、、
またこの辺の食費はすべて負担してくれました(夜は4日分まとめて定額制)交通費、宿泊費もすべて県が負担してくれたのですごいです。
この行程で一番自分がお金を使ったのはお土産と観光代だったと思います。
そしてついに来た国スポ初日、14日です。
といっても自分のレースは2、3日目なので開会式頃に行って、本当の意味での前日練習をしただけです。
DPSもしましたが、コーチをうまく捕まえられずにタイムはわかりませんでした。でもすごく調子よかったと思います。
あと開会式前に円陣を組みましたね。通称新潟ファイトです。今年は掛け声がすべてvamos!!に統一されており、新鮮で楽しかったです。
水泳における円陣っていい文化ですよね。僕は大好きです。気になる人は会場に開会式前から行ってみるといいと思います。
今回は参加チームが47ほどあるということで、開会式前にはプールサイドで円陣待ちの渋滞が起きていました。何なんだこれってなりました。
練習を終えると、新潟県選手の応援をしました。
応援は高校生がリードしてやっていたのですが、いろいろな新潟のクラブチームの応援をやったのが楽しかったです。
新潟県内の聞いたことある応援たちを聞くだけでも懐かしいのに、自分がやるのはやはり不思議な感覚です。
レースは瀬戸選手のような有名選手や社会人、インカレ上位勢までいる、グロい環境でした。
あとこのとき私の眼鏡の右のねじが外れて壊れました。無念。
自分より速いような新潟の中高生を応援しながら、1日目は終わり、宿に戻りました。
次の日は私も鈴木さんもレースなので22時前には寝ました。
睡眠だけでなく、栄養面もかなり気を遣って過ごしましたね。
そして来る15日、2継の日です。
私はかなり前からこの日のために準備してきており、気合十分。
レースは昼頃でしたが私は朝から会場に行き、2回アップするプランで臨みました。
泳いでみると調子もよく、万全の状態といえます。
そして2回目のアップの時間になり、鈴木さん、樋口さん、石崎さんも会場に来てアップをしました。
他メンバーは3回以上国体の経験があり、かなり落ち着いた様子で安心感がすごかったです。
「普通にいけば決勝は残れる。」と樋口さんが何回か聞かせてくれて安心させてくれましたね。とても顔がかっこよかったです。
一方頓所は結構緊張しておりました。
私は自分のレースではあまり緊張しませんが、全国の決勝がかかるようなレースだとまだ慣れずにソワソワしてしまいます。
そうこうしているとレースが始まりました。
鈴木さんがインカレより速いタイムで樋口さんに引き継ぎ、安定した泳ぎで自分に引き継ぎ、そして頓所がいい感じの泳ぎで石崎さんに引き継ぎ、、、、、
結果は組の中で2位、全体で4位同着という結果でした。
4位6位8位がそれぞれ同着という熾烈な争いの中、見事予選は成功したといえます。
これは本当に安心しました。
予選落ちがとにかく怖く、実際8位まで0.3秒くらいしか差がなかったので一人でもやらかしていれば予選落ちしかねない状況でした。
ひとまずよかったということで予選は終わり、決勝まで間が5-6時間空いていたので、トレーナーとして県に帯同していた内山さん(陽気)のケアを受けました。
「千葉大学にもトレーナーとかいるの?」と聞かれ、コーチすらいませんと答えるとたいそう驚かれました。
ケアは正しくプロの技という感じで、受けたからと言って真似できるものでもなく、トレーナーの重要性も理解することができました。
その後は午後に向けてめっちゃ寝ました。
そして2回目のアップ。ケアを受けていたこともあり、肩がものすんごい回りました。
自分は調子がいいと「壁を押しているくらい進む」と言うことがありますが、今回は「すごい軽く肩が回る」というような調子のよさでした。
調子に乗って「21秒台いけます!」って言っていると樋口さんが大人な感じで「頼もしいな~」と言ってくれました。かっこよくて悔しかったです。
そして決勝、招集所前ではコーチたちが送り出してくれました。(頓所のinstagram参照)やはり気合が入ります。
予選でも着ていましたが、新潟代表の長袖ユニフォーム、かっこよくてすごい好きです。そして野球選手のようなキャップも被り招集所へ向かいました。
新潟代表としての一体感を確かに感じる幸せな時間でした。
招集所では有名な塩浦選手(実際に見るとちょーかっこいい)がいるような、競技寿命が長いスプリント競技らしい、平均年齢高めの招集所でした。
後から聞くに、他メンバーは名だたる有名選手に少し気圧されて緊張していたようでしたが、自分はあまりにも選手に対して無知なので、「年齢高めだなー」くらいにしか感じていませんでした。
神奈川勢の気合入れのための長い長い送り出しにも負けず、全国公仲間の村上君(岡山大・最近速すぎ)、そしてメンバーとグータッチを交わしました。
そしてついに入場。全国公しか大舞台の決勝の経験がない自分にとっては本当にテンションが上がる瞬間でした。
予選の時にあった重い緊張も、決勝に残ってしまえば最低限の仕事はできたということで安心して臨めていました。
しかしこの日応援スタンドに行かず、レース準備に徹していた頓所は、新潟の応援席の場所がわからないという失念をしておりました。
応援席が毎日変わるとは思ってもいなかったです。その結果、とりあえずスタンド側にガッツポーズをしていました。
これは決勝競技の中で一番のミスといえます。配信をよく見てみると、1人だけキョロキョロしながらグーしているところが伺えます。恥ずかしいです。
そんなこんなで選手紹介を受け、レースが始まりました。
1泳の飛び込み大臣鈴木さんがシーズンベストの泳ぎを見せ(22.8)、イケメン仕事人の樋口さんは安定した泳ぎで戻ってきました(22.3)。
そしてルーティンを済ませて気合十分の頓所へと引き継ぎ、しっかりと水をつかんで泳ぎ切りました。7位から5位に順位を上げられて誇らしいです。(22.14)
最後は成年リーダーの石崎さん。競り合いの真ん中、静岡と4位同着でゴール!!0.05秒差で3位の北海道に負け、あちゃー!といったリアクションをしていると、、、、
聞きなれたアナウンスで「ただ今・・・」という声が聞こえました。この水泳選手なら誰もが恐怖するアナウンスの後、「第3レーンの北海道チームは・・・」という声が聞こえ、新潟は大盛り上がり。
リレーメンバーも応援席も声を上げて喜びました。
そうしてなかなか珍しい。新潟静岡による同着、繰り上げの3位が決まり、隣の北海道チームの前で大喜びしてしまいました。少しマナーに欠けるとも捉えられますが、それほど3位がうれしかったのです。
テンションが上がりきったリレーメンバーたちと喜んでいると表彰に案内されました。同じく大興奮の静岡の4人と1人ずつ握手をしました。正直1人も存じ上げなくて申し訳なかったです。
でも有頂天ですべてがキラキラして見えていました。被表彰者に配られるただのポカリスエットにもなにか特別なありがたさを感じたのを覚えています。
そうして冷めやらぬまま表彰を迎え、声援を受けながら表彰台に上り、やたらかっこいいメダルを頂き、被表彰者16人がまとまって写真を撮りました。
なんかメンバーがごちゃ混ぜになっていましたがテンションが上がっていたのでなんでもよかったです。
表彰後、人生初となる新潟日報の取材を受けました。
自分のタイムがわからないまま、とりあえず自分はいいタイムだったということにして取材を受けました。
質問にいくつか答えたのち、「雰囲気がよく見えるが、リレーメンバーで一緒に練習をすることはあったのか」という聞かれたくない質問を受けました。
自分は数日前に初対面だったので非常に答えづらかったです。
顔を見合わせて返答に困っていると、樋口さんが「練習はしてないが、この3日間でメンバーとしての一体感をうまく作り出せた」ときれいにまとめてくれました。
新潟日報で実際に記事になっているので気になる人は検索してみてください。この気まずい質問は見事にカットされていました。
そうして取材も終え、コーチたちの歓迎を受けて写真を撮りました。今年は女子も2継で決勝に残る快挙だったので、一緒に写真を撮りました。
そうして歓喜の15日を終え、メンバーと坂さんの5人でハンバーグオムライスを食べに行きました。ひと際おいしかったです。
ホテルのロビーで会えてなかったコーチたちに絶賛されながらコインランドリーで洗濯機をぶん回し、この日も早く寝ました。
コインランドリーまでの道では踊りだしたい気分でした。たしか少し踊ってた気がします。
テレビを見ていた中学高校の先輩から来た、久しぶりの連絡も尻目に、せっせと早寝早起きに勤しみます。
そして16日、この日は個人の50m自由形があったので早く会場に向かい、トレーナーのケアも受けてしっかりアップをしました。
もともと新潟県中高生やコーチからの知名度が低い頓所は、昨日のリレーを経て知名度が上がり、かなり期待を受けていました。
そして迎えたレースではまさかの空回り。
気持ちだけ先行し、最近はしないようにしていたテンポだけ上げるような泳ぎをしてしまいました。
もともと個人の飛び込みが苦手で引き継ぎは得意なので、個人と引き継ぎで1秒近く差が出るタイプではあるのですが、そんなことは知らない新潟勢の期待を大きく下回る結果となってしまいました。
後から聞くに、「22.5とかすごいタイム出るんじゃね、、、?」みたいな期待されてたみたいです。実際は23.5でほんと申し訳なかったです。
レースを終え、いろいろな人にやらかしたー、、、、って言いながらダウンを済ませ、新潟勢の応援にしれっと混ざることとなりました。
最終日には、新潟県のエースの高校1年生、根岸君の熱いレースが2つあったので応援したり、一緒に行動した成年のメドレーリレーを応援したりと充実していました。
どれも応援しがいのある熱いレースでした。
その後新潟県選手団の解団式を行い、日本水泳連盟の友好賞を受けた青木先生(日本文理高校・昔は鬼だった)のお祝いや、集合写真の撮影をしました。幸せでした。
そうして国スポも終わりを迎えました。
その後、国スポのメインイベントである、成年とコーチによる飲み会、二次会へと状況は移ります。
ですが今年はやはり疲れていたのか、おいしい海鮮コースを食べ、おいしいお酒を飲む楽しい回でした。
コーチのうちの何人かは自分が小学生のころからコーチとして知っていた存在だったので、一緒のチームとしてお酒を飲むというのは不思議な感覚でした。
そうして1次会を終え、二次会では群馬代表の成人と合流し飲み会が始まりました。
飲み会自体は普通に終わりましたがその後は居酒屋探しに難航、もともと新潟代表だった田中選手(日本短水路優勝とかしてる)がふらふらで意味の分からないことをずっと言っていたため、肩を組んでタクシーに乗せ、帰宅させました。
この行動は群馬県の他のメンバーから感謝されました。そのなかには筑波大卒の三浦さん(全国公無双してた)がいたりと、やはり国スポってすごいとこだなと思いました。
空いてる飲み屋がなく、12時前に健康的に解散となり、健康的に寝ました。
ちなみに同じ部屋の鈴木さんはコートたちの飲み会に参加し、3時ごろに帰ってきました。また坂さんは4時に帰ってきたみたいです。
翌朝、元気な中高生、健康的に酒を飲んだ成人メンバー、二日酔いで酒の匂いがする鈴木さん坂さん、三上先生(朝まで飲んでた)たちとバスに乗り込み、帰路につきました。
太宰府天満宮で観光をし、福岡空港に到着、空港で成人チームは解散しました。成人チームやコーチに感謝を伝えました。
自分は単独行動でもつ鍋、カクテル、ラーメンをかっ食らう、絵にかいたような暴飲暴食をしてから成田まで飛びました。
こうして私の国スポ新潟代表としての6日間を終わり、いつもの千葉に帰って参りました。
初めて経験することばかりで、すべて楽しい経験となりました。
とにかくいい雰囲気の成人チームや、献身的なコーチ、スタッフ陣には感謝しきれないです。
なにより、2継メンバーには貴重な経験をさせてもらいました。改めて、ありがとうございました。
国スポを初めて経験してみて、社会人の選手が、「国スポが一番楽しい」という理由もわかりました。
これは来年の2継を目指してみたいとも思いました。
ということで頓所の水泳人生はまだ少なくとも1年は続きそうです。
今年結果が出たからと言って、来年の出場が堅いかといわれるとそうでもないので、また個人の50m自由形で22秒をめざす日々が続きそうです。
これからも頑張りますので、頓所や千葉大学、新潟県にも注目していただけるとありがたいです。
長ーく書きましたが、わたくしの感想文にお付き合いしていただきありがとうございます。
ここからは画像紹介です。
記事になった頓所
3位同着、表彰の様子
かっこいいメダル 青いガラスは伝統工芸品らしい
お世話になった成人チーム、コーチスタッフ陣
うますぎもつ鍋 左斜め前には塩浦選手が座ってました。ちょっと緊張しました。
今回もらったもの。新潟に染まりました。賞状がでかすぎて枠付きで、キャリーケースに入らなかったです。
以上です!!
読んでくれた方も国スポにかかわった方も本当にありがとうございました!
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