伊坂幸太郎原作、『アヒルと鴨のコインロッカー』を見に行って来ました。
「誰かが来るのを待ってたんだ。ディランを歌う男だとは思わなかった」
「一緒に本屋を襲わないか」
「悲劇は裏口から起こるんだ」
「あの声は、神様の声だ」
大学入学のため仙台に越してきたその日に、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を口ずさみながら片付けをしていた椎名(濱田岳)は、隣人の河崎(瑛太)に声をかけられる。初対面だというのに河崎は、同じアパートに住む引きこもりのブータン人留学生ドルジに広辞苑を贈るため、本屋を襲おうと奇妙な計画を持ちかける。そんな話に乗る気などなかった椎名だが、翌日、モデルガンを片手に書店の裏口に立っていた……。
意味不明な本屋襲撃。その裏には、河崎・ドルジ・その彼女琴美、3人の悲しい物語が――
小説の映像化にはがっかりすることが多く、あまり期待はしていなかったのですが、映像化は不可能と言われていたトリックがどう処理されるのか気になって、見に行って来ました。
実は、伊坂幸太郎の作品は好きで全部読みましたが、この作品はあまり好きではない方に入ります。
動物虐待が描かれているのを読むのが辛かったこと、主人公の琴美に共感できなかったことなど、ネタバレになるので避けますが、最終的な読後感がイマイチでした。(決して作品の出来がどうこうではなく、個人的な好みの問題なのであしからず)
好きな本は何度でも読み返したくなるのですが、これは「再読はないな」、と思いました。
ところが、意外なことに、映画を見終わった後、作品のイメージがガラッと変わったのです。
「読み直したい」、と思いました。
原作では、椎名と、留学生ドルジの恋人で河崎の元カノ・琴美、二人の目線で交互に物語が進みました。
映画では、ドルジの目線で描かれるシーンが入ることで、より深くドルジに共感できるようになったのかもしれません。
そのため、本ではサラッと読み過ごしていたエピソードの一つ一つに対するドルジの想い入れが、より印象的に伝わってきました。
(逆に、読んでいてイライラした琴美の目線で描かれるシーンがなかったのも良かった)
おかげで、なんだか「やっと原作が理解できた」、と感じられました。
ラストシーンもすごく切なくて、良かったです。
演出上、ちょっとくどい?ように感じるところもあったりしましたが、見終わってみるともう細かい所は大目にみたくなってました。
原作のイメージを変えてくれた、稀有な映画体験でした