FANCLの会報誌ESPOIRに載っている角田光代さんのエッセイ、“恋する”時間 が最終回となりました。テーマは「恋愛の理想的な終着点」。
ESPOIR 4月号はこちらです。 →
>子どものころは、単純に、恋愛の理想的な終着地点は結婚なのだと思っていた。だぶん、子ども向けに書かれた多くの物語のせいでそんなふうに思いこんだのではないか。恋に落ちた女の人と男の人は、最後には「しあわせに暮らしました」、となる。が、成長するにつれて、事態はそんなにシンプルではないぞ、と気がついてくる。
うんうん、本当にそのとおり。認識しているかどうかは別にして、こんなふうに物語や漫画、アニメ、ドラマから受ける影響は、とても大きいのだと思うのですよ。実際に。
私は夢見る子どもであったのだけれど、実際的でもあり、「しあわせに暮らしました」という物語のくだりには懐疑的でして、そんな単純なわけはないだろうと思ってましたね~ 自分の両親や周囲の大人たちを見ていて、「結婚」という現実はそう甘くはないものだと思っておりましたので(笑
>そのうち、恋愛と結婚はべつもののような気がしてくる。恋愛の終着点が結婚であるはずがないように思えてくる。
終着点ではないですよね。。むしろ出発点。「しあわせに暮らしました。めでたし、めでたし」で何十年も暮らしていけるはずもなし。
>今、わかるのは、恋愛と結婚の違いは、旅と日常のそれによく似ている。
「恋愛」は非日常、「結婚」は日常。「恋愛」はお互いにいいとこ取り、「結婚」はお互いをさらけ出す。「恋愛」は嫌になったらすぐに手放すことができる、「結婚」も手放すことができるけれどそう簡単にはいかないもの。しがらみ多し。
>かたちを変えることも含め、すべての恋愛は結局は終わる。そうして、それが自分にとってどのような恋愛であって、どのようなかたちで終わったのかを知っているのは、自分(と相手)しかいない。恋愛の理想的な終わり方とは、つまり、外からの評価でなく、自分で見極めるしかない。あの人に会ってよかった、ともに時間を過ごせてよかったと思える関係であれば、それはやっぱり、どんな終わり方をしたにせよ、いい恋愛だったということになるんだろう。
始まりがあれば終わりは必ずあるもの。それがどんなかたちであろうとも。どうであったかは、結局、自分自身が心の中で決めること。
多分、そういうことなのかなぁ。。?
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